映画・テレビ

2020年7月 5日 (日)

孤独のグルメのSeason 7を観る 10話「韓国ソウルの骨つき豚カルビ」

テレビ東京の関連hpには次のように紹介してあります。

『韓国出張2日目。前日の疲れが残ったまま朝を迎えた井之頭五郎(松重豊)だったが、出勤前の人々が集う屋台を発見。トッポギ、天ぷら、スンデ、おでん…さまざまな屋台めしに舌鼓を打つ。すっかり元気を取り戻した五郎は、イム社長(ソン・シギョン)に全州(チョンジュ)での視察報告を行う。』

「仕事を終え、空腹に襲われた五郎は、朝食の屋台めしから一転、ガッツリ系のソウルめしに狙いを定め店探し。やがて一軒の焼肉店にたどり着く。韓国語が読めない五郎は、苦肉の策で隣客の鉄板を指し、テジカルビを注文。するとたくさんの小皿や石鍋が運ばれ、テーブルが全州のデジャブといわんばかりの状態に…。しかしこのあと五郎は“ガッツリ系の最高峰”と出合うのだった――。』

                           ☆

番組を観ながら書いたあらすじは以下の通りです。

前日の全州市行きが強行軍であったことで疲れを感じた井之頭は街角で屋台を見つけました。そこでは見慣れない食材が朝食用として売られていました。中華圏によくある屋台と似ています。朝食を求めて気軽に立ち寄る地元の人たちを真似て食べ始める井之頭。

トッポギ(揚げ餅)、天婦羅(てんぷら)、スンデ(韓国風ソーセージ)、御伝(おでん)など、多彩なメニューを食べて元気を取り戻した井之頭は出張の結果を報告するため依頼した会社へ向かいました。

仕事を依頼した会社の社長が井之頭の報告内容に満足してくれて全州市への出張目的を無事に終えたところで井之頭は急にお腹が空いていることに気づきました。釜山(プサン)へ出張する社長のもとを辞した井之頭は、ソウル市内を食べ物を探して歩き、とある焼き肉店を見つけて店内に入りました。

韓国語が分からない井之頭は、先客が食べていたデジカルビ(豚カルビ)に心惹(ひ)かれて、同じデジカルビとご飯を店主に向かって注文しようととしますが通じません。この様子を見ていた感の良い先客が注文内容を店主に解説してくれたことでやっと店主に通じました。全州市の食堂と同様、キムチが盛られた数多くの小皿とテンジャンチゲ(味噌チゲ)の鍋がテーブルに並びました。テーブルの中央に炭火が置かれます。

各種のキムチに舌鼓を打つ井之頭。その中に蟹を見つけて驚く。骨がついた大きな豚の一枚肉が炭火の上にある金網に置かれました。ある程度焼けたところで店主が程良い大きさにハサミでカットしてくれました。

そして、ジェスチャーを交えて『しばらく待て』と言う。店主のOKが出たところで肉と白ご飯を口に入れる井之頭。豚カルビの旨さに感激。特大の豚カルビをガッツリ系の最高峰と表現。次いで骨付き肉にも挑戦する。しかし、意外に食べにくくて苦戦する井之頭。

ナムルを食べ切ると追加の皿が配膳されました。ナムルのわんこそばと表現。臨席の客が食べていたチャドルバギ(牛バラ肉のスライス)を見てそのハーフサイズを追加注文。牛肉ですから軽く焼いて食べます。頼んで大正解だと思う井之頭。タマネギも牛肉と一緒にたべる。肉巻きご飯と味噌を味わう。

豚カルビと薄切り牛肉に満足した井之頭は帰国するため空港へ向かいました。(終)

2020年7月 4日 (土)

孤独のグルメのSeason 7を観る 9話「韓国全州の納得チゲとビビンバ」

6月28日にテレビ東京で放送されたドラマ「孤独のグルメ」(韓国編)を観ました。「韓国全州の納得チゲとビビンバ」と「韓国ソウルの骨つき豚カルビ」の2話をまとめた再放送番組です。注釈:いずれも2018年6月に放送された番組

まず、9話「韓国全州の納得チゲとビビンバ」を紹介します。テレビ東京の関連hpには次のように説明してあります。

『突然イム社長(ソン・シギョン)に呼び出された井之頭五郎(松重豊)は、1週間後、韓国へ向かう。用件は、韓国の伝統工芸品をヨーロッパで販売する新規事業の相談だった。さらに商品選びを五郎に託したい社長は、実物を見てもらうため全州(チョンジュ)に行って欲しいと言い出す。だが同行したイム社長の部下パク・スヨン(パク・チョンア)のガイドがどこか心もとなく。』

『傘工房、家具店などをめぐるうち、韓国で何も食べていないことに気づいた五郎は、1人で店探しを始める。とはいえ初韓国…勘で店に入るも、韓国語が読めない五郎はなんの店かわからないまま適当に頼んでしまう。すると次から次へと小皿が運ばれ、極めつけは石鍋!おかずのテーマパークか!?…と思いきや、実はこれでビビンパを作る“セルフビビンパ”の店だった。五郎は一体どんなオリジナルビビンパを作るのか?』

                            ☆

番組を観ながら書いたあらすじは以下の通りです。

顧客から突然呼び出された井之頭五郎は初めて訪れる韓国のソウル特別市にある顧客の会社を訪れました。韓国語が分からない井之頭がその会社に何とか辿り着くと、社長と女性社員は流暢な日本語を話すことで一安心。依頼内容は韓国のアンティーク家具をヨーロッパへ売りたいから、家具を選んで欲しいというもの。

探す場所として指定されたのは韓国南部の全州(チョンジュ)市で、同行する日本語を話す女子社員の朴(パク)は見かけとは違い粗忽(そこつ)者です。韓国高速鉄道で全州市へ移動した井之頭と朴は市内の店舗で韓国の家具類を見て回りました。朴は市内にある会社の事務所で報告書をまとめると言うので、お腹が空いていた井之頭は食べ物を探して市内を散策することにしました。

そして見つけた好みの雰囲気がある食堂に入りました。韓国語が読めない井之頭には何の店かは分かりません。店内に入ると納豆の匂いがします。席についた井之頭は壁に貼られたメニューから料金だけを頼りに一番安い6000ウォン(600円弱)を指差して注文。すぐ様、多数の皿に盛られたサラダ・漬物(コチジャン)・目玉焼が配膳されました。自分が頼んだメニューが分からない井之頭の前に肉とご飯(白飯)も並びます。そして最後に熱い石鍋が。

どう食べたらよいのかを思案する井之頭に代わって女将さんが野菜のキムチをボールに入れてハサミで程良い大きさにカットしてくれました。ビビンバかなと呟くとそうだとの言葉が返ってきました。そこへ白飯とコチジャンを入れてかき混ぜます。最後に海藻をトッピング。そして石鍋は豆腐が入った納豆チゲ(納豆汁)でした。つまり、井之頭が注文したメニューはセルフビビンバと納豆チゲのミスマッチとも思えるセットでした。オリジナルビビンバだと喜びながら食べる井之頭。

ビビンバに入れない料理は箸(はし)休めである甘辛いさつま揚げの御田(おでん)でした。サンチュの上にビビンバと味噌を載せて韓国風の食べ方も楽しみます。青唐辛子を見つけた井之頭は第二セットに突入。各種のキムチをボウルに入れてカットしながら混ぜて、白飯・コチジャン・ゴマ油・カットした青唐辛子も投入してよく混ぜてオリジナルのビビンバを作り上げました。ゴマ油を入れたことにより一杯目より格段に美味しいと悦に入る井之頭。

そして全州市で最高の飯に出会えた幸運に感謝しました。井之頭が御馳走さまと言いかけところにヌルンジが配膳されました。お焦げのあるお粥スープです。これが締めでした。600円であることに驚く井之頭でした。朴からの電話があり、教えもらった「マシッソヨ」(美味しいですの意)を店に向かって言うシーンで第9話が終わりました。(10話へ続く)

2020年6月28日 (日)

NHK総合テレビ「列島誕生 GEO JAPAN 2」 (第二集)列島大分裂

第一集の「列島大隆起」に続く第二集は「列島大分裂」です。NHK総合テレビの関連hpには以下のように説明されています。

『元々一つながりの大地が分裂し、今の列島が完成するまでの激動の物語。太古の日本には、巨大ゾウやワニが暮らす動物たちの楽園が広がっていた。だがある日、眠っていた長さ千キロもの「古傷」中央構造線が目覚め、激動の時代の幕が上がる… 最新研究に基づいた超リアルCGでタイムトリップ!列島誕生の驚きのドラマとは?』

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第二集「列島大分裂」では、300万年前の西日本は中国地方・四国・九州が地続きであり、ナウマンゾウなど絶滅した動物たちの楽園でしたが、巨大な火山活動によりその姿が大きく変わった経緯を解き明かしました。

先ず、瀬戸内海が300万年前できたことを示す証拠が発見されたことを紹介しました。60年ほど前にナウマンゾウの牙(きば)や骨が瀬戸内海で多数(100件ほど)見つかったのです。そして、山岳地帯と平野が入り混じっていた地域に海水が侵入して数多くの島々(説明:瀬戸と呼ばれるエリア)と灘(なだ、説明:流れが速い海)ができた経緯を紹介しました。

さらに、陸由来の土地と海由来の土地の境目が1億年前に大陸でできた中央構造線についても解説。この古傷を残したまま日本列島は、大陸から切り離され、300万年前に現在の位置まで移動したというのです。

この傷が確認されるのが四国の吉野川の下流域です。吉野川の上流と丸亀市で瀬戸内海へ注ぐ土器川(どきがわ)は元々一本の川であったものが、南側(太平洋側)の土地が300万年をかけて18kmも西方(現在の三好市付近)へ移動したため、別の川として分断されたことが分かったのです。これは300万年前に北へ移動していたフィリピン海プレートが西方に45度だけ向きを変えたために起こった大地の大移動でした。

中央構造線の北側の土地はその動きに引きずられて、多数の皺(しわ)ができて山になりました。さらに20万年前には淡路島と四国の間(鳴門の辺り)で大地が崩落。海抜0m以下であった現在の瀬戸内海エリアに海水が入り込んで内海になり、山の頂上部が3000ともいわれる多島となって残ったというのです。20万年前に起こった天変地異でした。

この大変化により魚介類が豊かな瀬戸内海が生まれると同時に、それまではナウマンゾウなどが生息する楽園だった陸地が失われたのです。ここでゲストたちは瀬戸内海で獲れたタコや牡蠣(かき)などの魚介類を味わいました。

ここで舞台はさらに西方の九州へ移りました。九州が中央構造線で南北に分裂する可能性があったというショッギングな話題で始まりました。大分県の別府湾には一夜で消失した島の言伝えについての調査が行われました。海底の地層が複雑に折れ曲がり、しかも大きく落ち込んでいることが分かりました。さらに、別府湾から島原半島まで巨大な溝が繋(つな)がっていることが分かり、九州の地下にある岩盤の深さが調査されると、2000mもの深さがあることが確認されたのです。

マントルの上昇によってできた巨大な柱状摂理(ちゅうじょうせつり)である「塩俵の断崖」が長崎県生月(いきつき)島の存在からマントルによりフィリピン海プレートが押し曲げたことで中央構造線に沿った弱い地盤が沈下して大地を切り離すことになりました。

地溝帯を境に九州の南部だけがフィリピン海プレートに押されて北西方向に押される他の地域とは反対に南東方向に力が働いていることが分かりました。つまり、九州の南部と北部を引き裂く力の存在です。マントルがフィリピン海プレートを押し下げる力により、中央構造線が生まれ、その周辺に多くの断層が存在することが分かったといいます。

一方、それを押しとどめる「絆創膏(ばんそうこう)」が存在していました。阿蘇山霧島連山桜島などの巨大なカルデラ噴火による噴出物が九州が分裂するのを防いだと考えられるのです。40万年前に中央構造線付近にあった湖には火山噴火による堆積物が高く積もっていることでその事実が確認されました。

500万年前にでき始めた地溝帯は大きく成長してカルデラ噴火が連続して起き、大地の溝を埋めるプロセス(分断と修復)が繰り返しされたことで一体としての九州の大地が維持されたと結論付けられました。

プレート(説明:地表を覆う岩盤)とマントル(説明:地球の内部構造)のダイナミックな動きなど、地球の長い活動の結果(説明:絶妙なバランス)により現在の日本列島が存在することを分かり易く解説する良質な番組でした。◇

2020年6月27日 (土)

NHK総合テレビ「列島誕生 GEO JAPAN 2」 (第一集)列島大隆起

6月14日にNHK総合テレビで放送された掲題の番組を観ました。2週にわたって放送されるこの番組の第一集は「列島大隆起」をテーマに「日本の屋根」とも言うべき北アルプスに300万年前にあった高さ1mを超す幻の巨大火山と広大な関東平野の成り立ちを紹介しました。

NHK総合テレビの関連hpには次のように紹介されています。

『私たちの暮らす日本。地球上の陸地の1%にも満たない狭い国土の中に“宝物のような絶景”が満ちあふれている。さらに不思議なことに、大海原のただ中の島国なのに、なぜか三千m級の山々がそびえている。日本列島は、どうやって生まれ、どんなドラマをへて、今の姿となったのか?』

『最新科学は、数千万年に及ぶ“列島誕生の大地の物語”を解き明かしつつある。そして地球史上まれな“奇跡的な四大事件”があったからこそ、列島がここに存在していることを突き止めた。『ジオ・ジャパン』では、日本各所の絶景や、はるかな時空を超えたタイムトリップCG、そして列島誕生と深く結びついた“和食”を読み解くスタジオから、日本の“大地のドラマ”を描く。』

『第1集は『奇跡の島はこうして生まれた』。3000万年前、今の日本列島の位置には陸地もなかった。いったい何が起きて、大海原の中に島々が誕生したのか? そこには、想像を超えた驚くべき大地のドラマがあった・・・。』

                             ☆

幻の巨大火山説を唱えた信州大学の原山智特任教授(地質学者)は黒部渓谷の上流に「マグマだまり」を20か所以上も見つけたことから番組が始まりました。同教授は、槍ヶ岳や穂高岳、そしてその北にある爺ヶ岳(じいがたけ)などはマグマが固まってできた山々の存在を巨大なカルデラが崩壊した跡と考え、爺ヶ岳では地層が垂直に立っていることからカルデラが横向き(垂直)に立ち上がっと推論したのです。

300万年前の日本では太平洋プレートとフィリピン海プレートが、大陸プレートに押し留められながら、激しく衝突しました。その時、勢いに勝る太平洋プレートに押されたフィリピン海プレートは、シワ(山や谷)を造るとともに、進行方向を北向から西側へ45 度転換し、60万年をかけて巨大カルデラ火山(説明:谷の地下に溜まった膨大なマグマ溜まりにより出来上がった直径10km以上のカルデラ噴火跡)を押し上げたと推論したのです。

爺ヶ岳は90度傾き、穂高岳と槍ヶ岳は20度傾いたと言うのです。傾く過程で爺ヶ岳は雨と風に徐々に削られて硬い岩だけが残って現在の形になった、つまり高さ1mの火山とは風雨に削られなかったと仮定した場合の存在である「幻の巨大火山」だったのです。そして、その西側にある大地の深い傷跡が黒部峡谷となったと説明しました。

次いで、舞台は関東平野へ移りました。この巨大で4000万人が住む広大な関東平野はどのようにしてできたのかを解き明かします。関東平野の西端に位置する八王子付近に堆積したローム層を垂直方向に調べると地下680mに岩盤がありました。立川市では地下980m、岩槻市では2880m、柏市では1490m、成田市では860m、旭市飯岡では400m、太平洋に面する東端の千葉県屏風浦(びょうぶがうら)では岩盤が地表(高さ3m)に現れていました。

この調査により関東平野は「お椀構造」の岩盤の上にできていることが分かりました。このお椀構造に山岳地帯(関東山地)から流出した土が堰(せ)き止められることで海に流出しないため、巨大な平野が出来上がったことを簡単な実験セットを使って説明。

お椀構造の縁(ふち)となる岩盤ができたのもフィリピン海プレートが地中に潜(もぐ)り込み、しかも進行方向が45度西側へ変わったことで大隆起が発生し、L字形の岩盤(お椀の端)が出来上がったというのです。その現象を元禄地震や関東大震災地震による地盤が隆起した事例で説明しました。そして、海が後退したことで現在の地盤が出来上がったのです。番組の最後には、東京湾で獲れた江戸前寿司を味わいながら、関東平野が出来上がったプロセスを振り返りました。(続く)

2020年6月25日 (木)

ブラタモリ「福井・一乗谷」を観る

6月20日にNHK総合テレビで放送されたブラタモリ「福井・一乗谷~アンコール~」を観ました。2019年22日)に放送された番組のアンコール放送です。

NHKの関連hpには、『旅のお題「福井のルーツは消えた都市にあり!?」を探る恐竜が出迎える福井駅から鉄道で一乗谷へ!大河ドラマ「麒麟がくる」でユースケ・サンタマリア演じる朝倉義景、その繁栄の痕跡を訪ねるトイレの跡から見つかった日本初の〇〇〇〇〇とは!?当時の一乗谷を復元したエリアをタモリさんが歩く一乗谷で生まれた知恵が残る福井市内へ』 とあります。

以下は2度目となるこの番組を観ながら書いた概要です。

福井駅の駅前広場にある動く恐竜像を観ながらタモリさんはアシスタントの林田理沙アナウンサーを相手に掛け合い漫才をしているところへ「今回のお題」が届きました。「福井のルーツは“消えた都市”にあり!?」でした。博識のタモリさんは「滅ぼされた朝倉氏と一乗谷」に言及。タモリさんと林田アナは考古学の専門家と福井駅から越美北線(通称:九頭竜線)の電車に乗って15 分、5番目の「一乗谷駅」へ向かいました。

タモリさん一行は越美北線に平行して流れる足羽川沿いにある県道31号を東へ約500m歩いた丁字路で南へ伸びる県道18号に外れて「一乗谷」に入り、その約200m先で大きな土塁(どるい、高さ4m/長さ38m)と鉦折(かねおれ)状の巨大な石積み「虎口(こぐち)石垣」を見つけました。「一乗谷朝倉氏遺跡」の城戸(門)、つまり防御用の施設「下城戸跡」です。かつては1万人が暮らした街の南北に2か所あった「天然の要害」のひとつです。先へ進むと住居(町屋)跡「平面復原地区」が広がり、それぞれの区画には井戸と廁(かわや)跡が復元されていました。一際大きな区画は医師の屋敷跡とのこと。

信長に攻め滅ぼされたあと「一乗谷」に住んでいた人々は広い平野部へ移動し、「一乗谷」は土で埋められて田畑になったそうです。そのため、極めて保存状態の良い屋敷跡が50年ほど前に発見されたことを専門家から聞かされました。大きな武家屋敷が並んでいたエリア「復原町並」の先にはなぜか商家が混在していました。商業活動(経済)が発展して商人が重視されるようになったからなのです。「一乗谷」の中心部に再現された唐門が見事な「一乗谷朝倉氏遺跡(朝倉義景館跡)」では、遺跡で発見されたさまざまな遺物を見学します。

福井市の中心部(福井駅の北)にある福井城へ戻ったタモリさん一行は白い瓦で葺(ふ)いた城門を間近くから観察します。瓦と思われたものは、焼き物ではなく、「笏谷石(しゃくだにいし)」を削って作られていたのです。この笏谷石は火山岩や火山灰などが堆積して凝縮した凝灰岩(ぎょうかいがん)で、福井市で多く産出され、全国へ送られた名産品だったのです。福井市の西部「足羽山」の麓へ移動したタモリさん一行は料亭になっている石切場跡も見学しました。昔は足羽川がその石切場の近くを流れていたことで、船を利用して笏谷石を全国へ積み出すことが容易であったことも知りました。

次いでタモリさんが向かったのは商店街。江戸時代に大きな商家が立ち並んでいた場所です。「一乗町」の地名がある理由は「一乗谷」にいた商人たちがそこに移り住んだことによります。江戸時代の古地図にある組頭で御用商人の「国島家」を訪ねてご主人から昔話を聞き、朝倉家の家紋がある留袖(とめそで)を見せてもらいました。タモリさんは「一乗谷」から福井市の町へと歴史が続いていることをしっかりと確認したところで番組が終わりました。

〈筆者コメント〉 4年前(20168月)ですが、「続々・奥の細道紀行」の途中、永平寺に続いて福井市の城を訪れていますが、時間の制約で「一乗谷」には立ち寄っていません。機会があれは近いうちに「一乗谷」を訪れたいと思います。ちなみに、福井市文化遺産hpには「一乗谷」について詳しく解説してあります。

2020年6月21日 (日)

ブラタモリ「釧路湿原~アンコール~」を観る

2020年66日にNHK総合テレビで放送された掲題の番組を観ました。2019720日に放送された番組のアンコール放送です。なお、事前に読んだNHKの関連hpには次のように紹介されています。

『野生のタンチョウ・エゾシカに興奮!「世界に誇る釧路湿原のスゴさとは?」貴重な大自然が4000年保たれる秘密をタモリさんがズブズブ歩いて解き明かすアンコール放送』

『北海道の東部、普段は入ることが出来ない湿原の中心部へ! ラムサール条約にも登録され世界的にも認められた湿原のスゴさを探る▽釧路本線の車窓から絶景を楽しむ!▽手こぎカヌーで蛇行する川を体感!▽湿原が森林化せず原始の姿を保っている謎。そのカギは「泥炭」にあり!?▽名曲「霧の摩周湖」誕生も釧路湿原のおかげ!?』

タモリさんは、アシスタントの林田理沙アナウンサーと一緒に、北海道の森の中を歩いています。やがて景色が開けてタモリさんは釧路湿原の細岡展望台に立ちました。見渡す限りの絶景が広がっています。北海道の東部に広がる日本最大の湿原(広さ227平方キロメートル)は山手線がすっぽり入る大きさです。有名な尾瀬の約30倍の広さ、日本の湿地の約3割を占め、ラムサール条約に日本で最初に登録され、世界的にも評価の高い場所と紹介されました。ブラタモリの今回のテーマは『世界に誇る釧路湿原のすごさとは?』 です。

釧路湿原はもとは海でしたが、6千年前から海が後退して西側の海岸に砂丘ができ、次いで湿原ができました。通常、湿原はなくなってしまうことが多いのですが、『なぜ釧路湿原はその姿を維持できているのでしょうか?』 の問への答えをタモリさんは探して釧網(せんもう)本線の釧路湿原駅に向かったタモリさんは駅周辺に多数ある湧き水が線路の下をくぐって低い湿原に流れて行くのを見ました。

タモリさんは釧網本線の車窓から釧路湿原の絶景を楽しみながら湿原の北にある茅沼駅で降ります。手こぎカヌーに乗ったタモリさんと林田アナは川の流れを体感しようと試みますが川には高低差がほとんどないことが分かります。タモリさんは水の流れがない川は蛇行を繰り返して蛇行する性質があると説明します。

タモリさんはカヌーを降りて湿原に入りました。川の蛇行部分では、水かさが増すと一面水浸しになり、土砂が溜まって湿原ができることを確認しました。湿原は時間が経(た)てば陸地化し、さらには森林化するのが普通ですが、釧路湿原は森林化しないのです。

タンチョウ(丹頂鶴)を見学したタモリさんは許可を得て湿原の中心地に入りました。タモリさん一行が湿原の小川の岸辺でジャンプすると、小川に気泡が現れました。植物の根や葉が分解されずに残って泥炭(でいたん)になっていたのです。この柔らかい泥炭は、10年で1cm堆積し、4000年が経過した現在は4mもの厚さに達しているそうです。樹木が育たないこの泥炭の存在が森林化を防ぐカギだったのです。謎の深い水たまりに林田アナウンサーが入って内部を確認するとゼリーのような感触があることが分かりました。あちこちにある水溜まりは川の跡だったのです。

釧路湿原の西側では砂丘が陸に入り込んだことで内陸方向への流れが生じ、湿原の東方で内陸から海の方向へ流れた水があり、両者で釧路湿原内に水のループができていたのです。これに加えて水に削られやすい泥炭で川の流れが変わりやすいため、でき始めた森林はすぐに湿原に戻ってしまうのです。

釧路湿原には年間に100日以上、霧が発生するそうです。釧路沖で、暖流(黒潮)と寒流(親潮)がぶつかることが原因とのこと。霧で覆(おお)われるため釧路湿原は気温が低く(説明:夏でも20度を超えることは滅多にない)、天然の冷蔵庫だったのです。名曲「霧の摩周湖」の誕生も、釧路湿原の存在抜きには語れません。摩周湖の第一展望台からタモリさんが約80km離れた釧路湿原を遥かに望みながら感動したと話したところで番組は終わりました。

〈筆者コメント> 大学1年(1964年)の夏休みに友人と二人で北海道一周旅行をしました。家庭教師のアルバイトで何とか賄(まかな)った周遊きっぷ(説明:道内での乗り降りが自由な均一周遊乗車券)を持ち、横長のリュックサックとテントを背負う「蟹(かに)族のゲルピン旅」でした。(注釈:ゲルピンとはお金(ドイツ語でゲルト)がピンチ、つまり金欠状態のこと)

上野駅発の夜行列車(蒸気機関車が牽引)と青函連絡船を利用して入った北海道の函館から反時計回りのルートで北海道をほぼ一周する旅でした。函館本線と室蘭本線で洞爺湖(昭和新山)と登別に立ち寄り、根室本線で十勝平野を横断して、釧網本線で釧路湿原を通過した(説明:車窓から眺めた)あと、摩周駅で下車。路線バスを利用して摩周湖に立ち寄りました。ロシアのバイカル湖に次いで世界で2番目に透明度が高い湖です。タモリさんが番組内で言及した布施明さんの「霧の摩周湖」がヒットする2年前のことでした。

下の写真は左端に写る「カムイシュ島」と右端の「摩周岳(カムイヌプリ)」(説明:摩周湖外輪山の最高峰)の位置関係から考えて「摩周第一展望台」で撮影したもののようです。ちなみに、アイヌ語で「カムイ」は神様を、「シュ」は老婆を、「ヌプリ」は山を意味するそうです。

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56年前の北海道旅行では摩周湖が利尻山(別名:利尻富士)と並んで最も印象深い場所でした。ちなみに、摩周湖の隣にある屈斜路湖(くっしゃろこ、川湯温泉)に立ち寄ったあと、知床(しれとこ)半島のウトロ・旭川・稚内(わっかない)・利尻島・礼文島・札幌・小樽などを経由して函館に戻る約3週間の長旅になりました。また、2005年10月のブログ記事では2002年9月の北海道旅行に基づいて北海道の温泉を紹介しています。◇

2020年6月19日 (金)

吉田類の「酒場放浪記」を観る

酒に造詣(ぞうけい)が深い酒場ライター吉田類さんの冠(かんむり)番組「酒場放浪記」(注釈:2003年から続く長寿番組)を観ました。毎週月曜日午後9時から午後10時までBS-TBSで放送され、東京およびその近郊を中心に、日本各地の酒場(主に家族経営の居酒屋)を紹介するバラエティ番組(説明:15分で紹介する酒場が4軒登場するオムニバス形式)であり、テレビ東京の「孤独のグルメ」とともに筆者の好きな番組の一つです。

後者(注釈:登場人物はすべて俳優)は個性的な料理を発見するプロセスと主人公の感想に重きを置いていますが、前者は立ち寄った場所の説明および何気なく入った居酒屋の雰囲気とそこにいた人たち(一般人)との会話にハイライトを当てています。いずれの番組も主人公の個性を生かしていることが共通する魅力です。

吉田類さんは画家、作家、タレント、歌手と肩書が多彩な人物であり、番組名に「放浪」が入っているように、自然体であることに番組の特徴があります。また、吉田類さんの特徴ある風貌と黒っぽい衣装(説明:目深に被った黒い鳥打帽子)も視聴者が惹(ひ)かれる理由でしょう。店を出た時には、演技ではなく、気持ち良く酔っ払っていることにも好感がもてます。

今回(202061日)放送された内容は、「今日はお家呑み」 ~和歌山・島根からお取り寄せ~(説明:吉田類さんの仕事場における家飲み)、恵比寿「居酒屋 ふくみ」(説明:駅至近ながら地下にある創業32年の昭和酒場)、八丁堀「いち」(説明:オフィス街の谷間にある一軒家)、滝野川一丁目「もつやき よだ」(説明:明治通り沿いから移転したが滝野川で40年越えの老舗酒場)の4軒の紹介でした。

                           ☆

第1話の「お家飲み」は和歌山と島根から取り寄せた絶品のおつまみと地酒を置き、新型コロナウイルス禍の当世風にTV電話を利用して、地方の酒場と乾杯するシーンがありました。先ずは白ワインでの乾杯。次いでお気に入りの酒器を紹介。和歌山からは「多田屋」のご主人とTV電話で旧交を温めます。さらに和歌山のワサビ寿司、島根・国輝酒造の酒を飲みながらTV電話を通して乾杯。同じく島根の「赤てん」と「子うるか」も楽しみました。

                           ☆

第2話(2017年6月初回放送)は恵比寿の「居酒屋 ふくみ」です。恵比寿駅に降り立った吉田類さんは渋谷橋の袂(たもと)でコマ(独楽)の店に入り、色々なコマとベーゴマの闘いを楽しみました。その後に入った「ふくみ」ではお勧めの「呑み比べセット」を選びます。そして、お惣菜も。新じゃがと加賀の煮付け、青森の新じゃがも。お勧めは純米酒と江戸前のお刺身の盛り合わせ。奥の常連に声を掛けると手作りコロッケを勧められました。シナリオのない展開で、最後はおにぎりで締めました。

                           ☆

第3話(2018年6月初回放送)は地下鉄の八丁堀駅からスタート。和菓子屋に立ち寄り苺(いちご)大福を食します。そして立ち寄ったのはビルの合間にある一軒家の八丁堀「いち」(食事処)。ウェルカムのグラスビールとお通しがセットで出されました。次いで刺身盛り合わせと銀鱈西京焼き。食中酒は「自然郷」。常連からのお勧めはハムカツ。牛すじカレーとイタリアワインも。和と洋を兼ね備えた店でした。

                           ☆

第4話(2019年6月初回放送)は滝野川の「もつやき よだ」。都電荒川線滝野川駅を降りた吉田類さんは路地を歩きます。心太(ところてん)と豆腐を味わった後は赤提灯へ。「よだ」ではホッピー&酎ハイを飲みながらモツ(希少部位のシビレ)の塩焼きを摘(つま)みました。先ほどの豆腐屋さんの豆腐が入った煮込みも。次いで初がつおと温燗(ぬるかん)、そして餃子(ぎょうざ)で締めます。店を出た吉田類さんは路地を歩いていつものように暗闇の中へ消えて行きました。

2020年6月11日 (木)

映画「ロケットマン」を観る

5月30日にWOWOWで放送された英米が共作した映画「ロケットマン」を観ました。2019年に制作されたこの映画はイギリスのミュージシャン(シンガー・ソングライター)であるエルトン・ジョン(Elton John)の半生を描いた自伝的な音楽ドラマで、並外れた才能を開花させて成功の階段を駆け上がって行く一方で、孤独に苛(さいな)まれる自身の苦悩を描いています。なお、制作総指揮を本人が担当しました。ちなみに、第92回アカデミー賞(2020年2月)で歌曲賞を獲得しています。

エルトン・ジョン(出生時の名前はレジナルド・ケネス・ドワイト)は全世界でのレコード売上が3億枚以上、グラミー賞を5回受賞、イギリス王室からサーの爵位(騎士号)を与えられています。ちなみに、エルトンは同性愛者であり、イギリスで同性婚が認められた後、男性と結婚しました。

ちなみに、題名の「ロケットマン」はエルトンが初期にヒットさせた曲の題名であり、自身が仲間と設立した「ロケット・レコード」にも関係しているようです。

映画を観ながら書いたあらすじは以下の通りです。

派手な舞台衣装を着たエルトンは治療中である多くの中毒患者たちの中で自分の生い立ちを語るシーンで映画は始まりました。少年時代(5歳のころ)にピアノ演奏の才能があることを知った母親と祖母はエルトンにピアノを習わせることにしました。11歳の頃に王立音楽院に合格。エルトンの父親は家にいることが滅多にないだらしのない人物です。実は母親もボーイフレンドがいたことを知り、エルトンは傷つきます。ロックン・ロールに接したエルトンはエルヴィス・プレスリーのレコードを聴くようになり、ロックの世界に目覚めたのです。しかも、ピアノ演奏だけではなく、歌うことの才能も開花させて行きます。

夜の街に出て、バーやストリートでロック曲を披露するようになりました。アメリカから入って来たロックン・ロールがイギリスで新しいロックとして流行し始めていた時代です。つまり、ビートルズなどが人気を集めていたころです。「アーティスト求む」のビラを見たエルトンはその音楽出版社へ出向きましたが、真剣に取り合ってはくれません。しかし、エルトンの曲に興味を持つ人物が現れました。曲作りでコンビを組むことになるバーニー・トーピン(Bernie Taupin)です。そして、エルトンをある音楽出版社へ売り込んだのです。良い曲を作れば採用してくれることになり、二人は同居生活を始めました。

気が合った二人は親しくなったため、異性愛者であったバーニーはガールフレンドと別れることに。エルトンはバーニーの詩を使って曲作り(作曲)に専念しました。程なくエルトンは音楽出版社に認められて1968年(21歳の時)にアルバムを出すことになります。さらには、アメリカへも進出しました。魅力的な曲と派手なショーアップが受けたエルトンは全米で人気を獲得します。その一方でエルトンの奇行(派手な衣装と風変わりな言動)はエスカレートして行きました。

エルトンは再婚した父親を久しぶりに訪ねますが、感傷的になってしまいます。母親に電話をかけゲイであることを告白するエルトン。しかし、母親の反応はクールなもの。ますますナーバスになるエルトン。突拍子もないステージはファンの人気をますます盛り上げることになりました。豪邸である自宅へ古い知人たちを集めてパーティーを開きますが、上手く溶け込めません。突然、思いたったようなプールに飛び込んで幻想の世界へ迷い込みました。気づいた人たちに助け上げられて、救急車で病院へ運ばれます。

少し落ち着いたエルトンは移動中のプライベート・ジェットの中でバーニー・トーピンに向かい『自分を見つめ直す時間が欲しい』 と言います。薬物、アルコール依存性、過食症などで生活が荒れたエルトンは何故か女性と結婚しますが、エルトンは変わりません。バーニーとも喧嘩別れをしてしまいます。この状況を知りながらエルトンのマネージャー(兼恋人)は全米公演の計画を進めます。

母親や恋人との対話することで幼少時代に戻ったエルトンは精神的な落ち着きを少しずつ取り戻して行きました。バーニーとも和解し、再び彼の詩に曲をつけ始めます。

エンドロールの冒頭、その後のエルトンを簡単に紹介して121分の映画は終わりました。これは映画「ボヘミアン・ラプソディ」と同じ手法です。ちなみに、両作品の監督はいずれもデクスター・フレッチャーが務めた。注釈:ボヘミアン・ラプソディの監督ブライアン・シンガーは制作終盤に降板したが、クレジットには監督としてシンガーの名があり、フレッチャーは制作総指揮となっている

〈筆者コメント〉 エルトン・ジョンのことは少しだけ知っていましたが、この映画を通してその生い立ちや人となりを初めて知りました。映画「ボヘミアン・ラプソディ」と同様、主人公の個性的な魅力(カリスマ性)と多彩な楽曲を楽しめる映画です。ちなみに、数多くあるヒット曲の中で筆者が知っているは「僕の歌は君の歌」(原題:"Your Song")と交通事故死したダイアナ妃の追悼歌である"Candle in the Wind 1997"(CDを購入)くらいです。ちなみに、いずれの曲も作詞がバーニー・トーピン、作曲をエルトン・ジョンが担当しています。◇

2020年6月 9日 (火)

ブラタモリ「黒部ダム スペシャル」を観る

5月30日にNHK総合テレビで放送された掲題の番組201710月に放送された「黒部ダム」と「黒部の奇跡」の総集編)を観ました。長野県にある関電トンネルの「トロリーバス扇沢駅」でのロケから番組はスタートしました。今回、タモリさんに与えられたお題(テーマ)は『黒部ダムはなぜ秘境につくられたのか?』 と真っ当なものでした。冒頭、岩をくり抜いて造られた崖沿いに手作りされた狭い道を通るしかない場所に造られたことを最初に紹介しました。

『最大の難関破砕帯とは?』『北アルプスの秘密はチョコレートにあり!?』などのキーワードがテロップで流れました。タモリさん一行はトロリーバスに乗って黒部ダムへ向かいました。バスが入った長いトンネル(長さ6.1㎞の関電トンネル)はダム工事用に造られたものです。バスは80mに及ぶ破砕帯(はさいたい、岩盤が砂のようになった地層)に差し掛かりました。冷たい地下水が大量に湧き出す場所です。

この対策として500mの水抜きトンネルが掘られたそうです。長いトンネルを抜けて「黒部ダム」の東端にある「黒部ダム駅」に到着。長い階段を上がって黒部ダムの上にある展望台に立ったタモリさんは、黒部ダム(高さ186m、横幅約500m)の大きさに驚きますが、アーチ式ダムでありながらダムの端(アーチ部)が山に接していないことが疑問だと言います。

突然ですが、ここで映画「黒部の太陽」が公開された今から56年前に戻り、大学1年生であった筆者が黒部ダムへ一人旅をした懐かしい思い出を手元に残る写真とともに紹介しましょう。JR大糸線信濃大町駅から路線バスでトロリーバス扇沢駅へ移動した筆者は、タモリさんと同様、トロリーバスに乗って黒部ダムへ向かいました。下の写真は黒部ダム駅に近いダムの堰堤(えんてい)上から立山連峰方面を写したものですが、残念なことに当日は雨天でしたから、手前の案内看板と対岸の崖(がけ)しか写っていません。

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次は日本一の堤高(186m)を誇る黒部ダムを見下ろして撮影した写真です。最上部の排水口が窓のように映っており、その遠方にはレストハウスが、そして排水口の下部には点検用の通路が幾段も確認できます。(注釈:最近の写真で確認すると通路の段数がかなり少なくなっている) その下方に通常の排水口のようなものが見えます。この写真は、アングルから見て、道路のようになっている長さ492mの堰堤上を対岸の黒部湖駅に近いウイングダム部まで歩いたところで撮影したようです。

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閑話休題。長い階段を降りてダムの中ほどに移動したタモリさんは黒部ダムにおける発電の仕組みを見学します。ダムのすぐ近くにある取水口を見たタモリさんは、約10km先、545m下にある発電所まで水が導かれる規模の大きさに驚きます。そして、黒部ダムはこの大きな落差と大量の水を貯めやすい地形(上流は川幅が広く、ダムがある場所は川幅が狭くなっている奇跡的な地形)に特徴があり、巨大な発電所が可能になったことを知ります。

つまり、大量の水と大きな落差です。これにより黒部川には黒部川第四発電所の他、数多くの発電所が造られ、約90kwの発電量が得られたのです。このため黒部ダムは以前、「黒四ダム」と呼ばれていました。

黒部ダムの上に戻ったタモリさんは奇跡的な地形が生まれた理由を探るため、地下式の黒部ケーブルカーに乗って大観峰へ向かいました。途中、黒部平でケーブルカーから立山ロープウェイに乗り換えます。支柱が無いロープウェイです。雪崩が多いエリアであることから支柱が無いとその理由を説明されました。そして、豊かな水量は豪雪の賜物であることを知ります。

大観峰の展望台に到着したタモリさんは立山連峰と後立山連峰の間に黒部川が流れていることを説明されました。複雑な隆起を有するこの地形は地下から噴出したマグマが地表のプレートの力に押されて大きなシワ(3000m級の山脈)ができたと考えられるそうです。タモリさんはその様子を溶けたチョコレートを使った実験で確かめました。つまり、黒部峡谷ができた理由が分かったのです。

その後は視点を変えて水圧を分散して受け止めるアーチ式ダムの仕組みを学びました。しかし、黒部ダムは両端が折れ曲ったユニークな形状をしています。これはアーチ式ダムに掛かる力(水圧)を強固な両岸の岩盤へ効率的に伝えるための工夫だったのです。黒部ダムにおいては、アーチ式ダムの部分をやや前傾させ、両端の部分は重力式コンクリートのウイングダムを持つことで、ダムが貯めた水の圧力を上手く分散する仕組みになっていることが分かりました。

最後に、タモリさんは通路を通ってダムの中に入りました。点検用の長い通路を抜けてダムの外に出ると、すぐ目の前にある放水口から大量の放水が行われていました。放水が、通常の滝のようにではなく、霧状になっています。これは、放水口(バルブ)の形状を工夫することで、大量の放水がダム下流の地盤を傷つけることを防いでいるのです。戦後間もない日本の経済成長を支えた黒部ダムについてタモリさんが抱えていた多くの疑問が解け、タモリさんが大満足したところで番組は終わりました。

〈筆者コメント〉 学生時代に黒部ダムを訪れてから50年以上が経過しました。これまでも黒部ダムを紹介するテレビ番組を何度となく観たことがありましたが、今回ほど掘り下げた黒部ダムの紹介番組は初めてです。タモリさんと同様、筆者も今回の総集編に大満足することができました。◇

2020年6月 7日 (日)

逆転人生「親子2代の夢を実現 世界が認めたウイスキー」を観る

5月25 日にNHK総合テレビで放送された掲題の番組を観ました。

ウイスキーの人気が右肩下がりで低下するなか、江戸時代から続く秩父の小さな酒蔵(造り酒屋)の息子・肥土(あくと)伊知郎さんは大手酒造会社に勤務している時、父親に請われて1994年に父親の会社へ入社。20年以上に亘(わた)ってウイスキー・ビジネスで奮闘し、ついには3年連続で世界最高賞を受賞。ウイスキーセットが約1億円で落札されるなど、世界から注目を集めるまでを描いたドキュメンタリー番組です。

ウイスキー造りを諦めて日本酒の量販ビジネスを目指す父親と対立しながら邁進(まいしん)する主人公は、本業の酒造ビジネスの低落による赤字で負債(39億円)が積み上がる中、主人公が取締役であった2001年に父親が病いに倒れる事態が発生しました。

造り酒屋である自社の経営権を売却して雇われ社長になった主人公は、新しい経営者からウイスキー・ビジネスを撤退すると通告されたため、原酒の入った400樽を引き取って自らビジネスを始めることを決意。福島の酒造会社にある倉庫に大量の原酒を置かせてもらった主人公は借金をして自ら有限会社(現在の株式会社ベンチャーウイスキー)を2004年に起こしました。しかし、ウイスキーの販路はなかなか広がりません。

個性で勝負しようとすれば原酒づくりに時間がかかってしまいます。そこで主人公はスコットランドから購入した古い樽に父親の原酒を詰め替えて(樽替えをすることで)味を創り上げる秘策を実行。これが奏功(そうこう)して国内の賞を受賞したことで、自社の知名度が徐々に上がって行きました。さらに、自らも原酒を造ることを決意します。

2006年に知り合いから朗報(ろうほう)が舞い込みました。ウイスキー・ビジネスから撤退しようとしていた洋酒メーカーから買い手のない原酒を買い取る代わりに、蒸溜所を再稼働してもらう条件を出して、1か月間だけその蒸留所を使って原酒造りの基礎を学びました。さらに、スコットランドへ渡り、老舗(しにほ)ウイスキー・メーカーに頼み込んで、短期間でしたが本場のウイスキー造りに接します。そして、帰国後にはスコットランドに負けない水の豊かな秩父に小さな蒸溜所を建設します。半年後、父親が造った原酒をベースにした7400 本のウイスキーを販売すると、期待以上の反応があり、即座に完売してしまいました。

父親が作った原酒のお陰と主人公は感謝。疎遠(そえん)になっていた父親を自分の工場へ招待したことで、親子の距離が一気に縮まりました。イギリスの品評会「ワールド・ウイスキー・アワード」で2017年から4年連続で日本部門の1位を獲得し、2018年には長く熟成した父親の原酒と自らが作った原酒をブレンドしたウイスキーが"World Whisky Award"で世界最高賞を受賞したことを紹介。そして、秩父で開催された「秩父ウイスキー祭り」で国産ウイスキーの飲み比べをするシーンを紹介して番組は終わりました。

〈筆者コメント〉 酒好きな私ですが、このウイスキー・メーカーの存在を知りませんでした。この番組を観ながら純米大吟醸酒「獺祭(だっさい)」の蔵元「旭酒造」(山口県)と新潟県の地酒メーカー「八海醸造」、そして長野県のワイナリー「サンクゼール」を想起しました。

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