書籍・雑誌

2017年4月12日 (水)

中西輝政著『日本人として知っておきたい「世界激変」の行方』を読む

世界情勢が激動・激変し始めるとの認識について、-4か月前の当ブログの記事「日本が壊れて行く: 世界情勢の流動化と日本経済の先行き」と「汎アメリカ主義が復活する?」で触れて、EUからの離脱の可否を問うイギリスの国民投票において離脱が僅差で決まったこと、アメリカの大統領選挙で大方の予想に反して実業家のトランプ氏が大統領に選ばれたこと、中国を取り巻く地政学的・経済的なリスクが継続していること、そして韓国では政治的な大混乱(大統領の失職)が生じたことの4つを挙げました。最近になってその具体的な影響が連日のように報道されています。

 

世界情勢の動向についての理解をさらに深められる書籍を探したところ、PHP新書の最新刊『日本人として知っておきたい「世界激変」の行方』(中西輝政著、2017年1月)を見つけましたので、その要旨とポイントを紹介します。ちなみに、当ブログ記事「ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階」で京都大学名誉教授中西輝政氏の著作「なぜ国家は衰亡するのか」(1998年)を紹介しています。
 

                            ☆

 

本書のカバー裏書には、『<内容紹介> トランプ大統領の誕生と「孤立主義化」するアメリカ。覇権主義的動きを強めるロシアのプーチンと中国の習近平。激震のEU。「地獄のオセロゲーム」と化すアジア・・・。すべての構図は「グローバリズムの終焉」とそれに伴う「アンチ・グローバリズム」「オールド・グローバリズム」「ネオ・グローバリズム」という三勢力の相克から読み解ける。いま直面する「危機」を考えるとき、もはや日本は「普遍的価値」も捨てるときは捨て、自らの生存を最優先に考えねばならぬ――現在の世界を動かす大きな流れを読み抜き、日本人の覚悟を問う、刮目(かつもく)の書。』 と書かれています。

 

<要旨> 章ごとにキーワードとその説明を箇条書き風に列記します。注、かなり長くなってしまいましたから、興味を持たれた部分だけを拾い読みされることをお勧めします。

 

第一章 トランプのアメリカで世界に何が起きるか
 

●グローバリズムの終焉(しゅうえん)にともない、それがオールド(旧)とネオ(終末期の堕落形態)の2つに分裂し、アンチ(反)・グローバリズムの三者が「三すくみ状態」)になった状況が、トランプ大統領を生んだ

●アメリカが、建国以来の理想を捨て、「普通の国」としてひたすら国益を追求するトランプ

●トランプはポピュリストではなく、稀代(きだい)の戦略家であり、究極の現実守護者・ニヒリスト

●したがって、旧来の観念的な「普遍的価値」はもはや決定的に時代遅れ

●日本と日本人にとって最も重要な目標は「自立」の二文字

 

第二章 日露“北方領土”交渉と売国の危機
 

●日露交渉の「夢」と「悪夢」

●狂騒的な日露接近の契機となった「八項目の提案」

●北方領土問題の「理」は明らかに日本にある

●「サンフランシスコ平和条約で放棄」説は明確に誤り

●「二島返還」であれば、いつでも誰でも妥協できた

●「新しいアプローチ」の正体は日本の最も大切な立脚点を自ら放棄する交渉アプローチ

●日露接近では中国を牽制(けんせい)できない

 

第三章 介入か孤立か――パックス・アメリカーナの行方
 

●アメリカにとっての「理念」と「国益」は周期的に振れ幅が大きい

●積極的な外交政策である「対外不介入主義」と消極的な政策の「孤立主義」とは異なる

●初代大統領ジョージ・ワシントンが掲げた理念は民主主義を守るための「対外不介入主義」

●アメリカは「孤立主義」だけで生きていける国

●地球上でわれわれだけが普遍的な価値を守れるという殺し文句(理想主義のレトリック)で湾岸戦争に踏み切ったが、中東介入が挫折したことで民主主義が裏切られて「帝国への道」となった

●つまり、「アメリカの理念」はどちら向きにもなる

●パックス・アメリカーナ(アメリカの平和、冷戦後の世界に君臨)の三つの指標は「アメリカ経済の力強い回復」「テロとの戦い」「南シナ海に大きく膨張し続ける中国への対応(アメリカの掲げる航行の自由を守る戦略)」

●「米軍の抑止力」の本質は相手国とのあいだで武力衝突が起きないようにすることだけが目的であり、いったん衝突が起こればそこから先は別の段階(シナリオ)になるとする考え方

●第二次大戦後の世界秩序の崩壊: 中国の南シナ海域領有(軍事拠点化)、ロシアによるクリミア占領、北朝鮮の核武装化

●冷戦時代にソ連の封じ込め戦略を立案したジョージ・ケナンの慧眼(けいがん): ソ連の崩壊後、アメリカは、国力に余裕のあるうちに、常識的で持続可能な外交戦略に転換すべきと主張

 

第四章 「グローバリズムの限界」に直面し流動化する世界
 

EU(欧州連合)からの離脱を決めたイギリスは世界の激動の先導役となり、パックス・ブリタニカ(イギリスの平和、つまり世界の経済・政治秩序)が復活する

●グローバル経済の限界に気づきだした金融界

●民主主義の「敵」としてのグローバリズムがイギリスのEU離脱とギリシャの債務危機における国民投票を通して明らかになった

●アングロサクソンの覇権(はけん)を取り戻すための「嘘」がドルを基軸通貨とする金融グローバリズムである

●ソ連崩壊後の世界で、共産主義や全体主義、アジアの封建主義などを一掃し、「自由」「人権」「法の支配」といった普遍的価値観を再確立するシナリオが、湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争などでイスラムをひどく圧迫したことで綻(ほころ)びが見え、世界が大きく乱れだした

●歴史を転換させた1979年の五つの出来事: イランのホメイニ革命、ソ連のアフガニスタン侵攻、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の母国ポーランド訪問、中国で鄧小平によって始められたる経済改革、サッチャー政権の成立(翌年はサッチャリズムに倣ったレーガノミクスも)

EUはアメリカが冷戦を戦うための「入れ物」(ヨーロッパのアングロサクソン化)だった、ASEAN(東南アジア諸国連合)、日米安保、NATO(北大西洋条約機構)なども同じである

●原理主義化した「グローバリズム」がもたらした破壊と混迷

●東西ドイツの統一(1990年)によって強大になったドイツを羽交(はが)い絞めに(つまり監視)するための逆張りがEUである

●サッチャーが直面した矛盾(ヨーロッパ統合への反対、貿易障害のない単一市場の利点、スコットランドの独立運動)は自身の失脚(1990年)につながった

●しかし、イギリスにはいわれるほどの「EU依存」はない: ヨーロッパで繁栄しているのはドイツとイギリスだけ

●「アメリカを動かせるイギリス」は安定の要: EUに加盟する東ヨーロッパはドイツ経済圏、西ヨーロッパにとって安全保障上の最大の脅威はイスラムテロとロシアの存在

●ドイツはロシアとの「相互理解」に向かう

●英米の「血の同盟」から見た世界: NATO、金融資本、グローバルな監視機構(インテリジェンス)

●ヨーロッパが再び「動乱の巷(ちまt)」と化す日: ドイツと東ヨーロッパ各国のロシア接近

EUの立ち枯れと形骸化(けいがいか)の動向は不可避

 

第五章 「地獄のオセロゲーム」化するアジア
 

●中露は相互の「核心的利益」を死守すべく結束した

●日米を引き離し、アメリカをアジアから追い出す

THAAD(高高度ミサイル防衛体制)ミサイル配備をめぐる中露と米韓の対立

●2016年6月、日本の海上自衛隊およびアメリカ海軍とともに海上共同訓練を行ったインドが上海協力機構に正式加盟する見通しとなったことは国際政治の常道である(不可思議ではない)

●国益のため日中を「秤(はかり)にかける」アジア諸国とアメリカの中国を見る「複雑な視線」

●日本の高度経済成長時代に唱えられた「雁行(がんこう)的発展モデル」は「鳶(わし)」の登場で四散する: 例、日本の後を追って経済成長を遂げようとしたASEANを中国が攪乱(かくらん)、南シナ海問題における対中包囲網の形勢が逆転して逆包囲網化

●日中に「両張り」するアメリカ: 政策決定に大きな影響力を持つのは国防総省(ペンタゴン)や国務省ではなく究極の国益であるドル基軸通貨体制の維持を主導する金融業界である

●ロシアとドイツが接近する悪夢はヨーロッパだけではなく、中露同盟とともに、歴史的(注参照)にも地政学的にも、悪夢の再来が濃厚になる恐れがある。注、ソ連のスターリンとドイツのヒットラーが電撃的に締結した独ソ不可侵条約

●中国とドイツが手を携える恐怖: 例、AIIB(アジアインフラア投資銀行)、一帯一路構想(21世紀の陸海シルクロード)、戦前ドイツが行った中華民国への人的・武器支援、中国市場におけるドイツ車フォルクスワーゲンの圧倒的な覇権

●イギリスがEUから離脱するとヨーロッパの最新軍事技術がフランスなどから中国に流れる危険性が高まる

●イギリスは今後、親中に動くかは不透明: 習近平主席の訪英(2015年)、中国の融資で中国メーカーによる原子力発電所の建設計画

●「中露独の三国同盟」に日米同盟は対抗できるか: 日本が清と結んだ下関条約(遼東半島の割譲)に対する「三国干渉」(1895年)はドイツが陰で中露双方を操って対日恫喝(どうかつ)の行動に出させたことを思い起こされる 注、三国目のフランスは孤立を恐れて参加した

 

第六章 これから十年、日本はどうすべきか
 

●国際社会のなかで生き残るためには、「早く見つけ」、「ゆっくり行動し」、「粘り強く主張し」、「潔く譲歩すること」が肝要である

●アメリカの方向性を決めているのは誰か: 国防総省でも国務省でもなく、ドライなニューヨークの現実主義であり、その代表的なのがウォール街やメディアである

●CFR(外交問題評議会)の対中戦略が親中から中国批判に変わってきた

●ヨーロッパのかつてない「極右化」を理解するにはそれぞれの国の「空気を読む」ことが不可欠

●中国共産党が経済危機を乗り越えた先の未来: 中国経済の落ち込みも2030年までには回復すると考えられ、同時に国防予算でアメリカを上回る、さらに2030年代にはGDPでも追い越す可能性がある

●日本は幕末の長岡藩が「重武装の局外中立」という路線を選択して失敗したことに学べ: 自力をつけることは大事だが、大勢(たいせい)を見て行動をすることも大事である 注、重装備とは英国製大砲などの最新兵器、局外中立は独立独行の姿勢

●「大きな底流」を見つけるための2つのシナリオを考察: アメリカが中国になびくシナリオではこの二国についていく、あるいはアメリカが中国との妥協に走り始めればもっと先を走る(いずれもリスクは高いが)

●大事なのはアメリカに「位負け」しないこと: 観念論ではなくプラグマティズム(実用主義)で国益を守ることは、「新しいパートナを増やす」「新しい時期がきたと肯定的に捉えて自立を目指す」、「このため大事なときだけアメリカの力を利用する」ことがひつようであるが、アメリカを利用するにはイギリスのように「位負け」しない外交が不可欠

●いまこそ突き抜けた歴史的思考を持て: 日本の針路をめぐる戦いの最大の激戦場は「戦後」への終着と「冷戦後」に固執する勢力が根強い「国内」であり、いかにそれらを正すかが肝要である。ちなみに判断を間違わせる大きな要因は、「新しい見方に惹(ひ)かれること(古い考えと決めつけること)」、「多くの人がそういっていることを根拠にすること」、「わが国に都合が悪いことは口にするなという集団主義的やタブー間隔に発する自己規制」など
 
                             ☆
 
 

<読後感> 「なぜ国家は衰亡するのか」の著者らしく、大局的(巨視的)な視点からの分析により「世界激変の行方」を大胆に分析して、その中で日本はどう対処すべきかを明快に提言する良書である。なかでも、パックス・アメリカーナとパックス・ブリタニカを歴史的視点から詳しく解説し、EUが設立された背景と冷戦が終了したあとの戦略におけるアメリカの失敗、EUの起源や意義、中露と独の関係(各国のパワーバランス)など学ぶことが多い。
 
世界に拡散した経済のグローバル化と民主主義が相容れなくなった事例として、イギリスのEU離脱(自国の独立性を選択)とギリシャのEU残留(EUの恩恵を受けるために自国の緊縮財政や行政サービスの削減などを受け入れた)を挙げて詳しく説明し、グローバルな自由経済主義がもはや限界に直面していることを容易に理解させてくれた。
 
<あとがきにかえて>崩れゆる世界秩序の項においては、いま世界はむしろ「よい方向に向かって動いている」のであると筆者が強調したことが印象的であり、次作においてはその先にある「もう少し素晴らしい新世界」について論じたいと思っていると締めくくったことは大いに期待が持てる。

2016年8月 5日 (金)

デイヴィッド・J・ハンズ著「偶然の統計学」を読む

2015年8月に早川書房から発刊された「偶然の統計学」(1800円+税)を手に取りました。私には、邦題にやや違和感があり、読む前から英文の原題"The Improbability Principle"(ありそうにないことの原理、つまり「ありえなさの原理」)の方が素直なように思われました。私の直感はさて置くとして、ソフトカバー本の黄色地でシンプルな表紙をめくりました。注、著者のデイヴィッド・J・ハント氏はインペリアル・カレッジ・ロンドン数学科名誉教授

                          ☆

 

中表紙の裏側には『真に異例な日というものがあるなら、それは異例な事態が何も起こらない日のことだ』(パーシ・ダイアコニス)との意味深長な言葉が引用されています。

 

「前置き」の項は『本書のテーマは到底起こりそうにない出来事である。考えれば考えるほど起こりそうにない物事がなぜ起こるのかについて語っていく。なぜ次々起こるものなのかも解き明かす』 との言葉ではじまった。

 

1章 不可思議なこと

 

著者は不可思議なこととして、「まったくもって信じがたい」(偶然と呼ぶことは無理がありそうな)事例を世界各地からいくつか列挙したあと、『十分に起こりそうにない出来事は起こりえない』(つまり、確率が十分に低い事象は決して起こらない) とする「ボレルの法則」を引用して読者を困惑させる。著者が説明しようとする「ありえなさの原理」(確率の低い出来事は次々起こる)とは明らかに相容(あいい)れない。しかし、著者はこの矛盾を解消するというのである。

 

2章 気まぐれな宇宙

 

出来事の背後にある原因を理解したいという本能的な欲求に突き動かされ、私たち人間はパターンを、出来事の連鎖を探す。そして、迷信が生まれ、予言する能力を持つという人が出現し、神々による奇跡が信じられ、信仰としての超心理学と超常現象が語られ、これらがシンクロニシティー(共時性)・形態共鳴 などの考えにつながった。17世紀から20世紀初頭までの間に進歩した科学は「時計仕掛けの宇宙」(はっきりした道筋を時々刻々進んでいる宇宙)の自然観を生んだが、20世紀を通して長足の進歩を遂げた科学は 『ランダムさと偶然が根底にある確率の基本法則が宇宙にも当てはまる』 ことを我われに理解させるようになった。

 

3章 偶然とは何か?

 

偶然には驚きの要素が必要であり、超自然と捉(とら)えがちであるが、科学的には確率という概念が長い時代を経て受け入れられるようになった。その過程において、偶然を定量化する試みがニュートンなどの科学者やケインズなどの経済学者によって行われてきた。興味深いことに、確率論が最初に注目された領域はギャンブルである。つまり、サイコロを振った時に出る目やコイントスで表と裏が出る頻度(ひんど)についての考察である。
 
確率論の研究が進展して2つの事実、「本質的に不安定な系が存在すること」(バタフライ効果)と「何ものも完璧な精度では測定できないこと」(不確定性原理)が旧来の決定論(時計仕掛けの宇宙)の正確さに疑問を投げることとなった。注、前者は 『アマゾンのジャングルにおける蝶のはばたきが、不確かさの仕組みで増幅され、地球の裏側で暴風が起こる』 可能性があるという考えであり、後者は量子力学においてよく知られるハイゼンベルグの不確定性原理である。

 

著者が「ありえなさの原理の表れ」を解説する、4章 不可避の法則、5章 超大数の法則、6章 選択の法則、7章 確率てこの法則、8章 近いは同じの法則、9章 人間の思考(思考に癖がある)、10章 生命・宇宙・その他もろもろ、の各章についての説明は省略する。

 

11章 ありえなさの原理の活かし方

 

『到底起こりそうにないとみなす出来事が起こるのは、私たちの理解が誤っているからだ』 と著者は指摘する。つまり、『そう見えたことを疑う根拠が存在することをもって、ほかの説明を探すことが統計学的な推論の基本である』 ともいう。

 

結び

 

著者は、古代ローマの文人ペトロニウスの言葉 『偶然はそれなりに理由がある』 を引用し、ありえなさの原理はアインシュタインの特殊相対性理論の帰結 ”E=mc2” のように1つの数式ではなく、より糸の集まり(前述した多数の法則の集合体)であるとした。つまり、「不可避の法則」によると、何かが必ず起こる。「超大数の法則」によれば、機会の数が十分にたくさんあれば、どれほどとっぴな物事も起こっておかしくなくなる。「選択の法則」に言わせると、事象が起こったあとに選べば確率は好きなだけ高くできる。「確率てこの法則」によると、状況のわずかな変化が確率に大きな影響を及ぼしうる。「近いは同じの法則」によれば、十分に似ている事象は同一と見なされる。これらの法則を再確認することで、「尋常ではない」出来事にもほとんど驚かなくなるとして、数件の事例を紹介して本文を締めくくった。

2016年5月 7日 (土)

「銀翼のイカロス」を読む

連休中に読んだ本を紹介します。池井戸潤著「銀翼のイカロス」(1500円+税)は2014年にダイヤモンド社から刊行されたソフトカバー本です。私にとっては「果つる底なし」「M1」「株価暴落」「空飛ぶタイヤ」「オレたち花のバブル組」「オレたちバブル入行組」「ロスジェネの逆襲」「ルーズヴェルト・ゲーム」「下町ロケット」に次ぐ10作品目(半沢直樹シリーズでは4作品目)に当たります。

 

まず、本書の変わったタイトルについての私見を述べます。「イカロス」とはギリシャ神話に登場する人物で、蝋(ろう)で固めた翼によって自由自在に飛ぶ能力を得ましたが、太陽に接近し過ぎたことで翼が溶けてしまい、墜落して死を迎えることになります。ちなみに、この物語は人間の傲慢(ごうまん)さや技術信仰を批判する神話として知られています。つまり、「銀翼のイカロス」は飛行機にかかわる傲慢(ごうまん)な人間を象徴しているようです。

 

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物語はある銀行員が書いた短い遺書で始まりました。

 

序章 ラストチャンス

 

十月のある夕方、東京中央銀行営業第二部次長半沢直樹は部長の内藤寛(ひろし)に呼び出された。部長室へ向かった半沢は内藤から役員会のあと頭取の中野渡(わたり)(けん)から営業第二部で新たに一社を担当するよう指示があったことを知らされる。業績不振に陥っている帝国航空である。同じ資本系列の東京中央商事が同社への出資を検討しているとの情報もあった。これまで帝国航空を担当していた審査部との引き継ぎを即日終えた半沢はさっそく帝国航空の神谷巌夫(かみやいわお)社長のもとへあいさつに出かける。審査部の前任者である曾根崎(そねざき)と帝国航空の財務部長山久登(やまひさのぼる)などが同席。

 

初日の突っ込んだやり取りを通じて、現状と両社の認識(危機感)の違いが明らかになったことで、半沢は修正再建案づくりを手伝いたいと申し出る。財務畑出身の神谷社長はあれこれ理屈を並べて執拗(しつよう)に抵抗した。それにかまわず、半沢は修正再建案の素案を作成して、帝国航空に提案することにした。そして、半沢以下の帝国航空担当チームによって慎重な検討が重ねられ、十一月に入って間もないころに修正再建案の骨子が固まった。しかし、半沢からその案を聞いた帝国航空の山久財務部長は取りつく島がない態度である。

 

その直後、大きな動きがあった。東京中央商事が帝国航空への出資を見送ると通告したのだ。一縷(いちる)の望みを絶たれた神谷社長は半沢の修正再建案を検討することを決めた。十二月に行われた衆議院選挙で野党の進政党が地滑り的に勝利したことで、国土交通大臣に就任した白井亜希子(元アナウンサー)は前大臣の私的諮問機関である有識者会議の解散と修正再建計画の白紙撤回を決め、改めて帝国航空の現状を精査する帝国航空再生タスクフォースを立ち上げると発表した。企業の命運を政治の道具にする白井大臣に半沢は根本的な不信感を抱く。

 

第一章 霞が関の刺客

 

年が明けた一月上旬、帝国航空再生タスクフォースの臨時オフィスが帝国航空本社の25階に設置された。リーダーは大手企業の再建実績が豊富な有名弁護士の乃原正太(のはらしょうた)、サブリーダーは外務省のキャリア官僚から外資系ファンドに転身した異色のキャリアを持つ三国宏である。弁護士や公認会計士など約100名のスタッフによって資産査定などが行われた3か月後、取引銀行に対して再建案に関する面談の要請があリ、半沢が乃原と面談することになるが、乃原と三国は銀行を下に見ていることがその態度から明らかである。乃原は帝国航空の早急な復活には債権の7割を銀行団が放棄することが必要であるとして東京中央銀行に検討するよう要求した。

 

持ち帰った半沢はこれを受けるべきではないとのメモを付けて上申するが、頭取以下の幹部はもう少し検討するようにとの指示を半沢に下した。帝国航空のメーンバンクである政府系の開発投資銀行を訪れた半沢に応対したのは帝国航空チームを率いる(実務責任者である)企業金融部第四部次長の谷川幸代(たにがわさちよ)である。半沢のストレートな質問に答えて、個人的には半沢と同意見であるが、政府系金融機関としての役割があると開発投資銀行の立場を抽象的に説明するにとどめた。四月になったある日、半沢は乃原から呼び出しを受けて出向くと、半沢が債権放棄に反対しているとの情報をどこからか得たと思われる乃原は汚い言葉で半沢を恫喝(どうかつ)するが、半沢は怯(ひる)まず反論する。開発投資銀行の谷川も半沢と同様、行内における債権放棄の動きに抗(こう)しかねていた。

 

第二章 女帝の流儀

 

乃原リーダーから債権放棄に否定的な担当者がいると吹き込まれた白井大臣は多数の部下を引き連れて東京中央銀行に乗り込んできた。いわゆる「カチ込み」(殴り込み)である。頭取以下の幹部たちと担当者である半沢に向かって帝国航空を再建する必要性と東京中央銀行の動きが悪いと迫るが、中野渡頭取は落ち着き払って対応する。白井大臣の矛先(ほこさき)は担当である半沢にもおよぶが、半沢は一歩も引かないだけではなく、論理的にはんろんする。債権回収部門を統括する紀本常務は快(こころよ)く思っていない半沢を叱責(しっせき)するが半沢は動じない。

 

白井大臣・乃原リーダー・民進党の重鎮である箕部啓治(みのべけいじ)代議士・東京中央銀行の紀本常務らの長きにわたる意外な関係が明かされる。(詳細略)

 

第三章 金融庁の嫌われ者

 

金融庁の検査官である黒崎俊一が10名の部下を引き連れて帝国航空に関するヒアリングのため東京中央銀行を訪れた。伊勢島(いせじま)ホテルへの融資の件(「オレたち花のバブル組」参照)で半沢と激しくやりあって半沢への憎悪を見せた人物である。黒崎は金融庁の権威と権限を背景に半沢が担当する前の貸付について乱暴かつ粘着質の質問を次々と投げつける。前任者である曾根崎は知らん顔を決め込む。こうして金融庁の書類審査が始まった。黒崎は東京中央銀行の審査が杜撰(ずさん)であると決めつけた上で、同行が金融庁に報告した帝国航空の再建策の数値が帝国航空による発表と異なると指摘した。

 

半沢は同期の渡真利(とまり)次長から今回の金融庁によるヒアリングの陰に白井大臣と箕部が動いていたことを教えられる。そして、帝国航空へ確認に向かっていた部下の田島の報告は 『発表したとおりの数値を東京中央銀行審査部の曾根崎次長に手渡した』 との証言を帝国航空の財務部長から得たというものである。ただちに半沢は曾根崎に問いただすがシラを切る。曾根崎がそのことを紀本常務に報告すると、帝国航空の山久財務部長に協力してもらえとの指示を受けた。

 

翌日のヒアリングでは思いがけない展開となる。黒崎の追求に対して曾根崎が資料を作成したのは自分であり、帝国航空からもらった資料が検討中の素案であったと発言したのである。この発言によってテーマは与信引き当てに移った。それについても黒崎の追求は微に入り細に入った。半沢は調査が行き届いていなかったと謝罪せざるをえない。黒崎は勝ちほこったように 『指摘事項への回答書を出すことを要求する。それに対する意見書は金融庁長官から東京中央銀行頭取に直接手渡しするが、その様子をマスコミに公開する』 と宣言して長かったヒアリングの終了を宣言した。金融庁の立場を守るためであることは明らかであった。

 

曾根崎次長は帝国航空の山久財務部長に 『検討中の資料を手渡したとする状況報告書を作成してほしい』 と依頼するが山久財務部長はこれを拒絶した。曾根崎次長に泣き付かれた紀本常務が曽根崎を同行して再度山久財務部長のもとを訪れるが、山久財務部長は 『事実を記載した状況報告書を半沢に手渡した』、という。万事休すとなった曾根崎次長は、東京中央銀行へ戻って半沢に詰め寄るが、半沢は 『その資料はすでに上層部へ回した』 という。そして、曾根崎次長と山久財務部長の会話を録音した音声が営業本部フロアの第二営業部内に流れた。曾根崎次長は半沢の言うとおりに半沢と元の部下たちに謝罪した。

 

第四章 策士たちの誤算

 

半沢は債権放棄を拒否する内容の稟議書を再度上げた。それを審議する臨時役員会では旧東京第一銀行系の紀本常務をはじめとする役員と部長たちが政治的な判断で債権放棄を受け入れるべきだとの意見を述べた。説明者の内藤第二部長は銀行の矜持(きょうじ)について熱弁を振るうが、紀本常務による思い掛けない進退をかけた反論があり、中野渡頭取は債権放棄を主張する紀本常務に本件を任せるという。内藤第二部長は開発投資銀行も同意することを条件としてほしいと願い出て中野渡頭取の了承を得た。半沢の意見を反映したものである。

 

白井大臣、箕島代議士、紀本常務が祝杯を挙(あ)げているところに遅れて参加したのは再生タスクフォース・リーダーの乃原正太、帝国航空の再建を強引に実現させるシナリオを描いた男である。翌日に予定される再生タスクフォースの合同報告会とその後の記者会見にギリギリ間に合ったのである。また、開発投資銀行の民営化の是非についても翌朝の閣議で決定されることになっている。半沢は開発投資銀行の谷川次長から民営化されれば債権放棄はなくなるだろうが、財務大臣が民営化に反対しているため、その可能性はほとんどないと聞いている。

 

再生タスクフォースの合同報告会がはじまり、乃原リーダーの高飛車な挨拶に続いて、サブリーダーの三国が与信残高の少ない銀行から検討結果を報告するよう指示した。最初の銀行は与信額がわずかであるあるため債権放棄に賛成したが、2番目以降の銀行は主力および準主力の対応に準ずると玉虫色の報告をした。いらだった乃原リーダーは半沢に東京中央銀行行の検討結果を報告するよう迫る。半沢が説明をはじめたタイミングに開発投資銀行の担当者たちがあわただしく入室してきた。乃沢リーダーが繰り返した質問に対して、半沢は 『東京中央銀行はこの債権放棄を拒絶します』 と答える。

 

『東京中央銀行は債権放棄を役員会で決議したはずだ』 といいながら怒り狂う乃沢リーダーに向かって半沢は 『開発投資銀行が債権放棄に同意した時に限るという条件がついている』 と補足した。半沢は矢沢次長から開発投資銀行の民営化が閣議決定されたとのメールを直前に受け取っていたのだ。そして、谷川次長は 『開発投資銀行は債権放棄の要請について見送ることにした』 と説明すると、乃沢と三国の両名は茫然自失(ぼうぜんじしつ)に陥(おちい)った。乃沢は捨台詞(すてぜりふ)とともに合同報告会の閉会を告げた。

 

第五章 検査部と不可解な融資

 

合併する前の旧東京第一銀行における簑部啓治代議士への個人融資が5年間も担保(たんぽ)がなかった20億円の問題(情実)融資案件の存在を知った半沢はそれを調べ始める。(詳細は省略)

 

第六章 隠蔽(いんぺい)ゲーム

 

情実融資された20億円の用途が次第に明らかになって行く。(省略)

 

終章 信用の砦(とりで) (省略)

 

<読後感> 半沢直樹シリーズの最新本は、半沢自身の成長を反映したもので、それまでの3作品とは一味違うものでした。絶体絶命の窮地(きゅうち)に陥(おちい)りながらも問題の解明と解決に向かって一歩一歩と突き進んでゆくバイタリティと彼を支援する同僚たちの存在は前作品群と同じですが、銀行員の矜持(きょうじ)と組織における個人の立ち位置の難しさを強く感じさせます。ストーリー展開は池井戸潤氏の作品らしくテンポがよく、かつ終始痛快ですが、本書はサラリーマンとして半生を過ごした私に宮仕えの難しさをあらためて思い起こさせました。

 

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例によって、本書に登場した「難読漢字」を以下にリストアップしますので、興味のある方は楽しんでください。

 

従容(しょうよう)

騒擾(そうじょう) 注、騒乱

層倍(そうばい)

公租公課(こうそこうか)

奸知(かんち) 注、悪賢い知恵

険相(けんそう)

双眸(そうぼう)

隋徳寺(ずいとくじ) 注、ずいと跡をくらます意

睥睨(へいげい)

思料(しりょう)

泰斗(たいと) 注、その分野の第一人者として尊敬される人

野趣(やしゅ)

敵愾心(てきがいしん)

顰(ひそ)める

飄々(ひょうひょう)

睨(にら)む

贔屓(ひいき)

荷担(かたん) 注、加担とも表記

領袖(りょうしゅう)

莞爾(かんじ) 注、にっこりと笑うさま

窺(うかが)う

手練手管(てれんてくだ)

呻吟(しんぎん) 注、苦しんで呻(うめ)くこと 

唾棄(だき)

繙(ひもと)く

苛立(いらだ)ち

俄(にわか)に

喧騒(けんそう)

親炙(しんしゃ) 注、親しく接してその感化を受けること

居竦(いすく)ませる

掬(すく)う

静謐(せいひつ) 注、静かで落ち着いていること

四囲(しい)

訝(いぶか)しむ

芬々(ふんぷん)

平仄(ひょうそく) 注、物事の筋道がたたない

滾(たぎ)る

顰蹙(ひんしゅく)

挺身(ていしん)

出精(しゅっせい)

憐憫(れんびん)

櫛風沐雨(しっぷうもくう) 注、世の中の さまざまな辛苦にさらされることのたとえ

仄聞(そくぶん) 注、人づてや うわさなどで聞くこと

熾火(おきび)

彷徨(さまよ)う

霹靂(へきれき)

刮目(かつもく)

直截(ちょくせつ) 注、すぐに裁断を下すこと

2015年12月16日 (水)

和田竜著「村上海賊の娘」を読む(後編)

≪下巻≫ 上巻のダイナミックなストーリー展開のあと、村上武吉(たけよし)の娘、景(りょう)の活躍を期待しながら下巻の頁をめくりました。見開きには、『オレならできる。この木津川を通りたいちゅうんやったら、束になって掛かって来んかい。死んでも通さへんど! それぞれに迫られる決断、そして自分はどうありたいか、という問い』とあります。

 

第三章(承前)>

 

門徒の大軍は二手に分かれて、それぞれに大坂本願寺と木津砦にかけ戻ろうとしていた。大坂本願寺へ向かう門徒たちは織田方の兵三千に追いかけられながら逃げ続けた。天王寺砦を突出した七五三兵衛(しめのひょうえ)は馬を激走させていた。雑賀党は城戸口(きどぐち、城門)に近づくと孫市の指図で反転した。そして、種子島を放ったあと各自落ちのびて本願寺の南西30kmに位置する貝塚御坊に集(つど)い、そこで再起を図ると配下の門徒たちに指図(さしず)した。

 

孫市の合図で一千発の弾丸が敵の喉元(のどもと)に襲い掛かった。配下の兵に散れと命じた孫市は敵の側面に向けてかけ続けた。敵の総大将をなんとか見出した孫市は二町(約220m)ほど離れた信長に狙いを定めて引鉄(ひきがね)を引いた。その瞬間、騎馬で疾駆(しっく)してきた何者かが信長に飛び掛って、ともに地に転がった。倒れこんだ信長に声を掛けたのは七五三兵衛であった。仕損じた孫市は戦場から離脱にかかった。

 

自らが連れてきた門徒たちを連れ帰ろうとする景の声は門徒たちに拒絶されてしまったことで、景は大きな衝撃を受け、景親とともに能島に帰ることを決心する。砂堆(さたい)の葦(あし)原を掛ける孫市は同じく葦原を歩く景と景親を見つけて二人を種子島で脅した。関所を抜けるために二人を利用しようと考えたのだ。そこへ孫市を追う七五三兵衛が現れるが、葦の陰から種子島で狙われている二人は孫市のことは知らないと偽(いつわ)る。孫市が懸念(けねん)した通り三人の前に関所が現れた。村上海賊の景だと名乗ると関所の兵は三人の通行を許した。

 

天王寺砦へ戻った七五三兵衛は息子の次郎と父道夢斎とともに信長に御目見得(おめみえ)を許され、主だった泉州侍も同席することになった。信長は道夢斎のことをよく知っていた。御目見得は無事に済んだと思われたが、信長には別の魂胆(こんたん)があったのだ。毛利家より大坂に兵糧入れをする噂があるため、泉州の侍衆は住吉の浜に砦を築き、木津川河口より入ろうとする船をことごとく沈めよと指示した。加えて、泉州侍は海上にて眞鍋七五三兵衛が支配することも言い渡したことで、泉州侍たちは衝撃を受ける。七五三兵衛も同様であった。強大な村上海賊と戦うことになると考えたからである。

 

住吉浜に着いた景と景親は二艘の巨大な安宅と百艘はあろうかという小早を見た。天王寺砦に入る時に七五三兵衛が廻送させたのである。景の顔を覚えていた兵は能島の者がいることを告げた。景に命じられて能島へ帰ろうとしたが、景の身を案じて戻ってきたのだ。景親に言われて景は関船で能島に帰ることを決めた。真鍋の兵を従えた七五三兵衛も住吉浜に姿を現した。兵から景のことを聞いても何の思いもなかった。天王寺砦での景の振る舞いに呆(あき)れた七五三兵衛は軽蔑(けいべつ)の色しかない。

 

七五三兵衛は安宅と小早を展開して木津川の河口を封鎖した。この様子は上町台地の大坂本願寺からも目にすることができ、雑賀の孫市が案じた通りのことが起こったことで、門主の顕如(けんよ)は言葉を失った。景親は難波海が塞(ふさ)がれると景に訴えるが、景は関心なさげに目を逸(そ)らした。安宅の舳先(へさき)では七五三兵衛と道夢斎が屹立(きつりつ)して明石の瀬戸のかなたに消えようとする景の関船と二艘の小早が夕日に呑()まれて姿を消すのを見ている。『おどれら、瀬戸内の海賊どもに泉州海賊の戦ちゅうもん見せちゃらんかい。小舟一艘通したあかんど』と七五三兵衛は叫(さけ)んだ。

 

第四章>

 

住吉浜を出航してから十一日後、景(きょう)と景親(かげちか)は能島の西の浜に戻った。そこで景はおびただしい数の軍船が停泊しているのを見て驚いた。三百艘くらいだろうか。兄元吉の前に出た景は、いつもとは違う神妙な顔で、これまでの至らない振る舞いを詫(わ)びた。肩透(かたす)かしを食らった元吉は景親に軍船のことを問われて、能島村上は毛利家に味方することになったという。そして、就英(なりひで)が景をもらうことを承知したことも告げた。景親は織田家が難波海を封鎖したことを伝える。やはり、戦になることは明らかである。

 

武吉はというと、大三島にある三島神社で戦勝祈願のため連歌の興行を十日も続け、毛利家の指図があるにもかかわらず、軍船を一艘たりとも動かそうとしない。そこへ来島の吉継と因島の吉充がやって来た。二人とも軍船をすべて毛利方乃美宗勝のみむねかつ)の賀儀城かぎじょう)へ移していた。武吉は「上杉謙信立つ」の報()らせを待っているのだ。小早川隆景こばやかわたかかげ)の考えを妥当(だとう)だと思っている。これが吉継には分からない。しかし、吉継が案じた通りの連歌興行は実に二カ月半も続き、七月下旬にようやく終わりを迎えることになる。

 

吉継が武吉を咎(とが)めているところへ能島の家臣が馳(は)せ参じて景姫が帰還したことを報告したことで、武吉は鳥居に向かって歩を進めた。景に会うため能島に戻るのだ。武吉は戦をもう見たくないという景を慰(なぐさ)める。それ以来、景は吹っ切れたように元の明るさを取り戻す。武吉は相変わらず能島と大三島を往復している。景が帰還してひと月近くも経(た)ったころ、武吉の元に越後の上杉謙信が門徒と和議に至り、織田方の分国に攻め入るとの噂(うわさ)があるとの報(し)らせをもたらした。

 

武吉(たけよし)は元吉(もとよし)に、賀儀城へ行き、毛利家と合流せよと命じた。元吉と景親は三百艘の軍船を率いて出航していった。そして、その日のうちには毛利家の船団と合流した。これにより、毛利家の船団は一千艘(そう)に膨(ふく)れあがった。乃美宗勝(のみむねかつ)は本願寺から依頼された兵糧十万石のうち、積み残した分を能島村上家の船に入れさせ、翌日、積み込みが終わると、ただちに岩屋へ向け出航を命じた。

 

先鋒の児玉就英の船団は淡路島北端にある岩屋城の西側に着岸したが、続く村上元吉はあえて東側(難波海側)に向かった。織田方に軍容を見せつける狙(ねら)いがあるのだ。他の村上海賊もこれに倣(なら)ったことで、木津川河口を封鎖する七五三兵衛だけではなく本願寺の門主、顕如(けんにょ)からも大船団が確認できた。しかし、元吉も七五三兵衛の船団三百を前に瞠目(どうもく)していた。毛利方の船団は七百艘が戦力のない兵糧船で、兵船は三百艘と織田方と同数である。また兵船に乗り組む兵は水夫の半数なのだ。

 

同数だという就英(なりひで)に対して吉充(よしみつ)は目算違(もくさんちが)いだという。毛利家と織田家を天秤(てんびん)にかける淡路国を領有する安宅(あたか)家の来襲に備えるとすれば二百艘でしかないのだ。吉継(よしつぐ)もうなずく。気勢が上がらないのに業を煮やした就英は宗勝に意見を求めた。軍議が始まってからずっと機会を窺(うかが)っていた宗勝は頃合いと見て、主人の小早川隆景から託された密命を披露(ひろう)した。

 

それは上杉謙信が出陣するまで岩屋城で待つというものである。期限は本願寺が包囲されてから三か月(残り二週間ほど)とし、その期限が来れば引き返すという。毛利家直臣(じきさん)の就英は反発するが、吉充、元吉、吉継はいずれも宗勝に従うとしたことで、軍議の結論が出た。

 

織田方も軍議を開いていたが、毛利方の実戦力がつかめない。その上、三百艘の兵船のうち百五十艘は伊丹の有岡城に滞陣する荒木村重に信長が命じて用意させたものであり、操船と戦闘を即席で教えたばかりの泉州侍に百五十艘を任せ切るほかなかった。このため、どちらからも攻めかかることはなかった。

 

能島では景が船団の凱旋(がいせん)を待ち焦(こ)がれている。その様子を見て安心した武吉はつい本当のことを景に明かしてしまった。息子たちに決して明かさなかった腹の中を我が知恵を誇るように披露(ひろう)する。武吉の判断は間違いであった。顔色を変えた景は武吉を問い詰めた。そして、自分が待っていたのは門徒たちが助かったとの報らであることを知る。呆気(あっけ)にとられる武吉をあとに、裸になった景は、荒海に飛び込んで化粧を落とすと、そのまま西の浜へと泳いだ。

 

兵の小袖(こそで)を取り上げて着ると、景は関船に向かった。訳を聞く武吉に向かって門徒たちを助ける理由を景は涙ながらに話す。泉州侍との戦いが待っていることと、児玉就英との婚儀の話はなくなることも景は承知している。『景よ、行け』と武吉は励(はげ)ますと、兵どもも我先にと関船へ殺到(さっとう)した。岩屋城では期限を翌日に控えていた。そこへ能島から景きょう)が到着したとの報(しら)せが入った。吉継はたちまち青ざめた。思ったのは「鬼手(きしゅ)」である。

 

宗勝と元吉をはじめとする村上海賊が明日帰ると聞いた景が眞鍋七五三兵衛に掛け合いに行くと言って浜に向かうと、浜の狂乱は一層激しさを増した。続々と小早(こはや)を押し出して、今にも対岸の敵に打ちかからんばかりの勢いである。それを一喝(いっかつ)した景は元吉が止めるのを聞き入れない。すると就英が自分も行くと言い出した。さらに、宗勝までが景に頼りたいので行くのを許してやってほしいと元吉にいう。景は就英を乗せた小早の櫓()を漕()ぎ始めた。

 

先頭の安宅にいた道夢斎の取り次ぎで景と就英は七五三兵衛がいる後陣の安宅へ向かった。泉州侍と就英が見守る中、景と七五三兵衛(しめのしょうえ)の掛け合いが始まった。泉州侍たちの多くは景から毛利方には一千艘の兵船があること聞くと、織田家は兵船の増強に応じないこともあり、毛利方と和議を結び、さらには毛利方につくことまでを期待していることは明らかだ。和議に賛同する泉州侍の声を聞いた景は和議が成ると思った。しかし、七五三兵衛は『負けると分かっていても戦う』と答える。景は嘘(うそ)や「はったり」をもって対した自分を恥(は)じた。

 

岩屋城へ戻った景は毛利方の考えが変わらないことを確かめると、再び小早を一艘目立たない場所へ移動させ、今一度難波海を渡ることにした。そこへ現れた景親は景が愛用する太刀と手甲(てこう)を手渡しながら、『貝塚へ行くつもりじゃな』と景の考えを言い当てた。景はうなずいた。この姉弟しか知らないことだ。一向宗の拠点の一つ、貝塚御坊にいる雑賀(さいが)党の鈴木孫市に加勢を頼むつもりだ。織田方の関所を抜けたとき、『役に立てることがあれば、力を貸そう』と言った孫市の言葉を思い出したのだ。

 

第五章>

 

毛利家の船団は隊列を組んで淡路島を離れて西方へ向かう様子が眞鍋方の船団と大阪本願寺からも確認できた。門主の顕如(けんにょ)は愕然(がくぜん)とし、眞鍋七五三兵衛は何かの軍略かと思った。毛利家の船団が去り始めて程なくすると陽が沈み、月が見え始めた。七五三兵衛は淡路島を睨(にら)み続けている。最後に島の東側からも殿軍(しんがり)である三百艘ほどの船団も明石の瀬戸過ぎて闇(やみ)に掻(か)き消された。

 

七五三兵衛は一杯喰(いっぱいく)わされてと思った。兵たちが溜息(ためいき)を洩(も)らして、ぼやいていると、淡路島の南から明かりを点けた船団が近づいて来るのが見えた。船団は余りにも寡兵(かへい、少数の兵力)で五十艘ほどである。七五三兵衛は兵に陣貝を吹かせた。先頭を七五三兵衛と道夢斎の安宅が二艘並んで、その後に小早が続く「長列の陣」の隊列を組んだ総計百五十艘の船団は南方の敵に向かって直進した。

 

正体不明の敵は、見る間に眞鍋家の船団に迫った。両者の距離が一町(約110m)を切ると、その軍容が明らかになった。五十艘はすべて小早で、しかも通常の半分程度の大きさに過ぎない。先頭を切る小早に視線を落とした七五三兵衛は舳先(へさき)で仁王立ちしている武者を見た。『あいつが、なんでいてんや』とつぶやき、次いで『景姫、よう来た!』と満面に笑みを湛(たた)えて吠(ほ)え上げた。(以下略)

 

終章

 

織田家と毛利家が初めて干戈(かんか、武力)を交えた木津川の合戦は毛利方の勝利で終わった。この合戦に参加した泉州兵の戦死者は一千五百人余りとされる。織田方の兵船が三百艘とすると、合戦に参加した泉州の兵と水夫を合わせた総数の四分の一から五分の一が討ち死にしたことになる。小早川隆景があれほど待ち望んだ上杉謙信は動かなかった。

 

木津川合戦が勃発(ぼっぱつ)したとの報せを居城の安土城で聞いた信長は再び出陣する。また、本願寺攻めの総大将となった佐久間信盛が天王寺砦から木津砦を目指して突出したが、門徒が迎え討ったため天王寺砦に引き返してしまう。海陸ともに敗北したこと、および海戦で毛利方が火薬を詰めた大玉を使い大船を焼き沈めたことを知らされた信長は「鉄の船」が必要だと考える。

 

門主の顕如は村上海賊と毛利の将たちを大阪本願寺に招(まね)き入れ、丁重(ていちょう)に礼を言ったという。景(きょう)と孫市は大阪本願寺へは行かない。景は能島に戻り、孫市は本拠の紀州に退去した。信長は伊勢国の海賊衆、九鬼嘉隆(くきよしたか)に命じて鉄張船(てつばりぶね)を建造、難波海に就航させたことで、難波海の制海権を奪い返した。これにより木津川合戦の四年後、大阪本願寺は織田信長にその地を明け渡す。その他、登場人物たちについての後日談が続くが、景(きょう)については来島の侍に輿入(こしい)れしたことだけが記(しる)された。

 

                             ☆

 

読後感> 和田竜氏らしくダイナミックなストーリーが展開される歴史小説でした。特筆されることは、和田氏の卓越した描写力で、「登場人物の人となり」「泉州弁での会話の面白さ」「戦闘シーン」などにおいて読者の想像力を強烈に刺激します。私同様、読者は映画を観る以上のリアリティを感じることでしょう。また、歴史に興味がある私は、古文書から引用された記述や難解な言葉の解説がスパイスのように働いたことで、1000頁近い長編小説を一気に読破してしまいました。しかし、歴史や歴史小説に興味が薄い方にとって難行苦行かもしれません。□

2015年12月15日 (火)

和田竜著「村上海賊の娘」を読む(中編)

第三章>

 

景(きょう)が天王寺砦に入った翌日、2kmしか離れていない大坂本願寺の木津砦(きづとりで)とその北方1kmほどにある三津寺砦(みつでらとりで)への織田方による攻撃が始まった。三千八百の軍勢の先陣を担う泉州(せんしゅう)侍、三好(みよし)勢、根来(ねごろ)衆の最前線に立つのが武勇を誇(ほこ)る泉州侍、その先鋒(せんぽう)は触頭(ふれがしら)である沼間義清(ぬまよしはる)である。次いでもう一つの触頭である松浦安太夫、三番が眞鍋七五三兵衛(しめのひょうえ)である。馬上の沼間義清はなぜか上町(うえまち)台地を大坂本願寺へ向かって駆(か)け続けている。大坂本願寺を襲(おそ)うと見せかけて木津砦の兵(ほとんどが百姓)をたちを油断させる作戦であった。

 

頃合いを計った義清は突然左手に進路を変えて木津砦の正面(東側)に出た。これに驚いた木津砦の百姓たちは戦意を失いかけるが、木津砦を預かる坊官の下間頼龍(しもつまらいりゅう)は鍛(きた)え抜かれた舌三寸で門徒たちを動揺から立ち直らせた。義清が逆茂木(さかもぎ)に達し、両軍から矢が放たれた。木津砦の兵力二千は砦で防戦するには十分の兵力である。砦から放たれた矢の数は予想外の多さであるが、勢いが足りないため沼間家の軍勢にほとんど届かない。

 

逆茂木を抜き終わった義清(よしはる)は砦目指して駆けた。砦に迫る敵を見下ろした頼龍は距離を見定めて門徒たちに二の矢を命じた。義清の読み違いであった。一向宗門徒たちの性根(しょうね)を甘くみたのだ。さらに義清を驚かしたのは葦原(あしはら)の先にある大きな水堀だ。幅は十間(約18m)、深さは三間(約5.4m)もあり、底はぬかるんでいる。南側の三好勢は堀越しに、北側の根来衆は木津川の支流越しに矢と鉄砲を射かけるだけで一向に土塁(どるい)にとり付かない。

 

膠着(こうちゃく)状態に業を煮やした義清は馬を降りて水堀に入った。一番馳(は)せである。だが、義清に続くものは誰一人としていない。義清は大音声(だいおんじょう)に名乗りを上げた。これを見た七五三兵衛は槍のような一間半(約2.77m)もある長い銛(もり)を掴(つか)むと最前線まで駆(か)けた。カジキを仕留める銛(もり)を砦に向けて渾身(こんしん)の力を込めて投げた。義清に銃口を向けて狙う門徒たちに放てと命じようとした頼龍をかすめて銛が後方の壁に突き刺さった。銛は5人の体を貫(つらぬ)いている。義清は砦の中で何が起こったのかは分からないが、七五三兵衛の姿を見てそれを察した。義清が上げた大声に従って沼間家の軍勢五百が堀へ飛び降りた。

 

これを見た大坂本願寺からは雑賀党(さいかとう)が突出してきた。雑賀党の鈴木孫市は上町台地際の一団(約一千の兵)に照準を合わせた。木津砦を攻めるために難波砂堆(なにわさたい)へ下った軍勢の後方に敵の総大将がいるはずだと考えたのだ。しかし、部下には天王寺砦に向け駆け続けるように命じた。一方の原田長政も雑賀党の来襲に気づいて、自ら雑賀党を殲滅(せんめつ)しようと考えた。6年前の信長がその射撃の術にさんざん苦しめられたことを知っているからだ。

 

先陣として木津砦を攻めるように直政から命じられた七五三兵衛は、直政の意図に気づいて、直政を守るために崖(がけ)の上を目指して馬を駆(か)った。しかし、七五三兵衛が五町(約550m)の距離まで追いついた時に直政の軍は雑賀党軍とすでに一町(約110m)に迫ろうとした。直政が三百人の鉄砲衆に射撃を命じた。最前列が百人、その後ろに二百人が二列になって控える信長の考案した三段撃ちであった。雑賀党はどういうわけか無言のまま整然と寄せて続けている。

 

直政にはそれが一年前の長篠(ながしのの)合戦で敵対した武田の騎馬武者たちのように見えた。その時、直政は三段撃ちを成功させた体験があるのだ。直政は勝利を確信して采(さい)を振った(采;指揮すること)。孫市はわずかに左手を動かすと、軍勢はたちまち陣形を変えた。そして、雑賀党の一千の銃口は轟然(ごうぜん)と火を吹いた。これに合わせて直政方の百の鉄砲も撃発(げきはつ)。凄(すさ)まじい白煙が薄れる中、直政が見たものは自らの鉄砲隊が全滅している光景であった。雑賀党はといえば、見慣れぬ三段構え(腹射、折敷、立射)での一斉射撃を終えて、次なる射撃に備えていた。しかも、直政の軍勢(最前列になった槍衆)をじっと見据(みす)えつつ、槊杖(さくじょう)で弾を銃口に押し込んでいるのだ。

 

直政は裏崩(うらくずれ、後方部隊の混乱)した自軍を押しとどめようとするが、騎馬武者までもが敗走する状況は止まらない。討ち死にを覚悟(かくご)している直政は采(さい)を振り続けたことが仇(あだ)になった。雑賀党軍から密かに離脱した孫市は、敵の軍勢から一町(約110m)ほど離れた草むらに身を伏(ふ)せて、采を振る敵の総大将に照準を合わせた。七五三兵衛が直正の姿を見出すと同時に銃声がして直政が馬上から吹っ飛んだ。七五三兵衛が飛びついたのだ。七五三兵衛はその特徴から狙撃手が孫市であると確信する。すぐさま直政の安否を確かめると、直政は見開いた目と目の間を撃ち抜かれていた。

 

七五三兵衛は総崩(そうくず)れにつながる退却(たいきゃく)をするのではなく、迫り来る雑賀衆へと駆け向かって行くとその兵も続いた。隊伍(たいご)を組んでひと塊(かたまり)になった雑賀衆軍に対して鶴翼(かくよく)の陣のように両側に広がった。七五三兵衛が軍旗を上げさせると驚いたのは孫市であった。眞鍋海賊は漁民が多い雑賀衆にとって恐ろしい相手である。臆病風(おくびょうかぜ)に吹かれた雑賀衆は勝手に鉄砲を撃ち始めた。距離を詰めた七五三兵衛は得意の銛(もり)を敵兵目掛けて投げると、銛は多くの兵を串刺(くしざ)しにしたまま孫市の足元までたどり着いた。

 

七五三兵衛が兵とともに切り込むと、狙撃(そげき)を主たる戦術とする雑賀衆はその弱みを露呈(ろてい)し、なす術(すべ)もない。孫市は遁走(とんそう)する兵とともに大坂本願寺に向けて奔(はし)りながら陣貝(じんがい)を吹かせた。七五三兵衛はこれを強がりと誤解して、大坂本願寺へ突入する勢いで追ったが、本願寺の土塁の裾(すそ)がゆっくりと動くと眞鍋の軍勢を目指して押し寄せた。本願寺内の一万二千といわれた軍勢がすべて突出(とっしゅつ)したのである。

 

雑賀衆軍を取り込んだ一万三千の大軍が「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)の名号(みょうごう)を唱えながら怒涛(どとう)の反撃に出たのだ。七五三兵衛はわずか三百の兵で挑むことを即断した。これを見た義清は一番馳(いちばんはせ)を諦(あきら)めて、七五三兵衛の軍を救援に行くことにしたのだ。門徒たちは呆(あき)れるほど弱いことで七五三兵衛は侮(あなど)ってしまったが、死への恐怖心を持たない門徒たちの怖(こわ)さにやっと気づいた七五三兵衛は我知らず退(しりぞ)いていた。しかし、七五三兵衛は勇気を堅持し続けている。

 

そこへ義清の軍が参戦してきた。孫市は自軍の門徒衆に囲まれているため鉄砲が使えない。一方、触頭(ふれがしら)の義清に退却を強く求められたことと、他家を巻き添えにすることを避けたいと考えた七五三兵衛は止むを得ず退却することにした。自軍の兵が退却するのを確認した七五三兵衛は踵(きびす)を返し、義清も馬首を天王寺砦に向けた。孫市は織田方の軍を追う。あわよくば天王寺砦を落とそうと考えたのだ。七五三兵衛と義清の軍は敵の大軍から抜け出て脱兎(だっと)のごとく天王寺砦へと逃げた。

 

義清は上町台地上に埋伏(ふくまい、隠れること)させておいた二百の兵と退却する三百の兵を使い、交互に敵軍を矢と鉄砲で銃撃する「繰り引き」(注;二つに分けた軍団を順繰りに退却させること)を繰(く)り返した。これが奏功(そうこう)して、義清と七五三兵衛の両軍と木津砦を攻めていた軍のすべては本願寺軍が押し寄せる直前に天王寺砦に入ることができた。

 

七五三兵衛は義清が触頭に相応(ふさわ)しい人物だと思った。また、義清も七五三兵衛の泉州侍らしい大度(たいど、心の広いこと)に比べて自らの器(うつわ)の小ささを省(かえり)みて、泉州の触頭に相応しいかもしれないと思った。それは父の任世(ときよ)が危惧(きぐ)したことである。

 

孫市は一気に天王寺砦を落とせなかったことで深刻になった。一万余の大軍でも抑(おさ)えの人数を含めて天王寺砦にいる五千の兵を対抗するのは不足であったからだ。そして早晩織田信長がここに来襲することは確かである。信長と戦って一度は勝利を収めた孫市だが、その時は敵の背後を脅(おびや)かす味方がいた。今は本願寺だけが戦っている状態である。兵をまとめて本願寺と木津砦に戻って毛利家からの兵糧入れを待つしかないと考えた孫市は包囲を解いて撤退することを決断した。しかし、頼龍は猛反対する。

 

頼龍は秘策として「進まば往生極楽、退かば無限地獄」と書かれた軍旗をあちこちで揚(あ)げさせた。孫市はもはやどうすることもできない。土塁の上にいる景は頼龍の秘策に怒り、木津砦まで連れてきた門徒たちを連れ帰ろうと決意する。一方、京から駆けつけた信長は三千の兵を集めると天王寺砦へ向かった。二日後に轟音(ごうおん)が天王寺砦の中まで聞こえた。天王寺砦の東にあった若江城を出た信長は南下して砦の南西一里(約4km)にある住吉口から難波砂堆を北上したのだ。上町台地の坂を駆け上がって砦の南門を攻める門徒たちの背後からどっと襲い掛かった。

 

総大将の信長自身が先方の足軽たちとともに攻め込んだため、門徒たちは本願寺がある北を目指して逃げ出した。あと数日は来ないと考えていた頼龍は戦意を喪失。信長は踏み止まっている門徒の中軍へと突入しようとしていた。大将の着る陣羽織を身にまとった騎馬武者が発する猛気は砦にいる泉州侍にも分かった。土塁の上で見守る景は戦慄(せんりつ)している。信長はやおら腕を上げて北を指差した。指の先には大坂本願寺がある。孫市は頼龍をその兵たちに木津砦へ運ばせるとともに、中軍の門徒たちを大坂本願寺へ送り届けるため、雑賀党が殿軍しんがり)を務めることにした。大坂本願寺の城戸口まで退いて、敵に乾坤一擲けんこんいってき)の痛打を与えようとしたのだ。(続く)

2015年12月14日 (月)

和田竜著「村上海賊の娘」を読む(前編)

2013年に新潮社から出版された和田竜(りょう)氏の著作「村上海賊の娘」(上巻474頁、下巻499頁)を紹介します。同氏は1969年に大阪で生まれ、広島育ち、早稲田大学政治経済学部を卒業。2007年に「のぼうの城」で小説家デビュー、同書は単行本と文庫本で累計200万部を超えるベストセラーとなりました。本書は小説第4作となります。

 

上巻の見開きには次のキャッチコピーがあります。『ならば海しかない。頼るのさ、天下一の海賊に』『こんな面白いこと、他の奴にやらせてたまるか』『動揺する難波と瀬戸内海、景はむかう、波濤の先に何が待ち構えていようとも』

 

中表紙の裏には『村上海賊の娘』の舞台を示す全体図があり、大阪本願寺と難波、淡路国の岩屋城、伊予国(現在の愛媛県)に近い芸予諸島の因島(青木城)・能島(能島城)・来島などが描かれています。

 

その次のページには登場人物として、村上家では悍婦(かんぷ、気の荒い女)にして醜女(しこめ、容姿のみにくい女性)の村上家景(むらかみきょう)と景の父で能島(のしま)村上家の当主である村上武吉(たけよし)など、毛利家では小早川景勝(こばやかわかげかつ)など、織田方の眞鍋七五三兵衛(まなべしめのひょうえ)など、大阪本願寺では門主の顕如(けんよ)など。

 

                             ☆

 

≪上巻≫

 

序章>

 

江戸時代になって現在のように「大阪」と表記されるようになった「大坂」(一般に難波と呼ばれていた)が戦国時代に指し示す場所は一向宗本願寺派の本山、大坂本願寺(別名石山本願寺、石山本願寺城)しかなかったとの解説から本編が始まった。

 

戦国時代、天正4年(1576年)4月半ばの未明、紀州(和歌山県)雑賀(さいか)の鉄砲傭兵(ようへい)集団、雑賀党の首領(しゅりょう)、鈴木孫市(まごいち)は、大阪本願寺の城壁を思わせる塀から外を見渡し、眉間(みけん)の皺(しわ)を深くした。大坂本願寺11世門主、顕如(けんにょ)に会わなければならないと思ったのだ。門跡(もんせき)に列(れっ)せられた大坂本願寺は信長と足掛け7年も戦を続けていた。「石山合戦」と呼ばれる戦は、大坂本願寺の立地が西国の押さえとする城に最適であることから、詳細は明らかではないが信長が寄進せよと命じた、あるいは事実上そうせざるを得ない状況に追い込んだとされる。

 

孫市が顕如に合わなければならないと考えた理由は、信長が大坂本願寺とは目と鼻の先である天王寺に砦を築いていることを伝えるためだった。信長は野田(本願寺西方4km)・森口(同北東約5kmの守口市土居町)・森河内(同東約3kmの東大阪市森河内西)に続く砦の建設である。その状況にあって大坂本願寺が頼ったのがつい先日孫市が率いて大坂本願寺に入った雑賀衆一千である。

 

大坂本願寺側にも砦がいくつも築かれていた。そのほとんどは大坂本願寺がある上町(うえまち)台地と並行する難波砂堆(なにわさたい)上に南北に連なる村々の中に築かれている穢多崎(えたがざき)砦・難波砦・三津寺(みつてら)砦・木津砦である。門徒を合わせれば一万五千の大軍勢が大坂本願寺を護(まも)っているのだ。である。天王寺砦は木津砦の東方2kmの上町台地上(西の端)に勃然(ぼつぜん)と現れたのだ。

 

孫市は門跡である顕如に意外なことを言い放った。『門跡、この大坂の地を捨てよ。信長へと譲ってやるのじゃ』と。天王寺砦を一気に攻め落とすことを進言する顕如の補佐役である下間頼龍(しもづまらいりゅう)に向かって孫市は、その一万五千が我らを殺すのだ。いや女子供を勘定に入れれば五万の門徒が我らを殺す。戦は必ず長引く。すでにして信長は兵糧(ひょうろう)攻めに出ておるのだ』と理由を説明した。

 

しかし、大坂本願寺を護(まも)ろうとする顕如を翻意させることができないと知った孫市は『ならば海しかない』と言う。孫市は、兵糧を確保するためには兵糧と船を確保するために、将軍足利義昭が信長に敵対するよう求めているはずの毛利家と船を所有する村上海賊を味方につける策を顕如に説明し、『直ちに毛利家へと使者を発し、村上海賊を味方に付けられよ』と吠(ほ)えるように言った。

 

第一章>

 

毛利家の当主、毛利輝元(てるもと)がいる郡山城(こうりやまじょう)の本丸屋敷へ向かう毛利家の重臣で小早川家の当主、小早川隆景(こばやかわたかかげ)は頭を抱えていた。『本願寺を救うべきか、否か』についてである。本丸の広間では上段の間にいる輝元と大坂本願寺の使者吉兵衛が対面した。下の広間では上座にいる小早川隆景とその兄である吉川元春(きっかわもとはる)が吉兵衛を見据(みす)えていた。

 

万が一織田方に知られた場合のことを考えて兵糧(ひょうろう)の量を書状に書かず、大坂本願寺の使者であり吉兵衛が毛利輝元へ直接伝えることにしたのだ。隆景に急かされた吉兵衛が十万石であると伝えると元春以下の重臣たちはどよめきの声を上げた。信長から敵視されることが確実な量の兵糧であるからだ。返答を求める吉兵衛を無理やり下がらせた後、重臣たちによる評定(ひょうじょう)が始まった。

 

大坂本願寺に味方するには上杉謙信(けんしん)も味方することが必要であると主張する隆景に対し、他の重臣が反論したため膠着(こうちゃく)状況に陥(おちい)った時、元春が積極策を主張したことで流れが変わった。輝元が裁可(さいか)したことで、十万石を運ぶ手筈(てはず)に移った。毛利家直属の水軍の長、児玉就英(こだまなりひで)と隆景に無理矢理同行してきた小早川家水軍の乃美宗勝(のみむねかつ)の論争となった。

 

眉目秀麗(びもくしゅうれい)で武辺も備わっている就英は毛利家と乃美家の両水軍が協力すれば可能だと主張したのだ。宗勝は『この策では不可能だ』と一蹴(いっしゅう)する。気色(けしき)ばむ就英に気を留めず宗勝は続ける。『例え十万石が積めたとしても警護の船なしで運べるわけはない。村上水軍に頼ればできる』と思いもよらないことを言い出した。万座には一種異様な空気が流れる。

 

重臣たちも村上水軍のことはよく知っている。毛利家と因縁深い海賊なのだ。毛利家に便宜(べんぎ)を図っていた村上武吉はにわかに九州北部に勢力範囲を持つ大名の大友宗麟(そうりん)へと鞍替(くらが)えしたことを咎(とが)めた毛利家が武吉の居城、能島(のしま)城を5年前に攻め寄せてたが、毛利家は和議に持ち込んだものの多大な犠牲を払ったことがあるのだ。宗勝は武吉を口説けると自信を示した。景勝は武吉が毛利家の依頼を断ってくれることを願うしかない。

 

宗勝は就英とともに船団を率いて能島(のしま)に向かう。村上武吉と戦った厳島(いつくしま)合戦を懐(なつ)かしく話す宗勝に就英はそっけない態度である。武吉の人となりや後継者たるべき人材が息子たちの中にいないという話になってもさしたる関心を示さない。しかし、武吉の海賊らしい剛勇と荒々しさを引き継いだのは女子であったと聞くと急に興味を持ったようだ。

 

因島(いんのしま)の関を破った廻船(かいせん、貨客船)追ってきた因島村上家の当主、村上吉充(よしみつ)がそれ以上追うのを止めて宗勝と就英に声をかけた。能島村上の領分に入ったのだ。就英が廻船を刮目(かつもく)する傍ら(かたわ)らで、吉充は『我ら因島村上に捕らえられた方がどれだけましか』とつぶやいた。その言葉通りの事態が廻船を待ち構えていた。

 

能島村上家当主、村上武吉(たけよし)の娘、景(きょう)姫が関船に乗って現れた。長身と長い首に乗った小さな頭もさることながら、その容貌(ようぼう)はさらに異様である。廻船の頭領は関を通っていないとことと病人を運んでいると偽(いつわ)るが、景(きょう)はそれを見破る。統領の手下たちは景に襲いかかっるが、あっという間に切り捨てられたため、頭領は平伏した。そして、頭領とその手下たちは景の指示により全員の額に焼印を押されてしまう。船倉に押し込められていた数多くの農民たちは解放された。(中略)

 

村上武吉は本丸屋形の広間で毛利家の正使一行を迎えた。乃美宗勝は武吉に向かって親しげに挨拶(あいさつ)の言葉を掛けながら下座の中央に胡座(あぐら)をかいた。一方の就英は『先触(さきぶれ)の者に持たせた書状は読んだか』と激しい調子で詰問(きつもん)するが、武吉は子供を諭(さと)すかのように柔らかな笑みを浮かべている。そして、宗勝の言葉には諾(だく)とも否(いな)とも返答せず、表情を変えずに宗勝の言葉をなぞるだけである。

 

宗勝の言葉が尽(つ)きた時、武吉は『上杉謙信が味方しないときはどうするのか』と問い返した。『毛利家は兵糧入れを断行する』と宗勝が返答すると、『隆景もその意向か』と隆景の考えを見抜いていることをほのめかす。そして、唐突(とうとつ)に就英に向かって独身であることを確かめた上、嫁を軍船に乗せないとの言質(げんち)をとると、『決めました。御味方しよう。だが、条件がある。我が娘、景を、児玉就英殿に輿入(こしい)れさせたい』という。しかし、就英は『断る』 との言葉とともに憤然(ふんぜん)と席を立った。

 

これを廊下で立ち聞きしていた景は慌(あわ)てた。就英と鉢合(はちあ)わせすることになるからだ。廊下を駆ける景は就英に追いつかれた。就英は、断った理由は美醜(びしゅう)による判断ではない、条件の出し方が気に入らなかったからだと告げる。就英の大声は近くの部屋にいた景が連れてきた農民たちにも聞こえてしまった。兵糧をいれるために大坂本願寺へ行こうとしていた一向宗(いっこうしゅう)の門徒(もんと)たちである。一人になりたいと思って入った部屋で景はその農民たちから大坂まで上乗り(うわのり、同行すること)を頼まれ、ついには引き受けてしまう。

 

郡山城へ戻った宗勝と就英は武吉が出した条件を重臣たちに報告した。就英が断ったと聞いた隆景は内心安堵(あんど)する。先の会議と同じような論議が続くなか、元春は就英に向かって『おのれは嫁を貰(もら)うに美醜を問うか』と挑(いど)むような目で睨(にら)んだ。元春の正室は思わず見返してしまうほどの醜女(しこめ)であることを知る隆景はとっさに身構えた。元春が醜女を妻に選んだ理由については就英も子供のころから繰り返し聞かされた話である。景に美醜は問わぬと言ったことにはこの背景があった。元春の作戦勝ちである。重臣たちが視線を就英に集中するなかで就英は『毛利家の安泰のため景姫をもらう』と叫んだ。当主の毛利輝元は「重畳」(ちょうじょう、大変喜ばしいの意 )の一言で評議をしめくくった。兄元春の豪胆さにやられた隆景は「ならば最後の手段に出るほかない」と密かに意を決した。

 

第ニ章>

 

景(きょう)たちが乗る廻船(かいせん)は瀬戸内海を東へ航行して塩飽(しわく)諸島の本島で給水したあと小豆島(しょうどしま)と淡路島(あわじしま)に挟まれた播磨灘(はりまなだ)に入った。能島(のしま)を発ってから6日後のことである。さらに淡路島と明石平野の陸地が接近する明石の瀬戸を抜ける。淡路島の最後北端にある岩屋城は毛利家直属の水軍、すなわち児玉就英配下の武将たちがすでに接収していたが、能島村上家の船と知り通行を認めたたことで、明石の瀬戸を通り過ぎた関船は難波海(なにわのうみ)、現在の大阪湾に入った。

 

土地が一段高くなったところに大坂本願寺が見え、その右手には堺の湊(みなと)も見える場所に差し掛かった時、二艘(そう)の巨大な船が現れた。安宅(あたか)と呼ばれる最大(長さ約50m)であった。海賊の船に違いないと考えた景がそのまま関船を進めたため、廻船は二艘の安宅に挟(はさ)まれる形になった。大坂本願寺を攻める織田軍に従う泉州の海賊、眞鍋家の家中であった。乗り合わせた織田家の侍に言われて景は安宅に乗り込むが、その侍は不意打(ふいうち)ちで景に斬りかかった。しかし、景(きょう)に首をはねられてしまう。侍が海賊の定法を蔑(ないがし)ろにしたから討ち取ったという景に、眞鍋の兵はどっと歓声を上げた。

 

織田家の侍の首をはねたことで眞鍋家の当主、眞鍋七五三兵衛(しめえもん)は難しい状況に置かれたことに気がついた景は、門徒たちを大坂本願寺へ送り届けたあと、織田方の総大将原田直政がいる天王寺とりでに出向いて事の顛末(てんまつ)を説明するという。そこへ弟の景親が乗る関船が追いついてきた。景は経緯(いきさつ)を知らない弟を人質に残して景は大坂本願寺へ向かう。

 

天王寺砦(てんのうじとりで)に到着した眞鍋七五三兵衛は総大将原田直政による評定(ひょうじょう)に参加する。大広間には36人の泉州侍(豪族)を始め織田信長に従う五畿内(近畿地方)の大名や豪族が集まっていた。評定が始まってほどなく、眞鍋七五三兵衛は原田直政に向かって馴れ馴れしく言葉を発した。評定のあとに伝えたいことがあるのだ。何事かと思った直政に問われて難波海での出来事を洗いざらい吐(は)き出した。

 

姉の到着を待つ景親は気が気ではなかったが、やっと景が天王寺砦に到着。景は申し開きの場に向かうが意外なことに、原田直政の館ではなく眞鍋家の大広間に案内された。そこでは何と泉州侍が全員集まって酒盛りをしている。実は、七五三兵衛から話を聞いた長政は京にいる信長の元へ使者を出して報告し、景を見逃がすことで一件落着とすることの許しを得ていた。村上武吉を味方に引き入れようと考えていた信長は家臣一人のことで村上海賊とことを構えることを避けたのだ。信長が総大将を任せたほどの男である直政は景に無礼を詫(わ)び、門徒の通行を許した七五三兵衛もお構(かま)いなしとされた。(続く)

2015年11月19日 (木)

池井戸潤著「下町ロケット」を読む

池井戸潤氏の小説をほぼ時系列(発行順)に読み進みながらその都度当ブログで紹介してきましたが、今回は8作品目として「下町ロケット」を取り上げます。2010年に小学館から刊行されたハードカバー本(全407頁、1700円+税)で池井戸潤氏の代表作品と言えます。本作品は2011年に第145回直木三十五(なおきさんじゅうご)賞を受賞しました。ちなみに、2013年には小学館文庫版(720円+税)も出版されています。本の表紙には町工場の構内とその後方に打ち上げられたロケットが描かれています。無縁と思われる2つの言葉を組み合わせてインパクトがあるタイトル「下町ロケット」を持つ本書はどんな話が展開されるのかと期待を持って表紙を捲(めく)りました。

 

                             ☆

 

プロローグ

 

佃航平(つくだこうへい)は種子島宇宙センターの発射管制塔内でモニター画面に表示される射点の様子と画面右端に出ている風速表示で相変わらず強い風が吹いていることを確認した。カウントダウンが進み、新型エンジン「セイレーン」は『メイン・エンジン・スタート』のアナウンスとともに轟音(ごうおん)と炎を吹き出すとロケットは発射台を飛び出し、上空へと小さくなっていくが、追尾レーダーが送ってくる飛翔経路図に表示される「セイレーン」の軌道が、予定軌道からズレはじめた。第二エンジンが点火されるとロケットはほとんど水平飛行をはじめた。ミッションマネージャーが『シークエンス緊急停止せよ』と命じると、モニター画面のカウントが止まった。

 

第一章 カウントダウン

 

亡くなった父親の跡を継いで精密機械製造業を営む町工場、佃製作所の社長となって7年、佃航平は以前の研究部門とはまったく異なる世界で経営者として奮闘している。この日も呼び出しを受けた一部上場企業で主要取引先の京浜マシナリーからエンジン部品の納入を来月末で打ち切りたいと通告された。来月末から内製化する方針に変更したのが理由だという。年間10億円を下らない京浜マシナリー向けの取引は佃製作所の年間売上高の10%以上を占めている。もし、これを失うと赤字に陥(おちい)ることは明らかである。メインバンクの白水銀行池上支店に運転資金3億円の融資を申し入れるが、研究開発投資が多すぎることと、それが売り上げに繋(つな)がっていないとして方針の変更を迫られてしまう。

 

帰社した佃を待っていたのはナカシマ工業が特許侵害で訴えたという東京地方裁判所からの書状である。佃製作所の製品の中で稼ぎ頭(かせぎがしら)とも言える小型エンジン「ステラ」はライバル企業のナカシマ工業にとっては目の上のタンコブといった存在である。「ステラ」を真似た製品を持つ大手企業のナカシマ工業は特許侵害訴訟で佃製作所の評判を落とし、かつ裁判の長期化で兵糧攻(ひょうろうぜ)めにしようとしていることは明らかであった。この話をナカシマ工業の新聞発表で知った白水銀行が融資話を断ったため、佃は定期預金を崩(くず)して当面を凌(しの)ぐことにした。

 

第一回口頭弁論は特許に詳しいナカシマ工業の弁護士のペースで進んだ。これに危機感を覚えた佃はこの分野に詳しい弁護士に依頼することを決断する。その折、ナカシマ工業から訴えられたことを知った別れた妻から特許関係に詳しい弁護士を紹介してもいいと言われたことは渡しに舟であった。新しい弁護士は佃の期待以上の切れ者でナカシマ工業の真の目的を見抜いていた。そして、佃製作所の特許に穴があるため勝訴は容易ではないので、ナカシマ工業を別の特許侵害で逆提訴することを提案した。そして、既存の保有特許を補強(優先権主張出願)することと、銀行以外の金融機関を探すように助言した。

 

第ニ章 迷走スターダスト計画

 

東京、大手町にある帝国重工の本社で宇宙航空部の財前部長は自社が出願した大型水素エンジンの新技術が、すでに同じ内容の特許が存在するため、出願が認められなかったことを知らされた。特許を3ヶ月前に取得した会社は株式会社佃製作所で、帝国重工からすれば吹けば飛ぶような規模の会社である。帝国重工では社長肝(きも)いりで進行中の「スターダスト計画」において新型エンジン開発はその目玉であり、大型ロケットの打ち上げで国際競争をリードするための絶対条件であった。プロジェクトのスケジュール変更は絶対に認められないため、財前は佃製作所からその特許を買うことを決断する。佃製作所は訴訟に巻き込まれて窮地(きゅうち)にあるため、安く買い叩(たた)けるとの思惑(おもわく、しわく)もある。

 

佃製作所に帝国重工の財前部長が訪れた。佃製作所の特許を譲(ゆず)って欲しいと申し出た財前に向かって佃は特許を売るつもりはなく、特許の使用料を払ってくれればいいと応じた。突然、財前は『20億円で、いかがでしょう』といった。20億円あれば、重工が欲しいという水素エンジンのバブルシステムの特許を含め、佃製作所の研究部門が作ってきた借金をすべて返済して余りあるのだ。新しい技術への強いこだわりを持つ佃に向かって財前は『おいくらでしたら売っていただけますか』というが、佃は『金額の多少ではない』と断る。財前は社内で揉(も)んで欲しいと言い残して引き上げた。

 

佃製作所では部課長以上の30余名が出席して緊急会議が開かれた。そこではさまざまな意見が出されて収拾(しゅうしゅう)がつかない。佃は社員に向かって『いま帝国重工の提案を飲んだらウチの負けだ』と言い切った。返事をしたいという佃のもとに駆(か)けつけてきた財前は、佃が発した『社内で検討した結果、売却は見送ることにしました』との思い掛けない回答に驚く。食いさがる財前に佃は『ウチの資金繰りのことを随分と心配されていますが、本当に心配しなきゃならないのは、御社のプロジェクトのほうじゃないんですか』と取り付く島がない。しかし、財前は、佃製作所が早晩行き詰まって民事再生になるから、その時に出番が来ると踏んでいる。

 

佃製作所が逆提訴した裁判が始まると予想外の展開になった。ナカシマ工業による審議引き伸ばしに悪い心象を持った裁判官が和解を勧告、しかも佃製作所の言い分をほぼ全面的に認めた内容(ナカシマ工業による56億円の支払い)であった。ナカシマ工業の弁護士も和解を受けることを勧める。そして、ナカシマ工業にはさらに思いもよらない事態が発生する。東京経済新聞の連載特集記事だ。「仁義なき企業戦略」としてナカシマ工業の法廷戦略が槍玉(やり)に挙がっている。これを受けてさらなる信用の失墜を恐れたナカシマ工業の役員会は和解の受け入れと最初の訴訟を中止することを決めた。

 

このため、財前は佃製作所から特許を買い取ることを断念し、佃の主張する特許使用契約を締結(ていけつ)することにした。しかし、たとえ佃と合意しても、キーテクノロジー内製化にこだわる帝国重工の藤間社長の方針と真っ向からぶつかることは避けられない。

 

第三章 下町ドリーム

 

佃製作所が勝訴したことを新聞発表で知った白水銀行の支店長が佃製作所を訪ねてきた。和解金の56億円が目当てである。しかし、佃は和解金が支払われた後は白水銀行との取引を解消すると通告した。そして、帝国重工の財前も佃を訪ねてきた。前回の無礼を詫(わ)びて、佃製作所の特許を使用したいと申し出た。佃製作所側の反発に対して財前は『御社の技術でウチのロケットを飛ばさせてください』との決め言葉で話を締(し)めくくった。しかし、佃製作所の社内はさまざまな意見が飛び出して佃の胸は複雑な思いで一杯になる。

 

佃は帝国重工の提案を断ってエンジン部品を自社で製作する方針を決めた。『仕事というのはカネじゃないと思う』と部下たちに言った佃は財前に電話をかけて帝国重工に部品供給を提案する。佃の提案に戸惑った財前は持てる忍耐力を総動員して、『お申し出は検討させていただきますが、いま一度、弊社からの提案も再検討していただけませんか』とつなぐが、佃は『バブルシステム関連のユニットを外注できるかどうか、御社内で検討してみてくれないか』と譲(ゆず)らない。

 

3日後に財前は佃にアポを入れた。訪れた財前に佃は『社内、見ますか』と意外なことを言う。相手に対する礼儀だと申し出を受け入れた財前は佃製作所の社内を隈(くま)なく案内されるが、社内に良い雰囲気を感じるとともに、過剰ともいえるクリーンルームや若い工員の手作業を見てその技術水準の高さに感銘(かんめい)する。研究部門では研究開発に情熱を傾ける佃の信念を感じさせられた。結局、財前は佃の部品供給を断ることができなかった。帰社した財前は上司の水原本部長に部品の受け入れを検討したいと報告する。部品の内製化を推進する藤間社長のスタンスをよく知る水原は慎重な態度を変えない。

 

そんな折、企業投資や買収案件などを手掛けるアメリカ資本のマトリックス・パートナーズから佃製作所を買収したい大手企業があることを佃は知らされた。

 

第四章 揺れる心

 

かつての同僚である三上(現在は大学教授)から久しぶりに飲まないかとの誘いがあって神宮外苑近くのイタリアンに佃はいた。最近の佃製作所に関する出来事に触れた三上は改まった口調で『大学に戻らないか』と佃に言う。来年退官するロケット分野の権威である教授の後任に佃を推薦するというのだ。マトリックスに佃製作所を紹介したのは三上であった。『少し時間をくれ』と佃は唸(うな)るようにいった。

 

帝国重工では水原本部長から佃製作所の部品をテストする指示が出された。合格させるのが目的というよりも落とすことにより「特許使用」を実現しようとする思惑(おもわく)があるのだ。その責任者には、財前ではなく、その部下の富山が指名された。財前の考えに反発を感じて水原の意向に沿った行動を取ろうとしているエンジン開発の責任者である。そして、富山は必要以上とも思われる詳細なテスト計画書を作成した。これには技術面はもちろん、財務内容の審査も含まれている。

 

第五章 佃プライド

 

帝国重工の評価チームが佃製作所に来社する日がやってきた。大工場にしかあてはまらない工程管理の理想論を振りかざす帝国重工の評価者は佃製作所の試作工場において次々と指摘事項を連発する。財務内容の審査も同様に厳しいものであった。帝国重工の評価者たちが意気揚々(いきようよう)と引き上げた後、佃製作所の社内は不満と愚痴(ぐち)に溢(あふ)れたが、白水銀行からの出向者である経理部長の殿村は『ここで真価が問われているのは帝国重工も同じだと思います』と意外なことを言う。『数字は嘘をつきません。帝国重工にだってきちんと数字を読む人間はいるはずです』と力説したことで、社員たちの雰囲気が一気に明るくなった。帝国重工の評価者たちの態度に憤(いきどお)った社員たちにやる気を起こさせたのだ。

 

2日目の評価では「攻守所を変える」の状態になってしまう。自信を取り戻した佃製作所の社員たちの対応に帝国重工業の評価責任者たちはタジタジとなる。しかし、一部の若手評価者は真摯(しんし)に佃製作所の製品の精緻(せいち)さに感銘(かんめい)を受けたようである。そして、帝国重工のテスト第一段階は無事に終わり、佃は三上へ断りの電話を入れた。マトリックスについても同様である。

 

第六章 品質の砦

 

予期しない事態が発生した。佃製作所が帝国重工に提出した評価用バルブ についての簡単な動作テストのデータに異常値が出たことが筑波にある帝国重工の研究所から同本社へ報告されたのである。その頃、佃製作所内でも出荷されたはずのバルブが工場の倉庫に残っていることが発見された。出荷手続きにミスが発生したと思われた・・・。そして、佃製作所の担当者は筑波まで車を飛ばして正規の評価用バルブを持参するが、帝国重工側評価責任者の富山はこれを拒絶する。(以下略)

 

第七章 リフト・オフ(省略)

 

エピローグ(省略)
 
                              ☆

 

<読後感> 導入部から展開部、そして終盤のクライマックスへと息注ぐ暇(いきつぐひま)も与えないドラマチックな展開は池井戸潤氏ならではのものであり、読みやすい文体で書かれた本書を一気に読み終えました。終盤では、「はたして佃製作所はバルブシステムを納入することができるのか?」、「ロケットは打ち上がるのか?」、との厳(きび)しい状況設定が続きます。先に紹介した「ルーズヴェルト・ゲーム」と同様、次々と迫り来る危機を佃航社長の困難を乗り越えようとする強いリーダーシップに加えて、不平不満を言いながら必死で努力する社員たちの描写は読む人の心を片時も離しません。また、「因果応報」(いんがおうほう)の結末も読者に安心感を与えます。ちなみに、本作品は2011年に三上博史主演でテレビドラマ化されてWOWOWで放送されましたが、今年はリメイク版(主演:安部寛)がTBS系列で10月期の日曜劇場(10月18日~11月15日、全5話)として放送されました。また、11月22日からはその続編「ガウディ計画編」(原作:11月5日に発売されたばかりの「下町ロケット2 ガウディ計画」)が放送されるそうです。

2015年11月 7日 (土)

池井戸潤著「ルーズヴェルト・ゲーム」を読む

地方新聞に連載された小説「ルーズヴェルト・ゲーム」は2012年に講談社から単行本として発刊されました。昨年(2014年)にはテレビドラマ化されてTBS系列の「日曜劇場」として放送されたようです。ユニークタイトル「ルーズヴェルト・ゲーム」は『タイトルは「点を取られたら取り返し、8対7で決着する試合」を意味し、野球を愛した第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトが1937年1月に、ニューヨーク・タイムズの記者に宛てた野球記者協会から招待されたディナーを欠席することを詫びた手紙の末尾に記された「一番おもしろいゲームスコアは、8対7だ」という言葉に由来する』(出典;Wikipedia)そうです。 

 

中堅電子部品メーカーの青島製作所は世界的な不況とライバル企業であるミツワ電器の攻勢を受け、経営は青息吐息の状態であった。そのような青島製作所の苦境を象徴するのがかつては社会人野球の強豪チームとして名をはせたが同社の野球部である。現在はミツワ電器野球部の後塵を拝し、対外試合ではほとんど勝つことがないまでに落ちぶれている。さらに野球部監督の村野三郎が主力二選手を引き抜いて、ライバルのミツワ電器野球部に寝返るという事件まで起こり、青島製作所の役員会では野球部廃止の声まであがる始末であった。(同上) 

 

青島製作所とその野球部はこの様な絶望的な状況からいかにして脱却したかを池井戸潤氏は巧みなストーリー展開と卓越した文章力で読者を引きつけながら描きます。また、社長の細川充(みつる)と後任監督の大道雅臣(まさおみ)がそれぞれ逆転の発想とデータに基づく戦法で明るい展望が開ける結末へと導いたリーダーシップも良く描かれています。本著書は、これまでに紹介した作品(果つる底なきM1株価暴落オレたち花のバブル組空飛ぶタイヤオレたちバブル入行組ロスジェネの逆襲)と同様、期待通りの秀逸な作品でした。
 

                         ☆
 
第1章 監督人事
 
村野から監督辞表届けを受け取った総務部長で野球部長を兼務する三上文夫はかっては大学野球の名監督で現在は日本野球連盟の理事職にあり茶屋功(ちゃやいさお)を2月に訪ねた。三年前に村野を推薦した茶屋に後任監督の推薦を依頼する目的であった。茶屋から『紹介できる人物がひとりいる』と連絡があったのは一週間後であった。 

 

青島製作所の新年度計画を話し合う役員会で専務の笹井小太郎は野球部の存続について真剣に検討するべきであるとの自論を持ち出した。社長時代に野球部を創部した青島会長が心筋梗塞の治療を受けたため2年前に会長に退いてからは遠慮が無くなったのだ。笹井がこう言う背景にあるのは急激な業績不振だ。昨年暮れには700名の派遣社員のうち半数を派遣切りをしながら、野球部には年間3億円弱の経費が掛かっている。議論が笹井のペースで進んだが、三上が野球部存続を必死で訴えると、拍手とともに、『頑張れ。きたいしてるからな』、と青島会長の声がその議論に一応のピリオドを打った。 

 

後任監督に決まった大道が突然練習グランドへ現れ、変わった言動に野球部のマネージャー古賀をはじめベテラン部員たちはあきれ顔である。高校野球部の監督をしていた経歴はあるが最近は家業である電設工事を手伝っていたことしか分からない。監督に就任した大道は監督室でスコアブックを広げてパソコンにデータを入力する日々を送っている。今年40歳になる大道は大学でスポーツ科学を専攻し、その後講師として大学で10年を過ごし、それを実践する形で指導を請われた新設高校に赴任して監督業を務めたという経歴である。 

 

定例の役員会では今年に入って2ヶ月連続の赤字に陥っている上に、取引先の東京モータースから開発したばかりのレーザー判別センサーの値引きを要求されていると営業部長の豊岡が社長の細川に報告し、ミツワ電器の攻勢が強まっていると付け加えた。細川は全社的に一律7パーセント程度のコストダウン人件費を含む)を指示した。 

 

公式戦の2週間前になって大道は「組分け」(先発メンバーと控え選手)を発表した。案の定ベテラン達の不満は相当のもので、ベテラン投手の猿田がそれを代弁して大道に「組分け」の理由を問い詰める。大道はパソコンのデータを引用して先発メンバーとその打順を冷静かつ論理的に説明すると、猿田は『えらく変わった考え方だな。だけども、そういうことなら納得だ』と呟(つぶや)いた。大道が新しいチーム作りに着手したことは、いま全員の胸にはっきりと刻まれたのだ。

注; 大道のこの手法は映画化されたアメリカのノンフィクション本「マネー・ボール」に登場した定量的なデータ分析手法に近い 

 

第2章 聖域なきリストラ 

 

白水銀行府中支店の支店長、磯部が訪ねてきたのは、役員会で人員整理を正式決定して数日が経った後のことであった。所用で10分ほど遅れて細川が入室すると、専務の笹井と経理部長の中川篤(あつし)のふたりがリストラ計画を磯部に説明しているところであった。青島製作所は4月からスタートする新年度に必要な運転資金として50億円の融資を白水銀行に申し入れているが、磯部は業績の低迷が単に金融危機に端を発したものか、それとも競争力そのものにあることなのかを知りたがっていた。磯部に同行した有志課長は野球部について尋ねたため、虚をつかれた細川に代わって笹井は『廃部の方向で検討しております』と答えてしまう。細川は青島会長を説得することを考えると憂鬱になった。 

 

総務部長兼野球部部長の三上は社員数が最も多い製造部から上がってきた解雇候補者の一次リスト(約150人)を見て納得がいかないため人事課長の広野にリストの全面見直しを命じた。青島製作所本体も総合電機の雄であるジャパニクスクスから突然発注計画の大幅削減と単価の切り下げを要求される。しかも、ミツワ電器が要求を呑んだことを告げられた。 

 

第3章 ベースボールの神様 

 

期待して臨んだ公式戦初戦「JABA東京スポニチ大会」は投手陣が思いの外不調で、結果は1勝2敗でリーグ戦敗退、新オーダーで臨んだ最初の大会はほろ苦い結果に終わった。青島製作所の主要取引先で国内最大のカメラメーカーである東洋カメラから来年発売予定の新製品を7月上旬から4月下旬に変更するので、新製品に搭載するイメージセンサーを6月末までに提案するようにとの要求があった。しかし、この納期では開発中の新センサーが間に合わない。細川と営業部長の豊岡はその背景に新規参入を狙うミツワ電器の影を感じた。 

 

スコアブックを分析した大道は先発投手の萬田が肘を痛めているのではないかと考え、萬田に事情を聞くようにマネージャーの古賀に指示した。渋る萬田を説得してチームドクターの三雲保太郎(みくもやすたろう)の診察を受けさせると、上腕骨内側上顆炎(じょうわんこつないそくじょうかえん、いわゆる野球肘)と診断された。最低でも半年、万全を期すなら1年は安静する必要があると告げられる。古賀は思った。『野球の神様はなんでこんな残酷なことをするんだろう』と自分の過去と重ねた。 

 

青島製作所にも大きな課題が突きつけられた。大学の同級だというジャパニクスクスの諸田社長とミツワ電器の坂東社長からからミツワ電器との経営統合を打診されたのである。細川はもちろん答えを保留するが・・。 

 

第4章 エキシビションゲーム 

 

ある日曜日、青島製作所のグランドは社員とその家族で溢れていた。経営不振で開催が危ぶまれていたが、社員の士気を高めるため、会長の青島がポケットマネーで開催したエキシビションゲームである。青島製作所内の野球大会で優勝した製造部チームと野球部が対戦するのだ。相手を舐めてかかった野球部は製造部の選手に翻弄され、大方の予想を裏切り製造部が3点先行して、息を呑むような試合展開になった。3対1で迎えた最終回、野球部は1点を返したところで沖原がリリーフを申し出た。製造部が不足するメンバーを補充するため声を掛けた新顔である。 

 

セットポジションから投じた沖原の第1球は目の醒めるような直球だった。「ストライク!」審判のコールが青空に響き渡った。しかし、その後キャッチャーがパスボールしたため2人の走者が生還して野球部が逆転、サヨナラゲームで幕を閉じた。翌日、マネージャーの古賀は沖原に向かって「暴投じゃない! 」と言い、沖原の経歴を調べたと告げる、野球部に入るように頭を下げた。沖原の返事は素っ気ない。この話を聞いた新監督の大道は沖原と会いに出かけ、古賀が調べた情報で沖原を入部させることを決意する。大道の知略通りに沖原は自分の意思で入部することを決心した。 

 

第5章 野球部長の憂鬱 

 

総務部長の三上が従業員にリストラを通告するつらい仕事をしている時、総務部の自室に萬田が顔を出した。肘を痛めて休養を余儀なくされた人物である。逡巡した末、萬田は泣きながら兼野球部部長を兼務する退職を申し出た。そして、マネージャーの古賀と監督の大道にこのことを報告した。大道はいくつか質問した上で、「そうか」とうなずき、「いままでよく頑張った。ありがとう」と右手を差し出した。 

 

野球部から誘われた沖原は製造部副部長の村井に声を掛けられ、派遣契約を今週一杯で打ち切ると通告された。製造部からの報告を受けた三上は古賀に向かって「私を信じろ」と沖原に伝えるよう依頼する。古賀は沖原を無理やり誘って馴染みの居酒屋「ごんた」へ向かう。店内には野球部員たちで溢れていた。古賀は『いったい、野球の神様はどこまで意地が悪いんだろう』との思いに古賀は悔しくて泣けてきそうだった。 

 

そんな時にも三上は総務部の自室にいてひとり頭を抱えていた。製造部に朝比奈を訪ねて沖原の派遣契約解約を考え直すように頼むが拒絶されてしまう。オーバーワークのため総務部の残業が増えているので残業代を払うより昼間の人手を増やしたほうがいいのではないかと部下から提案された三上はあることを思いつき、古賀に電話をかけて『沖原はウチで預かる』と伝えた。 

 

第6章 六月の死闘 

 

初夏の風が吹いて都市対抗野球の一次予選が始まった。細川社長が観戦に来ていると聞いた古賀はめをまるくした。廃部の検討を命じている本人自らが球場に出向いたのである。投手の猿田はいつものことではあるが不安定な立ち上がりで、初回に4点を先行されてしまう。中継ぎの投手が踏ん張って追加点を許さないが、6回まで青島製作所チームには得点が入らない。 

 

流れが変わったのは7回裏、8番打者でキャッチャーの井坂が反撃の口火を切った。DHの荒井はピッチャーゴロに終わるが、1番打者犬彦のバットがはじき返した球は三塁線上を抜けた。二死、二、三塁となったところで・・。(以下略) 

 

第7章 ゴシップ記事(省略) 

 

第8章 株主総会 

 

ミツワ電器が青島製作所の大株主に働くかけたことで開催された臨時株主総会は議案の「ミツワ電器との合併」は意外な展開で否決された。期限を前倒した性能を大幅にアップしたイメージセンサーの開発に目処(めど)が立ったばかりの青島製作所は多くのピンチをなんとか脱しつつあった。 

 

最終章 リーズヴェルト・ゲーム 

 

青島製作所にとって最大の難関であった白水銀行からの運転資金融資と追加リストラ計画が白水銀行に認められる。そして、都市対抗野球の二次予選が始まった。初戦の相手チームは宿敵のミツワ電器。またしても3点を先取された青島製作所チームは反撃して、6回表を終わって6対5に迫ったが、7回裏にミツワ電器チームが2点を追加して7対5と突き放されてしまう。果たして、青島製作所野球部はルーズヴェルト・ゲームを実現することができるのか? 

 

エピローグ(省略)
 

                         ☆ 

 

<読後感> 池井戸潤氏の小説につきものの白水銀行が登場しますが、本編はあくまでもエレクトロニクス製品を開発・製造・販売するメーカーの競合あるいは取引関係を背景に、ライバル関係にある実業団野球チームの活躍を織布の縦糸と横糸のように描いた痛快小説です。「半沢直樹」シリーズのようなスーパーマンは登場しません。登場人物はそれぞれの立場で全力を出した結果がハッピーエンドにつながったことは読者に安心感を与えます。つまり、テレビドラマ「水戸黄門」のような「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」ではなく、むしろ「因果応報(いんがおうほう)」、すなわち悪因悪果(あくいんあっか)と善因善果(ぜんいんぜんか)を絵に描いたようなストーリーです。
 
バブル経済が崩壊した直後に書かれた本著作は、経済小説(企業経営や経済活動の視点で書かれた小説)ではありませんが、昨今のように企業による不祥事(ふしょうじ)が頻繁(ひんぱん)に起こる時代にあっては、企業人あるいは組織人にとって自らが目指す目標とそれを実現するためになにが大切であるかを考えさせる契機を与えてくれるかもしれません。

 

2015年7月 6日 (月)

ダン・ブラウン著「インフェルノ」を読む

久しぶりにダン・ブラウンの著作を読みました。「天使と悪魔」(2000年)、「ディセプション・ポイント」(2001年)、「ダ・ヴィンチ・コード」(2003年)に続く長編サスペンス小説「インフェルノ」(2013年11月28日角川書店刊、上下巻各1800円+税、全660頁)は「天使と悪魔」「ダ・ヴィンチ・コード」と同様にハーヴァード大学宗教象徴学教授・ラングドンが主人公ですが、異なる点はそれら2作がそれぞれフランス司法警察中央局警部補ジェローム・コレとスイスにあるセルン(CERN、欧州原子核機構科学研究所)の所長・マクシミリアン・コーラーの依頼によって謎を解く舞台設定であったのに対して、今回はラングドン自身がトラブルに巻き込まれたことが発端です。ちなみに、アメリカの大統領選を舞台にした「ディセプション・ポイント」にはラングドンが登場しません。

 

例によって、『この小説に登場する芸術作品、文学、科学、歴史に関する記述は、すべて現実のものである』の断り書きと、『インフェルノ(地獄)とは、ダンテ・アリギエーリの叙事詩「神曲」に述べられた地下世界であり、「神曲」ではそこを""-生と死の狭間にとらわれた肉体なき魂-が集まる複雑な構造の世界として描いている』との注釈付きで物語が始まります。このことから推測して「神曲」にまつわる話だと容易にと推測されました。

 

この小説の粗筋を手短にまとめると、『マルサスの「人口論」に触発された著名な生化学者でありながらイタリア有数の金持ちでもあるベルトラン・ゾブリストが計画して実行に移した壮大な破壊工作を、彼が雇った武装組織「大機構」に妨害されながら、ハーヴァード大学教授で宗教象徴学者であるロバート・ラングドンがダンテの神曲とそれを描いたボッティチェリの「地獄の見取り図」を手掛かりに解決する物語』となるでしょう。本著作も他の2作品と同様に、著者ダン・ブラウンが得意とするルネッサンス時代の宗教・文化・芸術・建築などが満載された難解なサスペンス長編小説です。

 

読後感としては、舞台設定とサスペンスに満ちたストーリー展開はダン・ブラウンならではですが、「天使と悪魔」と「ダ・ヴィンチ・コード」を越えようとして書かれた気負いがあるためか、技巧に走りすぎた感があり、前2作のように強烈な昂揚感(こうようかん、わくわく感)を感じさせないまま気が遠くなるほど延々と続く実質3日間の物語を読み進むと、やや食傷気味になりました。

 

それでも、救いはエンディングを迎える場所が意外なことにトルコのイスタンブール。30年前に訪れたことがある私の大好きな都市です。最後の約120頁を割いてイスタンブールの街並みとモスクが詳説されました。隣国シリアの政情不安のために昨年は諦めたトルコ旅行でしたが、本書を読んでイスタンブールへの憧(あこが)れが再び蘇(よみがえ)ってしまったようです。(以下の写真は上からイスタンブールの旧市街・オスマン帝国君主が居住したトプカピ宮殿・ヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡)
 
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それでもストーリーを知りたいとお考えになった方のために、ネタバレになりますが、本著作の詳しいストーリーを以下に記述します。

 

                           ☆

 

<プロローグ> 追っ手から逃げる""がバディア・フィオレンティーナ教会の尖塔に入り、その頂上まで駆け上がるが、追いつめられた""に向かって追っ手は『隠し場所を教えろ!』と叫ぶ。そして、""は最後の一歩を奈落へと踏み出す。

 

 

 

ロバート・ラングドンは暗示的な幻想から目覚めると、そこは明るいが誰もいない、薬用アルコールの刺激臭が漂い、どこかにある機械が心拍に合わせて単調な電子音を静かに鳴らしている部屋だった。ラングドンは右腕に点滴の管があり、後頭部がうずいて痛みがおさまらない理由を知ろうと自由な方の手を後頭部に伸ばして、そこに十針ほどの縫い跡を見つけた。

 

心電図モニターの音が速まったことに気づいて部屋に入ってきた手術着姿の男に向かって 『何が・・・あったんです』 とラングドンは尋ねるが、その男は答えようとしない。病室には一人用のベッドが一床だけで、そばのカウンターに、たたんで透明なビニール袋に入れられた自分の服が血まみれであることに気づいた。

 

間もなく先ほどの医師の男が連れてきた金髪の女性が 『ドクター・シエナ・ブルックスです。今日はドクター・マルコー二と二人で担当しますね』 と言うと、英語が苦手な男の医師に代わって入院書類の記入するために名前・職業などを質問し始めた。ラングドンがアメリカ人であることと目覚める前に悪夢を見たことを告げると、ブルックス医師は今日の曜日や現在の場所などに質問内容を変えた。そして、不安そうなラングドンを見て、鎮静剤を点滴に加えて、男の医師とともに病室を出て行った。

 

薬が効いてきたことで悪夢に引き戻されそうになるラングドンは明かりが消えた黒い窓ガラス越しに見える建物の壮麗なファサードに見覚えがあった。それは世界にひとつしかない。しかし困ったことに、それは最後に覚えているマサチューセッツから4000マイル離れたフィレンツェにある。その窓の外で、筋肉質の女がBMWのオートバイから軽々とおり立った。サイレンサーつきの銃を確認し、明かりが消えたばかりのロバート・ラングドンの病室の窓を見上げた。今夜、一羽の鳩の鳴き声で本来の任務は大失敗に終わった。ここへ来たのは、それを正すためだ。

 

イタリアの5マイル沖合、アドリア海を進む豪華クルーザー「メンダギウム」に装備された軍用級の電子司令部で、部下から総監として知られている男が現地隊員・ヴァエンサから任務完了の連絡を待っていた。依頼人からの求めに応じていかなる野心や欲求であってもそれを実現する機会を提供する闇の組織「大機構」のトップである。東の空にいつしか曙(あけぼの)のほのかな光がさしたころ、執務室の電話がけたたましくなった。ヴァネッサからである。現地隊員が総監と直接話すのは稀(まれ)であったが、『続報があります。ラングドンが逃げました。例の品を持って』 と言うヴァネッサに総監かなり長いあいだ黙したあと、『わかった。おそらく、ラングドンは早急に当局と連絡をとろうとするはずだ』 とようやく言った。

 

サイレンサーつきの拳銃を持ったヴァネッサがラングドンの病室へ一直線に向かってくるのに気づいたマルコー二医師は開いた戸口へためらいなく進み出て、『止まれ!』 と警官のように手のひらを突き出して制止すると、ヴァネッサはマルコー二医師の胸にまっすぐ狙いを定めて撃った。マルコー二医師が胸から血をほとばしらせて、身動きせず床に倒れている。ヴァネッサは戸口の近くまで来ると、ラングドンを見据えてすばやく銃を構えて顔に狙いを定めた。

 

耳をつんざく音が狭い病室にとどろいた。ブルックス医師が体当たりして金属の重いドアを閉めた音で、つづけてドアの鍵もおろしていた。部屋の外で、銃弾が続けざまに金属のドアを激しく叩いた。ブルックス医師はマルコー二医師の脈を調べたあと、ラングドンの腕をとって、部屋の反対側に引っ張っていき、せまいバスルームを突っ切ってもうひとつのドアから隣の回復室を抜け、廊下を横切って階段の吹き抜けに出た。階段を下りたラングドンはブルックス医師に急き立てられ、病院から離れて薄暗い路地から大通りへ出てタクシーに乗り込み、ヴァネッサの銃撃を受けながらも間一髪で逃れたが、ラングドンはすべてが真っ暗になっていた。

 

ダン・ブラウンの小説らしくサスペンスに満ちた導入部に続いて、予想もできない展開が息をも吐かせず繰り出される。まず、ラングドンの暗殺を依頼した人物は数日前にフィレンツェで投身自殺をしているが、「大機構」は通常通り疑問を挟むことなくそれを完遂する予定であることが読者にほのめかされた。次いで、ラングドンの命を救ったブルックスの自宅で彼女が並外れた頭脳と才能の持ち主であることと、それとは対極的な影の部(不法就労者であることなど)を知る。一方、ラングドンが自分の状況を把握しようと、不用意にインターネットにアクセスして自分の名前を検索したため、「メンダギウム」の船上では女性分析官の一人がハーヴァードのEメールアカウントにアクセスしたラングドンの現在の居場所を突き止めたことを総監に報告していた。

 

さらに、ラングドンが着ていた上着にラングドン自身も知らない隠しポケットがあり、しかもその中に光沢のある重い金属の物体(長さが6cmほどの円筒)が入っていることを入院時に脱がせたブルックスが気がついたことと、それが命を狙われる原因であることを教えられる。それはバイオチューブ(危険物運搬容器)だとも言う。

 

事実、その容器には指紋認証装置があり、ラングドンが親指を押し当てると反応があったため、ラングドンは当局に引き渡すことにした。アメリカ領事館に電話して状況を話すと迎えをよこすとの返事が返ってきた。どこにいるかと聞かれたラングドンはシエナから教わったばかりの近くのホテルにいると伝える。その20分後にシエナは窓の外に黒いBMWのオートバイが止まるのを見つけ、見覚えのある女がそのホテルの中へ消えるのを2人は驚きながら確認する。シエナは 『アメリカ合衆国政府があなたのもとへ殺し屋を差し向けたのよ』 と恐怖に張りつめた声でささやいた。

 

追いつめられたラングドンとシエナは容器を開けることを決断する。中から出てきたものは骨のようなものでできた円筒印象であった。シュメール人が紀元前3500年ごろに発明した円筒印象は粘土の上で転がせば帯状になった象徴や絵画や文字を刻印することができる。ラングドンが手に持つ円形印象に施された彫刻は、角をはやして3つの顔をもつ悪魔が、3人の男を3つの口で同時に食らっているという陰惨なものであった。そして、黒死病を表わす図像である悪魔の下には"SALIGIA"(サリギア、7つの大罪)の文字も彫られていた。しかし、円筒印象の芯にあるはずの空洞がなく、ガラスがはめ込まれている。

 

容器を揺らすと中に入っている小さな物体が動くのがわかり、次第にガラスが光を放ち始めた。そこで、ラングドンにあることがひらめいた。ファラディの法則を利用したポインターである。さらに激しく筒を振ると、ポインターの先端が強い光を放ち、壁面に恐ろしい画像(苦悶する人間たちを描いた陰惨な絵であるボッティチェルリの地獄の見取り図)が投影された。ラングドンは自分がこの絵を調べていたにちがいないと考えた。ダンテの「地獄編」に影響を与えた絵だ。

 

ラングドンとシエナは投影された絵がボッティチェリの原作に疫病医の姿や"CATROVACER"の文字がデジタル加工で付け加えられていることを見つけた。その時、下の通りから出し抜けに高馬力エンジンの轟音(ごうおん)が響いた。オートマチックライフル携えた黒い制服姿の男の一団がシエナのアパートの建物の入り口に向かって駆け出すのが見えた。ホテルの屋上テラスにいたヴァエンサもこの様子を見ていた。通信端末を使って総監に連絡したが、返ってきたのは機械音声で『排除規定が適用されました』あり、端末は機能を停止した。

 

ラングドンとシエナは大人数の敵を見事に欺(あざむ)いてアパートを脱出したが、2人の逃走劇(つまり総監との戦い)の第2幕はまだ始まったばかり(上巻の1/3が経過)である。フィレンツェの旧市街に逃げ込もうとするラングドンとシエナが知略を最大限に発揮して、イタリアの軍警察をも動かす力を有してそれを阻止しようとする「大機構」の作戦の裏をかくシーンが続くが、詳細は省略して概略のルートだけを説明する。

 

イタリア軍警察が検問するロマーナ門から旧市街に入ることを断念したラングドンとシエナは、脇にあるポルタ・ロマーナ美術学校からボーボリ公園とピッティ宮殿とブオンタレンティの洞窟付近にある小さな灰色のドアを抜け、ヴァザーリ回廊(秘密の通路)を通ってシニョーリア広場の南東の角にあるヴェッキオ宮殿に到着した。その五百人広場にあるヴァザーリの巨大壁画「マルチャーノの戦い」はラングドンがポインターから映し出されたボッティチェルリの「地獄の見取り図」(改変されていたが)で見つけた最初のポイントである。

 

ヴェッキオ宮殿で追いつめられたラングドンとシエナは宮殿をかろうじて脱出し、サンタ・マルゲリータ通りにある「ダンテの家」(ダンテの家博物館)へ向かうが、安息日で閉まっていた。そこで、ラングドンはダンテ教会として知られるサンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会へ向かう。ヴェッキオ宮殿で得た暗号「天国の25」を解くためダンテの神曲を読む必要が生じたのだ。そして、それがドゥオーモ広場にあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のサン・ジョヴァンニ洗礼堂であることを知った。そして、ラングドンは探していたダンテのデスマスクをそこで見つけることができた。(以上上巻)

 

ダンテのデスマスクに隠された秘密を調べるラングドンとシエナがいる洗礼堂に見知らぬ男が現れた。2人がヴェッキオ宮殿を脱出した時から後をつけて来たのである。ラングドンの問いに答えてその男はWHOの職員であるジョナサン・フェリスと名乗った。ラングドンがゆうべ頭を撃たれて逆行性健忘の症状が出ていることをシエナが説明するとフェリスの態度が変わり、連絡を寄こさないラングドンが敵側に寝返ったのではないかと疑っていたことと、WHO事務局長のエリザベス・シンスキーがラングドンを雇ったことを明かした。そして、人知れずフィレンツェを出て直ちにヴェネツィアへ行く必要があるともいう。

 

ニューヨークの編集者に電話をかけたラングドンは彼の出版社が利用するチャーター便でスイスのジュネーブへ飛びたいと強硬に頼み込んだ。しぶしぶ引き受けた編集者は運行管理センターへチャーター便の手配を依頼するがラングドンのパスポート情報を情報端末に入力すると赤い警告画面が表示された。あわてたセンターの担当者はすぐさま当局に電話をかける。その頃、ラングドン、シエナ、フェリスの3人が乗車するイタリアの高速列車フレッチャアルジェントでトスカーナの田園地帯を北へ疾走(しっそう)していた。ヴェネツィアまで2時間の旅である。ラングドンは相変わらずダンテのデスマスクの裏側に螺旋状(らせんじょう)に刻まれた詩の解読を続けている。

 

「大機構」の総監は自らの組織だけではなく世界全体が危機に瀕していることを思い知らされ、ゾブリストを依頼人として大機構に紹介したコードネーム"FS-2080"に接触することを決断した。そして、総監がかけた電話をうけたのは意外な人物であった。ここで、物語は大きく展開することになった。敵と味方の構図が根底から覆(くつがえ)ったのである。サンマルコ教会に入ったラングドンはその教会で「サンマルコの馬」を見て、最終目的地がヴェネツィアから遠く離れた異国の町であることに気付く。しかし、武装したグループに包囲され、もともと体調が優れなかったフェリスは急に床に倒れ、ラングドンとシエナは地下墓所へ逃れる。明り取りをこじ開けてシエナはなんとか脱出するが、ラングドンは武装グループに拘束されてしまう。

 

目覚めたラングドンは信じがたい事実を聞かされて反発するが、次第にその事実を受け止めざるを得なくなった。ヴェネツィアのマルコ・ポーロ国際空港から飛び立ったWHOの巨大なC130輸送機はラングドン、総監とその部下、さらにWHO事務局長のエリザベス・シンスキーを乗せ、機首を南東に向けてアドリア海上空を飛行している。同じころ、"FS-2080"を乗せた流線型のセスナ機サイテーション・マスタング(ビジネスジェット機)もヴェネツィアに近いリド島の二チェリ空港を離陸して同じ方角へ向かっていた。著名な衣装デザイナーのジョルジョ・ヴェンチに頼み込んで借りた自家用機である。

 

C130輸送機はトルコのイスタンブールにあるアタテュルク空港へ着陸した。ラングドンが謎を読み解いて見つけた場所はヴェネツィア総督のエンリコ・ダンドロが埋葬された「聖なる英知」を意味する「アヤソフィア」である。ダンドロの墓からかすかに聞こえる水音を確認したラングドンたちは、巨大ドームから流れ落ちる雨水の行方である「イェレバタン・サラユ」(沈んだ宮殿)へ向かった。すると、その地下洞窟ではフランツ・リストの代表曲のひとつである「ダンテ交響曲」の無料演奏会が数百名の参加者を集めて開かれていた。匿名の慈善家が提供する催し物であった。

 

ラングドンたちは洞窟の最深部まで進んでメドゥーサの頭部に行き当たった。そこが探していた場所であるとラングドンは確信する。その時、暗闇から人影が飛び出して来て、出口の方向に突進して行った。黒いブルカを着た人物の目を一瞬見たラングドンはそれが誰であるかを即座に理解して、その人物の後を追うが、シンスキーの指示で入り口のドアが閉じられたため、寸前のところで取り逃がしてします。その人物は「火事だ!」と叫んで逃げたため、大勢の観衆も入口に殺到し、ラングドンは破損したドアとともに外に弾き出された。

 

その人物が市バスに乗ったことを確信したラングドンは近くにいた人に頼んで車に乗せてもらい市バスを追跡する。海峡を渡るガラダ橋の手前で渋滞が発生していたため、その人物は市バスを下りて、スパイス・バザールへ逃げ込んだ。数百軒の露店が並ぶ世界最大級の屋根付き市場である。その市場を突っ切って逃げる人物をラングドンは追うが、障害物に阻まれて距離を開けられてしまい、その人物はモーターボートを奪って金角湾(きんかくわん)の沖合へと行ってしまった。しかし、しばらくアイドリング音が続いたあとモーターボートは岸辺に戻って来た。

 

モーターボートから下りたその人物はラングドンにすべての事実を語り始めた。聞き終えたラングドンはシンスキーにその人物を引き合わせることにした。その時には「沈んだ宮殿」で起きていたことと、「インフェルノ」が意味することのすべて明らかになっていた。WHOC130輸送機に残っていた総監とその部下はトルコ警察に逮捕された。ラングドンの薦(すす)めがあり、シンスキーはその人物(シエナ)をこれからの対応に協力させることを決心する。

 

フィレンツェに戻ったラングドンはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で行われる友人のイニャツィオ・ブゾーニの葬儀に参列したあと、ヴェッキオ宮殿にも立ち寄って、古めかしい陳列ケースの留め金具にダンテのデスマスクをゆっくりと掛けた。 

 

<エピローグ> アリタリア航空のボストン行き夜間飛行便は月明かりの闇を西へ進んでいた。機内に着席しているロバート・ラングドンはペーパーバッグ版の「神曲」にすっかり心を奪われていた。そして、ラングドンは広大な空を見やり、この数日のあらゆる出来事に思いをさまよわせるとともに、ふたりの勇気ある女性に思いをはせた。

2015年6月10日 (水)

岸見一郎氏・古賀史氏共著「嫌われる勇気」を読む

ダイヤモンド社から2013年12月に発刊されたユニークな書名のソフトカバー本(岸見一郎氏と古賀史氏の共著、1500円+税)を読みました。~自己啓発の源流「アドラー」の教え~のサブタイトルがありますから、1990年代にブームとなった自己啓発本の再来かもしれませんが、この書名は「自己啓発」にそぐわないようです。表紙も和紙のような青い柄に書名が大きく書かれているだけの地味な装丁なのです。そんな疑問を感じながら本書の表紙を捲(めく)りました。

 

内表紙の次ページで青年と哲人(てつじん)の会話が始まりました。『世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる』と説く哲人の考えに納得できない青年が、哲人の許(もと)を訪ねて来て、連夜2人で議論をするとの舞台設定です。

 

第一夜 トラウマを否定せよ

 

心理学界の巨人であるフロイトと学説上で対立したことからフロイトと袂(たもと)を分かち、独自の理論に基づく「個人心理学」を提唱した「アルフレッド・アドラーの心理学」を哲学として捉(とら)える哲人に青年は様々な疑問を投げかけた。

 

「なぜ人は変われるのか」について哲人は、過去の出来事によって現在の自分が規定される「原因論」ではなく、今の目的が現在の自分を作り出しているとする「目的論」で理解すべきであると指摘し、「原因論」に従っている限りは一歩も前に進めないと断じた。そして、「トラウマ」の存在を否定し、「人は怒りを捏造(ねつぞう)する」、つまり相手を屈服させる手段として「怒り」という感情を捏造(ねつぞう)するのだと哲人はいう。そして、「怒り」は出し入れ可能な「道具」であると解説した。

 

「過去に支配されない生き方」をするのが良いとし、「アドラーの心理学」がニヒリズムの対極にある思想であると解説した。「人は変われる」を前提に考えるべきであるともいう。大切なのは、「何が与えられているか」ではなく、「与えられたものをどう使うか」であり、「自分の不幸は自分自身が選んだもの」であると断言する。言い換えれば、「人は常に変わらないという決心をしている」と言えるともいう。つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることの方が楽であり、安心なのだとその理由を解説する。

 

あなたの人生は「今」と「ここ」で決まると指摘し、「もしも何々だったら」と考えているとしたら、変わることなどできないと断言した。

 

第二夜 すべての悩みは対人関係

 

哲人は次のステップの議論へと移り、自分のことが嫌いな理由は「自分を好きにならないでおこう」と決心しているからだと指摘する。そう考える理由は「自分が他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に恐れているからなのだ。つまり、他者との関係のなかで傷つかないことを目的にしているからだ」と哲人は分析する。そして、その改善策として「勇気づけ」の有用性を説明した。

 

われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」だと哲人はいう。「つまり、主観の良いところは、自分の手で選択可能であり、最終的には対人関係の悩みにつながる」ことも付言した。「言い訳としての劣等コンプレックス」の見方では、理想に到達していない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く、「優越性の追求」(理想の状態を追求すること)が「劣等コンプレックス」(劣等感そのものではなく)の背景にあるという。ここで哲人は、コンプレックスは日本語で誤用されているような劣等感ではなく、複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語であって、劣等感とは関係ないと指摘する。むしろ、劣等感は努力や成長を促す「切っ掛け」にもなりうるものであるという。

 

「自慢する人は劣等感を感じている」として、強い劣等感に苦しみながらも、努力したくない人や、「劣等コンプレックス」でも我慢できない人は、「もっとも安直な手段によって補償しよう」と考え、「優越コンプレックス」に陥る。つまり、あたかも自分が優れているかのように振る舞い、「偽りの優越感」に浸ると哲人はいう。身近な例は「権威づけ」や「過去の手柄話」など、そして特異ではあるが「不幸自慢」もあると。

 

人生は「他者との競争」からではなく、「理想の自分との比較」から生まれるものであると哲人は指摘し、われわれは「同じではないけれど対等である」ともいう。対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることはできないと警告し、「人々は自分の仲間なのだ」と考えることを勧める。さもないと、他者との「権力争い」は敗者による「復讐」へと進展するだろうとも警告する。また、自分の主張が誤っていた場合は、すなおに誤りを認め、謝罪の言葉をのべ、論争から降りるべきであるとも。(以下省略)

 

第三夜 他者の課題を切り捨てる (具体例の説明が主体であるため、詳細は省略してキーワードだけを列記する)

 

・承認欲求を否定する

・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

・「課題の分離」とはなにか

・他者の課題を切り捨てよ

・対人関係の悩みを一気に解消する方法

・「ゴルディオスの結び目」(*)を断て *アレクサンドロス大王の東征にまつわるい逸話(難問)

・承認欲求は不自由を強いる

・ほんとうの自由とはなにか

・対人関係のカードは、「わたし」が握っている

 

第四夜 世界の中心はどこにあるか (込み入った議論であるため内容説明を省略)

 

第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる (派生的な論議であるため前半の説明を省略)

 

・普通であることの勇気

・人生とは連続する刹那(せつな)である

・ダンスするように生きる

・「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ

・人生最大の嘘は「いま、ここを生きないこと」

・無意味な人生に「意味」を与えよ
 
 「人生には一般論として語れるような意味」は存在せず、「人生の意味は、あなた自身が

自分自身に与えるものだ」であり、「他者に貢献するのだ」という「導きの星」さえ見失わな

ければ、迷うこともないし、何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてもかま

わない。世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変

わりえない、ということだと哲人は結言する。

 

<読後感> フロイト、ユングと並んで「心理学の三大巨頭」と称され、自己啓発の源流とも呼ばれるアドラーの思想(心理学)を哲人と青年の会話(議論)で解説するユニークな手法は、動(やや)もすると難しくなりがちな心理学を身近な事例を使って分かりやすく解説することに役立っています。

 

アルフレッド・アドラーは19世紀後半から20世紀前半に生きたオーストリア出身の精神科医であり軍医・心理学者・社会理論家でもありました。日本で良く知られる精神分析を得意とした無神論者のフロイトやそのよき理解者(後にフロイト決別する)であったスイスの精神科医・心理学者であり、分析心理学を創始したユングとは異なり、アドラーは日本では知名度が高くありませんが、自らの経験を踏まえた多彩な研究で欧米において高く評価されているようです。

 

「アドラーの心理学」は「他者」との関係性に着目し、フロイトとは対照的に「過去の経験(体験)」(トラウマ)が現在の自分に与える影響を否定する点に特徴があります。(異説有) 自らが幼少期から苦労して克服した肉体的な弱点および精神科医として身体的な弱点を克服した患者を診断する中で生まれた性善説に基づく考えのようです。

 

「嫌われない」ことは、「相手に好かれたい」だけではなく、「自分が責任をとらなくてもよいメリット」があることが本当の目的であるとの指摘は正鵠(せいこく)を射ている(確信を突いている)と首肯(しゅこう)できます。また、本書では「ほめること」は「叱(しか)ること」と同様、相手を縦の関係に置く行為だとしています。つまり、「ほめること」によって、相手を操作しようとしているのだと。また、「怒る」のも自信のなさの表れだとも。大切なのは「横の関係」になることだと言っています。

 

確かに物事は自分自身の考え方次第で、良くなったり、逆に悪くなったりすることは良くあります。中国の故事にも「人間(じんかん)万事塞翁(さいおう)が馬」とあります。つまり、禍福(かふく)というのは予測できないものであるというのです。ちなみに、人間(じんかん、漢音)は人の住む世界(世間)を意味しますが、人間(にんげん、呉音)と読ませる故事辞典があるように、どちらの詠み方でも良いようですが、人間(じんかん)とした方がホモサピエンスである人間(にんげん)のことと誤解されることが少ないと思います。

 

また、本書が指摘する様々な事柄を読み進むと、「アドラーの考え」には宗教に似たものを感じさせます。それもキリスト教やイスラム教のような一神教ではなく、多神教の仏教(あるいはヒンドゥー教)の教えに通底することが多いように思われるのです。西洋人であるアドラーがなぜこのような考えに至ったのかは前述した程度のことしか理解していませんが、宗教の影響というよりも、精神科医として患者を診断することを通じて生まれた考えであろうと推察できそうです。

 

しかも、宇宙の絶対的な真理と神秘性を重視(不可欠と)する宗教の色彩は希薄ですから、新興宗教の一派のような思想であるとの偏見を持って「アドラー心理学」を捉(とら)えるではなく、あくまでも自己啓発本として本書を一読することで、「アドラ心理学」に触れてみるこことをお勧めします。
[自己啓発よりも地道な学習と実践を重視した元仕事教信者より]

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