書籍・雑誌

2019年5月12日 (日)

又吉直樹著「劇場」を読む

又吉直樹氏の処女作「火花」に続く第二作である「劇場」(20175月新潮社刊)を読みました。文藝春秋社から発行された前作とは異なるモノクロの無機質な画を装丁した表紙を捲(めくる)と、『まぶたは薄い皮膚でしかないはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。(中略)あきらめて、まぶたをあげると、あたりまえのことだけれど風景が見える。』 という唐突な文章で本文が始まりました。
 

[粗筋]
 

8月のある午後、新宿から三鷹の家へと向かっている主人公の永田は代々木体育館の脇を過ぎたところにある画廊の前で見かけた若い女性に思わず声を掛けた。自分でも訳が分からないと思う言葉を交わすうちに永田は近くのカフェでアイスコーヒーをおごってもらうことになる。その女性は青森県出身の沙希(さき)、高校卒業後すぐに女優を目指して上京し、現在は服飾の大学にも通っているという。永田も問われるままに無名の劇団で芝居の脚本(ほん)を書いている大阪出身者であると答えた。
 

沙希を相手にくだらないことを長々と話した後、郵便局のATMで残金1万円を下ろした永田は適当な店に入って二人でパスタを食べた。夜の匂いがする公園通りを抜けて渋谷駅まで歩いたところで二人は別れる。連絡先を交換したものの電話をかける理由がなく、携帯電話でメールだけは何度か送ったが、内容はどうしようもないものばかりで、再会を果たせるかどうかが気がかりである。そして、永田には十月に下北沢の駅前劇場で公演を控えていることも不安の一つだった。
 

公演の準備に追われる永田は沙希とメール交換を続けてはいたが、脚本がほぼ完成したような気持ちになったことで、劇団仲間のアドバイスにしたがい、渋谷に家具を見にゆくことを口実にメールで沙希を誘う。渋谷の西武百貨店のあたりで午後五時に待ち合わせた二人はあてもなく歩き始める。驚いたことに沙希は美容師やら雑誌の編集者やらに信じられないほど声をかけられるが、知らない人と話したくない永田はそれらの人々を無視する。結局、適当な家具屋にはたどり着けず、夜になっても二人は歩き続けた。こうして二人の付き合いが始まる。
 

脚本を書き上げた永田は女役に沙希を起用することを決める。沙希のキャラクターが劇作家と一緒に暮らす女の役にふさわしいと考えたのだ。本番まで三週間しかなかないことで永田はさっそく沙希のアパートを訪れる。自室で原稿を読んだ沙希は意外なことに感動して泣き始めた。永田の提案に対して最初は『できないよ』 と言う沙希に永田はゆっくりと時間をかけて丁寧に説明する。そして、『やってみる』と沙希が口にした時には、窓の外が明るくなりはじめていた。(以下略)
  
 

[読後感]
 

演劇へ一途に取り組む永田と彼を見守りながら理解しようとする沙希との奇妙な出会いから数年にわたる交流が著者一流の文体で生き生きと表現され、永田の頑(かたく)なな性格によって次第に追い詰められて行く二人の精神状態の変化とついには避けられないエンディングへと繋(つな)がる様が見事に描かれている。前作に比べると、関西弁での会話が最小限に抑えられていることもあり、やっと私にも著者の卓越した文章力が理解できました。また、著者が持つ登場人物への暖かい思い遣りが行間から自ずと伝わったことも特筆すべき点でした。

2019年5月 9日 (木)

又吉直樹著「火花」を読む

文藝春秋社から2015年3月に発行された掲題の著作を読みました。同社の『文學界』2015年2月号にまず掲載されると現役の人気お笑いタレントが書いた純文学小説として話題を呼び、新人小説家の登竜門である第153回芥川龍之介賞(2015年上期)を受賞した中編小説です。(注、羽田圭介氏との同時受賞) 250万部を突破する超ベストセラーとなったこの作品を発行から4年が経過した今になって読もうと思った理由は特にありませんが、敢(あ)えていえば人気を博した作品への評価が大きく分かれたことに影響されて、読むタイミングを逸したことだと思います。
 

[あらすじ]
 

花火の観覧場所へ向かう人で賑わう熱海湾に面した沿道脇にある簡素な舞台の上で松永(主人公)とその相方のコンビ「スパークス」が漫才を披露しているが二人に気をとめる人は皆無である。後方の海では花火の爆発音が成りはじめたころに二人は舞台から降りて、控えとなる粗末なテントの中で最後のコンビ「あほんだら」とすれ違った時、その一人から「仇(かたき)とったるわ」との言葉を投げつけられた。「あほんだら」の漫才は大衆に喧嘩を売るような激しいもので主人公はそのコンビから目を離せなくなっていた。そして、「ギャラ貰ったから飲みに行けへんか?」と同じ人物が声をかけてきた。こうして知り合ったのが「あほんだら」の神谷(かみや)さんだった。東京で活動している僕は二十歳、大阪の大手事務所に所属する神谷さんは二十四歳。僕はなぜか型破りな神谷さんに弟子にしてくださいと頭を下げた。
 

会う機会がほとんどない二人は携帯電話で近況を伝えあうようになった。熱海の花火大会から一年が過ぎたが、「スパークス」は小さな劇場に出演するため、月一度のネタ見せと呼ばれるオーディションを受ける日々が相変わらず続いていた。それでも、少しずつ劇場での出番が増えていくに伴い、他事務所のライブにも呼ばれるようになり、劇場に足を運んでくれる人達に名前を憶えてもらえるようになった。そのころ、神谷さんが拠点を東京に移すことになる。劇場システムから零(こぼれ)れ落ちた人と同様に新天地を求めて東京に出てくることになったのである。周囲と上手く関係を築くのが不得意のようだ。
 
その神谷さんからのメールで私は住まいがあるという吉祥寺へ向かう。吉祥寺駅で落ち合った二人はいつの間にか井の頭公園に向かう人達の列に並んでいた。神谷さんは公園で太鼓のような細長い楽器を叩いている若者が気になったのか、やおら絡み始めた。それでも雨が降ってきたことで珈琲店に場所を変えると、神谷さんが漫才に関する持論を長々と展開する。
 
それから吉祥寺で毎日のように二人は会うようになった。そんなある日、泥酔した僕を神谷さんは家に誘った。押し問答の末、僕は神谷さんの後をついて行くと、吉祥寺通りを抜けてトラックばかりが通過する青梅街道を突っ切って富士見通りと中央通りから「西武鉄道 上石神井駅」前のロータリーに出た。神谷さんの住いは吉祥寺ではなかった。二人が着いたのはとあるアパートで、「真樹」という女性が住む部屋である。神谷さんはこの部屋に転がり込んでいるようだ。
 

年が明けて間もない頃、珍しく神谷さんから渋谷に呼び出された。スクランブル交差点を横断して、宇田川交番の近くにある居酒屋で女性たちと待ち合わせているようだ。男女が出会う飲み会に参加するのが初めての僕はかなり気遅れ(注、気後れとも表記)していた。神谷さんは僕や真樹さんと一緒にいる時よりも少し明るいように見え、飲み会は神谷さんの独壇場だった。井の頭線の終電近く、二人は吉祥寺へ向かった。下北沢と明大前で多くの人の乗降があり、永福町でも。吉祥寺に着いた二人は北口を出て、神谷さんの誘いで「ハーモニカ横丁」へ行く。
 

子供の頃からテレビで見ていた大師匠の訃報を聞いて僕はすぐにネタ合わせがしたくなって、高円寺の自宅から程近い公園に相方の山下を呼び出した。ネタを考えながら口で合わせる時は新宿の喫茶店。実際に立って合わせる時は、この公園が多かった。取りあえず、次のオーディションでやる予定のネタを合わせてみたが、あまり上手く行かない。繰り返し何度もやってみたが、いつも以上に噛み合わない。お互いのテンポがまるで合っていないのだ。いつまで経っても僕達には自分達のリズムというものが見つからないのだ。そして二人は言い争いになる。(以下省略)
   

[読後感]
 

著者の又吉直樹氏は大阪府寝屋川市(北河内)出身のお笑いタレントで、相方の綾部裕二(茨城県古河市出身)とお笑いコンビ「ピース」を結成して活躍(現在は活動休止中)。又吉氏の生い立ち(大阪府出身)とお笑いタレントとしての経歴が十二分に反映された小説だといえるでしょう。
 

本書の特徴となっているポイントを私なりに列挙すると、①一人称で書かれている、②多用される関西弁(大阪弁)による芸人同士の会話を通して人物描写と心情表現が行われる、③芸人である著者の考え・心情を登場人物に語らせている、④豊富な語彙(ごい)と長文を自由に操る優れた文章力で書かれている、となりますが、これらの特徴が中編小説「火花」の評価を二分させているともいえるでしょう。特に、④の文体が芥川賞に相応しい水準であるか否かを疑問視する意見があるようです。
 

しかし、純文学に馴染みのない私はその文体の是非についてコメントすることはできませんが、②と③はこの作品の大きな魅力であると感じました。また、エンディングへと至る後半のストーリー展開も著者の並々ならぬ才能を反映していると思いました。乱暴な意見ですが、私には「火花」が上方漫才の手法を用いて書かれた中編小説のように思われてなりません。
 
題名が「火花」であることも私の心に引っ掛かりました。冒頭の場面と最後の場面はともに熱海の「花火」大会を背景としていることから「花火」で良かったのではという疑問です。一方、主人公「徳永」が結成していた漫才コンビの名は「スパークス」(火花)で、こちらは「ぱっと出てぱっと消える」ことを意味しており、この漫才コンビの行く末をそのまま予言しています。ちなみに、報道によればこの題名は文学界の編集部サイドから提示されて、又吉氏が気に入って受け入れたものだそうです。つまり、この小説に出てくる芸人は花火の中の1つの火花みたいな存在という意味があるそうです。
 

又吉直樹氏の「火花」は芥川賞よりも直木賞のほうが相応しいのではないかと思った私は第二作の中編小説「舞台」も読んでみることにしました。
   

[参考情報]
 
公益財団法人日本文学振興協会のhpによると芥川賞と直木賞は次の通り説明されています。
 

芥川賞(正式には芥川龍之介賞)は文藝春秋の創業者・菊池寛(明治21年~昭和23年)が、友人である芥川龍之介(明治25年~昭和2年)の名を記念し、直木賞と同時に昭和10年に制定しました。雑誌(同人誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編小説のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です。
 

直木賞(正式には直木三十五賞)は同じく友人である直木三十五(明治24年~昭和9年)の名を記念し、芥川賞と同時に昭和10年に制定しました。新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です。

 

少し噛み砕いて説明すると、両賞はそれぞれ純文学と大衆文学の作品を対象としている点に違いがあります。また、前者は「芸術性」と「形式」を重んじる小説で、主に文章の美しさや表現鵜の多彩さが評価され、後者は「娯楽性」と「商業性」を重んじる小説で、読んで楽しいと感じるエンターテイメント小説とされます。また、対象なると作者については、前者が無名~新人であり、後者は無名~中堅と微妙に異なり、両賞を同時に受賞することはできません。

2019年5月 6日 (月)

菅野仁著「友だち幻想」を読む

筑摩書房から2008年3月に出版された掲題の新書(2018年4月初版第25刷)は『人と人の〈つながり〉を考える』 を副題としています。インターネット、なかでもSNSの普及によって急速かつ大きく変わったといわれる「人と人の繋がり」を考える上での参考になることを期待して、気軽な気持ちでこの本を手に取りました。
 

その裏表紙には『友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。人と人との距離感覚をみがいて、上手に〈つながり〉を築けるようになるための本。』 とあります。ちなみに、目次は次の通りです。
  
 

[目次

はじめに― 「友人重視指向」の日本の高校生

第1章 人は一人では生きられない?

第2章 幸せも苦しみも他者がもたらす

第3章 共同性の幻想――なぜ「友だち」のことで悩みは尽きないのか

第4章 「ルール関係」と「フィーリング共有関係」

第5章 熱心さゆえの教育幻想

第6章 家族との関係と、大人になること

第7章 「傷つきやすい私」と友だち幻想

第8章 言葉によって自分を作り変える

あわりに――「友だち幻想」を超えて
   

[出版社からのコメント]

本書は、もともとは2008年に社会学を専門とする著者が人間関係で初めてつまずきを感じる多感な年頃の中・高校生に向けて書いたものです。他者との距離感についてもう少し敏感になることで、もっと豊かな関係を築くことができると説いています。今では学生だけでなく、老若問わず深く共感する声が多数寄せられています。と同時に、初学者向けに社会学を紹介するテキストとしても定評があり、中学から大学の課題図書や入試問題文としても繰り返し使われています。 
   

[要旨]

著者は「はじめに」から第1章と第2章において、友だちや人との付き合い方、つまり人間関係とは何かを教育者としての知見に基づいて分析し、『友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。』 という疑問を取り上げた。つまり、過剰な〈つながり〉がもたらす息苦しさに目を向けたのである。かつての「ムラ社会」が貨幣が浸透するとともに変質し、お金さえあれば一人で生きることが選択可能と思われるようになったことで、逆に人のつながりが大切になっているが、 『一人は寂しい』 との感覚があると著者はいう。そして、「親しさを求める作法」が昔と違い、人と人のつながりには「利益をを得ようとする場合」と「つながることそのものが目的である場合」の2つがあると分析し、後者には「幸福そのものの歓び」と「他者から承認される歓び」(脅威の源泉になる場合も)があるという。
   

第3章では教育界でこれまで常識とされた共同性、つまり 『みんなと仲良くしなければいけない』 といったような人間関係の常識が幻想であったことを明らかにし、同調圧力により友情が強迫になることがあり、それとどう折り合いをつけるのかが課題となることを事例で紹介。つまり、「同調性」から「併存性あるいは共在性」(やりすごすという発想)へ発想転換することの意義を述べた。また、第4章では「ルール関係」(自由のために必要であるが最小限が望ましい)と「フィーリング共有関係」(負の部分がある)の考えを提起して人間関係の多様性を捉え、第5章では教育界で定着する上記の共同性が思い込みであることを明示し、「村社会的な人間関係」や「話せば分かる」はもはや幻想であると指摘した。
 

以上の検討結果を踏まえて、第6章と第7章で成長過程にある子供たちが家族(定位家族)との関係を通して人と人の関わりを学ぶ過程において他者と適切な距離を取ることが重要であることを詳しく解説した。つまり、他者を100%理解して受け入れることは極めて難しいことはもちろん、逆に「自分を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」 と考えることも現実的ではないと分析し、他者との関係を共有関係あるいはその真逆である拒絶関係として捉えるのではなく、相応の距離を保つ能力の重要性を明らかにして、社会人となる前にその能力を取得する必要性を指摘。つまり、人と人との距離感覚をみがいて、上手に「つながり」を築くことが生きていくために大切なことであると著者は言う。

 

第8章では相手の働きかけに対してきちんとレスポンスすることの重要性と他者とのコミュニケーションを阻害する言葉である「ムカツク」「うざい」「ていうか」「チョー」「カワイイ」「ヤバイ」「キャラがかぶる」「KY(空気読めない)」などの危険性に言及した。そして、「他者とのつながり」に必要な情緒や論理の深度を深める言葉を増やすためには読書が一番の早道だと指摘した。つまり、「言葉によって自分を作り変える」ことの有用性である。最後は、『他者への恐れの感覚や自分を表現することの恐れを多少乗り越えて、少々苦労して人とぶつかり合いながらも理解を深めることで人とつながることができるようになる。』 と締めくくった。
   
[読後感]

成長過程にある中高生だけではなく、様々な世代の社会人、そして豊富な経験を積んだ高齢者においてさえ難しい人間関係を根本から見直し、その改善策である「他者との適切な距離感を取る(敏感になる)こと」と「情緒を共振させながら他者との交流を通して生を深く味わうこと」の有用性を提示することで、生きる上で大切な「人との良いつながり」を可能にする手法を解説する実用的な良書です。

2019年5月 3日 (金)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス 〜テクノロジーとサピエンスの未来」(下巻)を読む

株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された掲題のハードカバー本(下巻)の要旨をまとめてみました。ちなみに、下巻の目次は次の通りです。

6章 現代の契約
銀行家はなぜチスイコウモリと違うのか?/ミラクルパイ/方舟シンドローム/激しい生存競争

7章 人間至上主義
内面を見よ/黄色いレンガの道をたどる/戦争についての真実/人間至上主義の分裂/ベートーヴェンはチャック・ベリーよりも上か?/人間至上主義の宗教戦争/電気と遺伝学とイスラム過激派

2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

8章 研究室の時限爆弾
どの自己が私なのか?/人生の意味

9章 知能と意識の大いなる分離
無用者階級/八七パーセントの確率/巫女から君主へ/不平等をアップグレードする

10章 意識の大海
心のスペクトル/恐れの匂いがする/宇宙がぶら下がっている釘

11章 データ教
権力はみな、どこへ行ったのか?/歴史を要約すれば/情報は自由になりたがっている/記録し、アップロードし、シェアしよう! /汝自身を知れ/データーフローの中の小波

謝 辞

訳者あとがき
 
 
[要旨]
 
第2部の後半部である「第6章 現代の契約」では現代における力の追求を取り上げ、「第7章 人間至上主義革命」では人類がしだいに大きくなる力をどのように使って宇宙の無限の空虚さの中になんとか再び意味をこっそり持ち込もうとしてきたかを考察した。

まず、現代の契約とは人間に途方もない誘惑と桁外れの脅威を抱き合わせで提供する。そして、現代における力の追求は科学の進歩と経済の成長の間の提携を原動力としているとも。それまでは、科学がゆっくり進歩し、経済は完全な凍結状態にあった。したがって、人々は経済が成長すると信じていなかった。世界は決まった大きさのパイであるという伝統的な見方は、世界には原材料とエネルギーという2種類の資源しかないことを前提としていた。

だが実は、資源には3種類ある。原材料とエネルギーと知識だ。最初の2つは限りがあり、使えば使うほど残りが少なくなる。それに対して、知識は増え続ける資源で、使えば使うほど多くなる。これに気づかなかった理由は、この世界が提供しうる重要な知識はすべて聖典や古代からの伝承の中に含まれていると信じていたからだ。しかし、人類は科学革命によって、この素朴な思い込みから解放された。科学の助けを借りて、これまでよりもはるかに多くのエネルギーと原材料を思いのままにしており、生産は急激に増えている。蒸気機関や内燃機関やコンプューターなどの発明から新しい産業がいくつも誕生した。

20年先にはナノテクノロジーや遺伝子工学やAIがまたしても生産に大革命を起こすことは確実だ。したがって、資源の欠乏という問題を克服する可能性は十分ある。現代の経済にとって真の強敵は生態環境の崩壊だ。たとえ経済の破綻と生態環境のメルトダウンの両方をなんとかかわせたとしても、さまざまな大問題を引き起こすだろう。現代社会の崩壊から人類を救出したのは需要と供給の法則ではなく、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭だった。

人生の意味も神や自然の法もない生活への対応策として登場した人間至上主義は、人間性を崇拝し、キリスト教とイスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理がそれぞれ演じた役割を、人間性が果たすものと考えである。つまり、これまでのように宇宙の構想が人間の人生に意味を与えるのではなく、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考えを反転させた。

過去2世紀にわたる世界観であった人間至上主義は3つの主要な宗派、自由を重視する正統派の人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、ナチスを最も有名な提唱者とする進化論的な人間至上主義に分かれた。1914年から1989年まで3つの人間至上主義の宗派間で宗教戦争が猛威を振るい、最初は自由主義が敗北を喫したが、第二次世界大戦では自由主義の大勝利となったが、ドイツ軍を打ち負かしたのは自由主義陣営がソ連と手を結んだからだ。そして、社会主義的な人間至上主義はソ連から東欧や中国へと広まった。

1975年、自由主義陣営は最も屈辱的な敗北を喫した。ヴェトナム戦争が北ヴェトナムの勝利で終わり、共産主義は南ヴェトナム、ラオス、カンボジアを相次いで掌握した。これにより、社会主義陣営が自由主義陣営を上回る勢力となったが、南欧で独裁者政権が倒れ、インドでも民主主義が復活し、1980年代には東アジア(中華民国・韓国)とラテンアメリカ(ブラジル・アルゼンチン)などで軍事独裁政権が民主的な政権に取って代わられたことで自由主義陣営が冷戦で決定的な勝利を収め、人間至上主義の宗教戦争の趨勢が決まった。ソ連が内部崩壊し、東欧と旧ソ連の共和国の多くが自由主義政権となったことは世界の他の地域(ラテンアメリカ・南アジア・アフリカ)にも広がった。

しかし、著者は21世紀に人間が不死と至福を人間至上主義の文明が最大化するとしても驚くまでもないと言いつつも、夢の基盤を損なう恐れを、「第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」で述べる。

「第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」のポイントは、人間はこの世界を動かし、それに意味を与え続けることができるか? バイオテクノロジーとAIは、人間至上主義をどのように脅かすか? 誰が人類の跡を継ぎ、どんな新宗教が人類至上主義に取って代わる可能性があるのか? であることをまず示唆した著者は最後の第3部を紐解き始めた。

第8章 研究室の時限爆弾

2016年の世界は、個人主義と人権と民主主義と自由市場という自由主義のパッケージに支配されているが、21世紀の科学は自由主義の秩序の土台を崩しつつある。自由主義も他のあらゆる宗教と同じで、抽象的な倫理判断だけではなく、自らが事実に関する言明と信じるものに基づいているが、それらは厳密な科学的精査には到底耐えられないのだ。自由主義者が個人の自由を重視するのは、人間には自由意志があると信じているからだ。しかし、自由意志と現代の科学との矛盾は研究室の持て余し者であり、多くの科学者はなるべくそれらから目を逸らしている。しかし、サピエンスのブラックボックスを開けると、魂も自由意志も「自己」も見つからず、遺伝子とホルモンとニューロンがあるばかりで、それらはその他の現実の現象を支配するのと同じ物理と化学の法則に従っていた。

自由へのとどめの一撃を加えたのは進化論だ。自由意志という概念を受け容れることができない。人はこのような科学的説明を突きつけられると、自分は自由だと感じていることや、自分自身の願望や決定に従って行動していることを指摘する。もし「自由意志」とは自分の欲望に即して振る舞うことを意味するのなら、たしかに人間には自由意志がある。

だが、肝心の疑問はその欲望を選ぶことができるかどうかだが、科学は自由意志があるという自由主義の信念を崩すだけではなく、個人主義の信念も揺るがせる。人間は分割不能な個人ではない。さまざまなものが集まった、分割可能な存在なのだ。例えば、右脳と左脳には情動的な違いと認識的な違いがあることが多くの実験で明らかになっている。また、経験する自己と物語る自己が緊密に絡み合いながら存在することも。そして、物語る自己は経験する自己の経験を使って物語を創造する。

とはいえ、必ずしも物語る自己が優位とは限らず、物語る自己が練り上げた計画を台無しにすることがよくある。しかし、私たちのほとんどは自分を物語る自己と同一視する。つまり、私たちが「私」というときには、自分がたどる一連の経験の奔流ではなく、頭の中にある物語を指している。例え、何度となく書き直されて、今日の物語で生涯変わることのない単一のアイデンティティがあるという感じをつねに維持するのだ。これが分割不能の個人である。

第9章 知能と意識の大いなる分離

前章では自由主義の哲学を切り崩す近年の科学的発見を眺めたが、本章ではその実際的な意味合いを考察する。自由主義が支配的なイデオロギーとなったのは、たんにその哲学的な主張が最も妥当だったからではない。むしろ、人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的にも軍事的にもじつに理に適っていたからこそ、自由主義は成功したのだ。しかし、21世紀には、自由主義は自らを売り込むのがずっと難しくなるだろう。過去には人間にしかできないことがたくさんあった。だが今ではロボットとコンピューターが追いついてきており、間もなくほとんどの仕事で人間を凌ぐかもしれない。人間は経済的な価値を失う危機に直面している。なぜなら、知能が意識と分離しつつあるからだ。

21世紀の経済にとって最も重要な疑問はおそらく、厖大な数の余剰人員をいったいどうするか、だろう。これは新しい疑問ではなく、産業革命が勃発して以来、人々は機械化のせいで大量の失業者が出ることを恐れてきた。ところが、そういう事態にはならなかった。新しい職業が誕生し、機会よりも人間のほうがうまくこなせること(認知的技能が必要な仕事)がつねにあったからだ。

また、21世紀の新しいテクノロジーは、人間至上主義の革命を逆転させ、人間から権威を剥ぎ取り、その代わり、人間ではないアルゴリズムに権威を与えるかもしれない。ハイテクの権威たちが、神とはおよそ無縁でテクノロジーがすべてである素晴らしき新宗教を私たちのために生み出しつつある。こうした新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義とデー教という、2つの主要なタイプに分けられる。データ教によると、人間はこの世界における自分の任務を完了したので、まったく新しい種類の存在に松明(たいまつ)を手渡すべきだという。もう一つはより保守的な宗教であるテクノ人間至上主義である。

この宗教は依然として、人間を森羅万象の頂点とみなし、人間至上主義の伝統的な価値観の多くに固執する。はるかに優れた人間モデルであるホモ・デウスを生み出すために、遺伝子工学やナノテクノロジーやブレイン・コンピューター・インターフェースなどのテクノロジーを使うべきだと結論する。つまり、人間は自分の頭脳を積極的にアップグレードしなければならないという。しかし、人間の意志がこの世界で最も重要であると考えているため、その能力をどう使えばいいのか分からなくなり、どうしようもないジレンマに直面する。

一方のデータ至上主義は、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まる。生物化学では生き物を生化学的アルゴリズムとして考えており、コンピューター科学者はしだいに高性能の電子工学的アルゴリズムを設計できるようになった。データ至上主義はこれら2つをまとめ、まったく同じ数学的法則が生化学アルゴリズムにも電子工学的アルゴリズムにも当てはまると指摘する。そして、動物と機械を隔てる壁を取り払う。そして、ゆくゆくは電子工学的なアルゴリズムが生化学的なアルゴリズムを解読して、それを超える働きをすることを見込んでいる。

データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体を単一のデータ処理システムとして解釈し、一人ひとりの人間はそのシステムのチップの役目を果たす。そして、このシステムは「すべてのモノのインターネット」と呼ばれる。この宗教が信奉する至高の価値は「情報の流れ」だ。データ至上主義によると、人間の経験は神聖ではないし、ホモ・サピエンスは、森羅万象の頂点でもなければ、いずれ登場するホモ・デウスの前身でもない。人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。人類はそれと一体化する定めにある。(注釈:著者はデータ至上主義の出現で考えられる多くのシナリオを描くが、それについては説明を省略する)

最後にデータ至上主義が与える可能性があることについて次のようなシナリオを提供した。今のところ、人間至上主義に取って代わるものとして最も有力なのは、人間ではなくデータをあらゆる意味と権威の源泉とするデータ至上主義だ。データ至上主義の観点に立つと、人類全体を単一のデータ処理システムと見なし、歴史全体を、このシステムの効率を高める過程と捉えることができる。この効率化の極致が「すべてのモノのインターネット」だ。だが、大量で急速なデーターフローには、人間をアップグレードしても対処できない。
 
「人間はその構築者からチップへ、さらにはデータへと落ちぶれ、ついには急流に呑まれた土塊(つちくれ)のように、データの奔流に溶けて消えかねない」「人間と動物の関係は、超人と人間の未来の関係」やデータ至上主義と人間にとって、「私の手元にある最良のモデルだから」でもある。このモデルに従えば、こうなる。「自動車が馬車に取って代わったとき、私たちは馬をアップグレードしたりせず、引退させた。ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない」 だが、サピエンスにも未来に希望が見える。まず、現在の科学の教義が正しくないと考える余地が残っている。意識が知能より重要である可能性は今後も真剣に研究・検討していく価値がある。
 
そして、もう一つ。本書の予測が、予測のための予測ではなく、未来は変えられるという前提で思考や行動を促す提言である点だ。「本書の随所に見られる予測は、今日私たちが直面しているジレンマを考察する試みと、未来を変えようという提案にすぎない」「予言ではなく可能性として捉えるべきだ」、歴史を学ぶことの意義については、「歴史の研究は、私たちが通常なら考えない可能性に気づくように仕向けることを何にもまして目指している」とする。(終)

2019年5月 2日 (木)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス 〜テクノロジーとサピエンスの未来」(上巻)を読む

株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された「ホモ・デウス ~テクノロジーとサピエンスの未来」(上下巻)の「書評」に続いて、上巻の要旨をまとめてみました。ちなみに、上巻の目次は次の通りです。

   第1章 人類が新たに取り組むべきこと

  生物学的貧困線/見えない大軍団/ジャングルの法則を打破する/死の末日/幸福に対する権利/
  地球という惑星の神々/誰かブレーキを踏んでもらえませんか?/知識のパラドックス/芝生小史/
  第一幕の銃

第1部 ホモ・サピエンスが世を征服する

   第2章 人新世

  ヘビの子供たち/祖先の欲求/生き物はアルゴリズム/農耕の取り決め/五00年の孤独

   第3章 人間の輝き
  チャールズ・ダーウィンを怖がるのは誰か?/証券取引所には意識がない理由/生命の方程式/
  実験室のラットたちの憂鬱な生活/自己意識のあるチンパンジー/賢い馬/革命万歳!/セックス
  とバイオレンスを越えて/意味のウェブ/夢と虚構が支配する世界

第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

   第4章 物語の語り手
  紙の上に生きる/聖典/システムはうまくいくが・・・・・

   第5章 科学と宗教というおかしな夫婦
  病原菌と廃物/もしブッダに出会ったら/神を偽造する教義/魔女狩り
 

[要旨]

第1章 人類が新たに取り組むべきこと

人類にとって新たに取り組むべきことは何千年も不変であった3つの問題であったことを世界各地域の事例を引用しながら解説した。その1つ目は何千年も前から人類が「生物学的貧困線」ぎりぎりのところで暮らしてきており、何かの災難に見舞われると、栄養不良になり、飢え死にする。つまり「飢餓の問題」である。筆者は古代のエジプト、中世のインド・フランス・フィンランド・スコットランドで発生した飢餓、そして何千年にも渡って飢餓に付きまとわれた中国を事例として説明した。そして、現在は逆に太り過ぎの人は21億人を超え、栄養不良の人は8億5千万人に過ぎない。これにより、飢餓と栄養不良で亡くなった人は約100万人だったのに対して、肥満で亡くなった人は300万人以上いたと筆者は言う。

第2の大敵は疫病と感染症である。最も有名なのが1330年代に東アジアあるいは中央アジアからアジア、ヨーロッパ、北アフリカ全土に広まった「黒死病」で、死者は7500万人〜2億人を数えた。1520年にスペインの艦隊がキューバから天然痘のウィルスをメキシコへ持ち込んだことで、アステカ族の首都で、25万人の人口を擁する都市テノチティトランの人口の3分の一が命を落とした。1778年にはジェームズ・クック船長はハワイにインフルエンザと結核と梅毒の病原体を持ち込んだ。感染症は20世紀に入ってからも、1918年には数か月のうちに当時の地球人口の3分の1に当たる5億人が「スペイン風邪」に感染して発病した。しかし、過去数十年間に感染症の発生数は劇的に減った。特に、世界の小児死亡率は史上最低を記録し、成人するまでに亡くなる子供の割合は5%に満たない。先進国では1%を切っている。エイズ、SARS、鳥インフルエンザ、エボラ出血熱などは「黒死病」に比べれば少数の犠牲者しか出ていないと筆者は指摘する。

第3の朗報は戦争も無くなりつつあることである。20世紀後半に、国際関係はいわゆる「ジャングルの法則」弱肉強食の法則)は打破され、ほとんどの地域では戦争がかってないほど稀になった。21世紀初頭の今、全世界の死亡率のうち、暴力に起因する割合はおよそ1%にすぎない。それ以上に重要なことは、しだいに多くの人が戦争は断じて考えられないものと見るようになったことである。

飢餓と疫病と戦争はおそらく、この先何十年も犠牲者を出し続けることだろうが、それらはもはや無力な人類の理解と制御の及ばない不可避の悲劇ではなか。すでに、対処可能な課題になった。そして、人類が取り組むべきこととして、今度は人間を神にアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス注、デウスは神の意)に変えることを目指すだろう。具体的にはまず不死を目指す努力であろう。次いで幸福への鍵永続的な快楽)を見つけることであると著者は予測する。至福と不死が神の特性だからである。人間を神へとアップグレードするときに取りうる道は、生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学の3つのいずれかとなるだろうと著者は考え、自らの機能を一つずつ変えていき、ついにはもう人間ではなくなってしまうと著者は考える。

プロローグに続いて「第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する」で著者は人間と他のあらゆる動物との違いをアルゴリズム(一連の秩序だったステップ)および近代科学と産業の台頭の観点から考察さ、人間がどのようにして世界を征服したかを心(意識)と宗教、そして大規模な協力を可能にする能力との関係から考察し、想像の中にだけ存在する力・物・場所についての共同主観的なウエブ(言語を使う新しい現実)とそれに見合う想像力を持つことでホモ・サピエンスが世界を支配する存在になったことを明示した。

「第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える」では、人間がどのようた世界を生み出したか、人間はどのようにして世界を支配するだけではなくなく世界に意味を与えていると確信するようになったか、人間至上主義人類の崇拝)はどのようにして最も重要な宗教となったかについて次々と考察した。

個々の人間の基本的な能力は石器時代からほとんど変わっていないが、およそ7万年前に始まった認知革命物語によってウェブは強力になり、それによって歴史を石器時代からシリコン時代へと推し進めできた。つまり、狩猟採集民が約1万2000年前に農耕を始めたことで物資的基盤が拡大・強化され、それにともない約5000年前にシュメール人メソポタミア南部に居住)が書字と貨幣を発明したことでデータ処理能力が飛躍的に強化された。これにより、シュメールの神殿と同様、ファラオが統治したエジプトでも実務を担う役人が生まれた。つまり、人間は社会をまるごとアルゴリズムの形で組織できるようになった。
 
しかし、書字は強力な想像上の存在の出現を促し、虚構の存在が現実と乖離するようになる。その場合、書字で記述された内容か現実に合わせて修正されると考えるべきであるが、実際は書字の世界が優先され、現実は無視あるいは切り捨てられたことを著者は数多くの事例を挙げて解説した。皮肉なことに虚構のおかげで人間は、大きな代償を払いながら、上手に協力できることでシステムが上手くいっているように見えてしまうと著者な看破する。そして、「科学と宗教というおかしな夫婦」とのタイトルで両者は単純な対立関係にあるのではなく、微妙な補完関係にあることを詳説する。(下巻へ続く)

2019年5月 1日 (水)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス ~テクノロジーとサピエンスの未来~」の書評

今年のゴールデンウィークは5月1日(水)に元号が平成から令和へと変わることにともない、4月27日(土)から6月6日(月)まで連続10日間の休日が続くことになりました。これまでになかったこの長い連休をどのように過ごすかを考える人が多かったと思います。かく言う私も一応考えてみましたが、毎日が日曜日である私には、この10連休といえども私の日常とほとんど変わりが無いことに思いが至りました。つまり、改めて過ごし方を考える必然性がないのです。とはいっても、いったん考え始めたからには何らかの結論を導き出さないと気が済まないのが私の悪い癖です。そして、無理やり考えついたのは、暇つぶしとして「これまでWOWOWで撮り溜めた映画(BD)を視ること」に加えて、「読書」と「ウォーキング」でした。「ウォーキング」については2月下旬からほぼ毎日続けていますから、新たなアイディアは体調不良によってこの半年間遠ざかっていた「読書」です。

そこで先ず選んだ本が株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された掲題のハードカバー本(上下2巻)です。この本のキャッチ・コピーは 『全国で売れてる本1位! あなたは「神の人(ホモ・デウス)」か「無用者階級」か、全世界1000万部突破『サピエンス全史』の著者が描く衝撃の未来』 とインパクトがあります。このキャッチ・コピーは何度読んでも私にはまったく理解できません。創作語と思われる「ホモ・デウス」とは何なのか? 「無用者階級」とは? 疑問が私の脳内に溢(あふ)れました。

早速、上巻を手にとると、表表紙の裏側である「そで」には、『世界的なベストセラー「サピエンス全史」は、取るに足りない類人猿が、どのように地球の支配者となったのかという、人類の過去についての物語である。本書「ホモ・デウス」でユヴァル・ノア・ハラリは、人類の未来を描く。人類は自らにとって最悪の敵であり続けた、飢饉と疫病、戦争を克服しつつある。この三つの問題を克服した我々は、今後不死と幸福、神性の獲得を目標とするだろう。人類は自らをアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス「デウス」は「神」の意に変えるのだ。生物工学や情報工学などのテクノロジーを用いて、世界を、そして自分自身をも、思いどおりに作り替え、創造することを目指すのである。それではこの神のような力は、すべての人々が享受するものとなるのだろうか? あるいは富む者と貧しい者の間に、想像を絶する生物学的な格差をもたらすのか? 我々人類がどこへ向かうのかを、かつてないスケールで描く衝撃の書!』 とありました。

また、下巻の「そで」には、『今、生命科学者たちは、生物は遺伝子やホルモン、ニューロンに支配された、ただのアルゴリズムであることを明らかにしている。人間の心や意識は、脳の中でニューロンが信号を発し、あるパターンに則ってデータを処理しているだけなのである。我々は何一つ自由に選択などしておらず、意識や意志を持った「私」でさえも、虚構なのだ。それならば、人工知能が人間の能力を凌駕(りょうが)するようになったとき、そしてコンピュータがあなた自身よりもあなたについて詳しく知るようになったとき、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊するのだろうか? そのとき、あなたはこの世界に何を求め、何のために生きればいいのか? 過去の条件から自由になり、人類の新たな運命を想像することを可能にする、すべての現代人必読の世界的ベストセラー!』 とあります。

上巻(272頁)と下巻(288頁)はいずれも難解な内容でしたが、何とか読み切ることができました。著者であるイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏はその類(たぐ)い稀(まれ)なる人類史の知識と深い思考により、人類が創りだした文明は人類を幸福にしたのだろうかとの問いを考察した前書 『サピエンス全史』に続いて、人類の未来における様々な可能性(シナリオ)を提起しました。

つまり、類人猿から進化して東アフリカで誕生したホモ・サピエンス(知恵のある人の意)が他の動物との生存競争に勝ち抜いて地球上で最も大きな勢力を持つ存在になりましたが、新たな強敵との戦いが待っていたのです。それは飢餓・疾病・戦争の3つでした。いずれも克服することは困難と思われましたが、ホモ・サピエンスの定住化と農業の発達、衛生環境の整備と医療の進展・普及、国家間の紛争を解決するルールの普及によりホモ・サピエンスの環境は思いもよらぬほど改善され、完全に克服することが視野に入ってきたのです。このため、21世紀(3000年紀)では次なる目標がホモ・サピエンスの関心事となったのです。

それらは神(デウス)が差配する領域である不死と幸福の二つです。それではホモ・サピエンスはホモ・デウス(神の人)を目指すのか? そして神(デウス)の存在に近づけるのか? これまで大きな課題を科学と情報処理(プロセスコントロール)を駆使して克服してきたホモ・サピエンスは自身の能力を超えて増大する情報とそれを処理するコンピュータ・ソフト(AI)とバイオテクノロジーによって今後数十年で如何(いか)に自らを作り変えることができるか? 何が待ち受けているのか? についていくつかのシナリオを提示するものの、一方的に未来の人類の姿を予測するのではなく、私たちはどのように身を処すればいいのか? 私たちは、巨大な力を持つに至ったバイオテクノロジーと情報テクノロジーをどう使えばいいのか? について読者に考えさせました。

著者は『生物はただのアルゴリズムであり、コンピュータが人のすべてを把握する。生体工学と情報工学の発達によって、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊していく』 との大胆な仮説の元、人類はどこへ向かうのか? について新しい切り口で分析した良書です。

2018年3月24日 (土)

リチャード・ロイド・パリー著「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件 15年目の真実」を読む

早川書房が20154月に発刊したリチャード・ロイド・パリー著「黒い迷宮」(原題: People Who Eat Darkness/やみを食う人びと、526頁)を読みました。副題は「ルーシー・ブラックマン事件 15年目の真実」で、表紙をめくったカバー(そで)には『あの蒸し暑い夏の夜、彼女は東京の路上から永遠に消えた――――。20007月、六本木でホステスとして働いていた元英国航空の客室乗務員ルーシー・ブラックマン(21)が、突然消息を絶った。失踪当初から事件を追い続けてきた英紙(ザ・タイムズ)の東京支局長が、日英豪関係者への10年越しの取材で真相に迫る。滞在20年、日本を知り尽くした著者にしか書き得なかった底知れぬ闇とは? 複雑に絡み合う背景を丹念にときほぐして「文学」にまで昇華させ、海外で絶賛を浴びた犯罪ノンフィクション。著者が事件現場のその後をたどる日本版あとがき収録。』 
 

プロローグ 死ぬ前の人生 

 

英国人女性ルーシー・ブラックマンと親友(幼馴染)のルイーズ・フィリップスの日常が描かれる。2人はシェアハウス「代々木ハウス」(ルーシーは豚小屋と呼ぶ)で他の4人と同居している。千駄ヶ谷駅の近くだ。ルーシーは彼氏から共同電話にかかってきた電話で外出する。 

 

千駄ヶ谷駅前で待ち合わせたルーシーは2時間後にルィーズの携帯電話煮「海辺に行く」と連絡し、「1-2時間後に、何時に戻れそうか連絡する」という。2時間にルィーズの携帯電話がまた鳴り、「彼、とても優しいの。約束通り、新しい携帯電話をくれたわ。ドンペリのボトルももらったから、あとで一緒に飲もうよ。」と。その後、ルーシーは恋人のスコット・フレーザー(アメリカ海兵隊員)の携帯電話に電話して、留守番電話に翌日会うことを約束する短いメッセージを残す。そこで、ルーシーは消える。ルィーズと約束していたダンス・パーティも、スコットとのデートも中止される。 

 

ルーシーが約束通りに戻ってこないのでルィーズはなぜかパニックに陥ったことが同居人に目撃され、イギリスの母親モーリー・フィリップに電話をかけ、「ルーシーに何か起きたみたい」と告げ、そしてルィーズは六本木の歓楽街にあるカサブランカ(2人が働くホステスクラブ)に出かけて、「ルーシーがいなくなった。お客さんに会いにいったまま、戻ってこない」いう。この日(土曜日)は2人とも休みだという。ルィーズはクラブに夜通し何度も電話をかけている。これらから、ルィーズは疑われることになる。 

 

日曜日にルィーズはカサブランカでウェーターとして働くカズに相談し、月曜日の朝、2人で六本木の麻布警察署へ行き、家出人捜索願を提出するが、警察にはほとんど取り合ってもらえない。その午後、ルィーズは英国大使館を訪れ、副領事に不法滞在(不法就労)していたことなどを洗いざらい打ち明けた。副領事は麻布警察署に電話をかけて、ルーシーの件は誘拐の可能性もあるのではないかとひどく憂慮していることを伝えた。 

 

ルィーズが代々木ハウスへ戻り、夕方になるとルィーズの携帯電話に連絡が入った。相手はタカギアキラと名乗り、「ルーシーはカルトに入って、今は修行中である。」と言うだけで、ルィーズがルーシーと話したいと再三頼んでも聞き入れない。「ルーシーとはもう会えないことを伝えたかった」と言って携帯電話の回線を切った。 

 

それから1週間後、イギリスの新聞の小さな記事がこの事件を報じたことで、世界中で大々的に報道された。ルィーズのことをはじめ来日中であるルーシーの妹ソフィー、東京へ向かう途中の父ティム、ルィーズにかかってきた脅迫電話やカルト集団に誘拐された可能性、ルーシーがナイトクラブ・ホステスであることも報道された。そして、日本のテレビ局もこのニュースに飛びつき、この話を徐々にセンセーショナルなものに変えていった。 

 

ここから著者のリチャード・ロイド・パリーは10年間に及ぶ謎解きがはじまるのである。 

 

第一部 ルーシー 

 

第一章 正しい向きの世界 

 

父と母
 

ルーシーの生い立ちが両親の言動を交えて説明される。両親の出会い、父は靴店の店長、塗装工事の日雇い仕事、土地開発と仕事を変えながら裕福な一家を築いてゆく。ルーシーが病弱な幼児であったが、有名校である私立初等学校に入る。母は「ルーシーはとても繊細で、きれい好きで、几帳面な性格でした」という。19世紀に創設された高い大学進学率を誇るミッション・スクールへ進学したルーシーは学校に馴染むことができない上、珍しい形態の肺炎にかかり、その闘病生活の間に、超自然的な能力を発揮するようになる。学校の勉強が2年間も遅れた。父と母はルーシーが死ぬ前の5年間、関係が悪化した。その原因は父の浮気である。時を同じくして父の会社が倒産し、両親は離婚した。 

 

第二章 ルールズ 

 

母ジェーン/ルーシー/妹ソフィーの関係、ルーシーのシックス・フォーム(日本の高校)卒業とフランス系投資会社への就職、英国航空の客室乗務員への転職(あらすじを省略) 

 

第三章 長距離路線 

 

ヒースロー空港ベースの短距離路線からガトウィック空港ベースの国際線乗務へ昇格したルーシーだが、彼女の借金は増える一方であった。そして重労働による疲労困憊の日々が続いて体調にも影響が出始める。幼馴染で同じ英国航空の客室乗務員であるのルイーズ・フィリップスに誘われて東京へ行くことを決める。目的はルーシーの悩みの種である借金を清算することである。53日の正午、ルーシーとルイーズはヒースロー空港から東京行きの飛行機に乗った。 

 

第二部 東京 

 

第四章 HIGH TOUCH TOWN 

 

異質で好奇心をそそる国(あらすじを省略) 

 

第五章 ゲイシャ・ガールになるかも(笑)! 

 

ホステスという仕事/"水商売"/ノルマ

 

著者は欧米人に馴染みのないホステスと水商売について詳細に考察する 

 

第六章 東京は極端な場所 

 

TOKYO ROCKS(東京最高)/<クラブ・カドー>オーナーの証言/海兵隊員スコット/「まだ生きてるよ!」

 

ルーシーの日記を引用しながらその日常が明らかにされ、ルイーズの新しい彼氏であるフランス人のコームから紹介されたアメリカ軍の海兵隊員スコットにルーシーは夢中になる。史上最高にセクシーなイケメンだという。連絡が途切れていることを心配する母親のジェーンに「まだいきてるよ」を件名とするメールを630日に送る。 

 

第三部 捜索 

 

第七章 大変なことが起きた 

 

消えたルーシー/冷静な父親/警察とマスコミ

 

71日、土曜日の午後、ルーシーは家を出たきり戻らなかった。月曜日の朝、ルイーズは警察に行き、月曜日の午後には例の異様な電話を受けた。しかし、ルイーズがブラックマン一家に初めて連絡を取ったのは、ルーシーが疾走してから2日以上経った月曜日の夜遅くになってからだった。妹ソフィーとルーシーの元彼ジェイミールの3人が東京へゆくことになり、ふたりは大使館と警察署の往復を繰り返したが、何ひとつ生家はなかった。ルーシーが行方不明になってから10日後、父親のティムが来日。翌朝、英国大使館で開かれた最初の記者会見でティムは淀みなく正確な受け答えをする。記者やカメラマンが彼に求める役割ではなかったが。7月末、主要八カ国首脳会議(G8)が沖縄で開催されることをティムは意識していたのだ。ティムの来日すると警察の態度がころりと変わって好印象を与えようとするものになった。 

 

第八章 理解不能な会話 

 

ブレア首相登場/ルーシー・ホットライン開設/霊媒師たち

 

7月のある日、ティムとソフィーはホテルニューオータニ東京でトニー・ブレア首相と面会した。同日の午後、森喜朗首相との首脳会談の場で、ブレアは警視庁の努力に謝意を示し、ルーシーを探し出すために「あらゆる手を尽くしてほしい」と要請した。ティムの勘は見事に的中した。7月中旬、マスコミの大きな報道によって新たな動きが生まれた。リーシー操作の手伝いをしたいと、多くの一般人ボランティが集まり始めたのだ。一方、母親のジェーンのもとには多くの霊媒師たちが協力を申し出た。 

 

第九章 小さな希望の光 

 

マイク・ヒルズという男 

 

ティムとソフィーが帰国した翌日、マイク・ヒルズと名乗る男からティムに電話がかかってきた。彼は日本に特別な人脈を持ち、裏社会の人間と繋がりがあり、その人脈を使ってルーシーを見つける手助けができるかもしれないという。3日後、ドーバー海峡に面したベルギーの港町オーステンでふたりは会うことになった。翌日、マイクはティムに嬉しいニュースを伝えた。ルーシーは誘拐されたあと、外国人女性の人身売買に携わるヤクザ関係者に売られたが、ルーシーは無事だというのだ。しかも、マイクの知人の助けと5万ドルがあればルーシーを確実に買い戻せるとも。翌週の火曜日、ティムは指定された港町オーステンへ行き、前払い金として指定された現金12500ドルをマイクに手渡した。翌日、ティムは飛行機で東京に戻り、英国大使館に行き、仲介人が誘拐犯と接触中であり、ルーシーは近いうちに解放されることを説明した。しかし、1週間後後、マイクから悪い知らせが届いた。ルーシーは3人組に売られて、コンテナ船に乗せられて日本を離れたというのだ。そして、8月末には別の船に移され、オーストラリアに向かっているとマイクは言う。ルーシーを救出するにはさらに1万ドルが必要だと言われたティムはマイクのオランダの銀行口座に金を振り込んだが、進展がないまま時間が経過。9月中旬、不審に思ったティムは携帯電話ではなく、オランダのマイクの自宅に電話を掛けて、マイクの話がでたらめであることを知る。マイクは詐欺師だった。 

 

第十章 S&M 

 

蔓延するドラッグ/あるSM愛好家の証言/「地下牢」へ(あらすじを省略) 

 

第十一章 人間の形の穴 

 

22歳の誕生日/ジェーンとスーパー探偵/ふたつの十字架/ある男(あらすじを省略) 

 

第十二章 警察の威信 

 

クリスタの証言/「過去稀に見る不名誉な状態」/ドラッグ 

 

他の外国人ホステス・クリスタの被害証言からある男の存在が明らかになる。ちなみに、クリスタはルーシーとルイーズに<代々木ハウス>を紹介した女性である。 

 

第十三章 海辺のヤシの木 

 

ケイティの証言/<逗子マリーナ>の男/不審な物音/Xデー 

 

クリスタと同様の被害を受けたケイティの証言に続いて、クララとイソベルも逗子マリーナに連れて行かれて、薬物を飲まされて裸にされたことを警察に証言した。六本木交差点から10分ほどの場所にあるワンルーム・マンションを警察は監視し始め、1012日の早朝、容疑者が建物を離れて角のコンビニエンスストアに入る姿を確認し、新聞の束を抱えて店を出てきたところで、警察は彼の身柄を確保し、1996331日のクララに対する拉致および準強制猥褻の容疑で逮捕した。容疑者は48歳の会社社長 織原城二(おばらじょうじ)。 

 

第四部 織原 

 

第十四章 弱者と強者 

 

薄暗い闇/アイデンティティ/弟の苦悩/友人たちの証言 

 

織原城二の生い立ちと本名、慶應義塾高校での生活が歴史的事実の詳しい解説とともに明かされる。 

 

第十五章 「謳わない」容疑者」/父の怪死/謎の隣人/典型的な二世タイプ/声明 

 

4人兄弟の次男である織原城二は16歳の時、事業の多角化で大阪で知られる実業家の父親が急死したことによって駐車場と田園調布の家を含む不動産を受け継いだ。高校を卒業する前後に、日本国籍に帰化して織原城二という新たな名前を獲得した。なぜか慶応義塾大学への推薦を自ら辞退した織原城二は欧米で3年間生活する。1974年頃、帰国した織原城二は慶應義塾大学の通信教育課程に合格。のちに一般通学過程に編入し、法学部の法律学科と政治学科を渡り歩いてふたつの学位を取得する。30代になった織原城二は不動産開発に没頭し、相続した財産を注ぎ込むようになった。時代は、悪名高きバブル景気の真っただ中。日本各地のビルやマンションを次々に購入した。約20件の物件を所有し、その多くを賃貸に出して家賃収入を得た。彼の総資産は40億円にも達したという。日本の地価は1989年にピークを迎え、1990年代初頭までに、バブル崩壊はもはや免れない運命となった。ローンの未払い金の回収を求めて債権者が織原を訴え、1999年には田園調布の家が一時的に差し押さえられる事態にまで発展した。 

 

逮捕から1カ月跡、織原の弁護士のひとりが警視庁記者クラブに対して声明文を発表した。

1)逮捕された事件については、対価を支払って了解をもらった行為であり、強制わいせつや強姦ではないと信じている。

2)被害者については、外人ホステスである彼女たちが行っていたドラッグ使用、不法就労、売春行為について目をつぶり、再逮捕を繰り返して私をさらし者にしている。

3)ルーシー・ブラックマンさんについては、外人クラブで一度だけ接待を受けたが、ルーシー・ブラックマンさん失踪には関与していない。

4)これまで報道されたことは事実と違う。日本がかつて歩んだ警察国家への道を急速に進んでいくことは、止められないかと強く感じている。 

 

第十六章 征服プレイ 

 

アワビの肝/「プレイ」の実態/ルーシーはどこに?(あらすじを省略) 

 

第十七章 カリタ 

 

娘のいないクリスマス/消えたオーストラリア人ホステス/急変/ニシダアキラ/あの男(内容説明を省略) 

 

第十八章 洞窟のなか 

 

ダイヤモンド/発見/遺された者たち(あらすじを省略) 

 

第五部 裁判 (第十九章から第二十三章のあらすじを省略) 

 

第六部 死んだあとの人生(第二十四章と第二十五章のあらすじを省略)

 

 

<読後感> 

 

残忍かつ猟奇的な犯行を150件以上も繰り返した事件をザ・タイムズ紙アジア編集長・東京支局長である知日派のイギリス人・リチャード・ロイド・パリー氏が、ジャーナリストの視点から詳細に分析し、かつ関係者の人となりを一人ひとり、特にルーシー・ブラックマンとその家族について時間をかけて調査・記述したドキュメンタリー(犯罪リポルタージュ)の力作で、他に類を見ない見事な著作である。事件の性格から、内容はオドロオドロシイ描写が多く含まれており、英文で書かれた原書"People Who Eat Darkness"を翻訳したことで文体がやや硬いことも読み進むうえで抵抗感が生まれることは避けられない。あらためて、筆者の調査能力および日本に対する知識と理解にも驚かされる。

2017年8月 8日 (火)

大阪への高速ドライブ旅(前編)

昨秋、近畿山陽・山陰の名城巡りに出かける途中に立ち寄って以来、10か月ぶりに大阪へ向かいました。今回の目的は夏休みに帰省できないオチビちゃんとコチビちゃんに会うためです。昨年末にわが家に来てくれましたが、中学生になったオチビちゃんが部活と塾通いで忙しくなったのです。

 

交通渋滞を避けるため、久しぶりに「七つ立ち」(注、厳密には八つ半立ち)をしたことで、新東名高速道路駿河湾沼津SAに到着した時には午前4時を少し回ったばかりで、新東名高速道路で人気のあるNEOPASA(ネオパーサ)駿河湾沼津内のショップはすべてクローズ中でした。
 
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そして、沼津市街地はまだ夜の帳(とばり)に包まれています。
 
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清水PAに立ち寄った午前4時40分ころには空が白んできました。ドーン(市民薄明開始)から日の出の時間へと移行するタイミングです。生憎の曇天ですから清水PAの展望台から富士山を望むことはできそうにもありません。
 
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小型車エリアに駐車する車はまばらですが、大型車のエリアは大型トラックでほぼ満車のようです。
 
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新静岡ICを通過
 
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次いで静岡SAも通過します。静岡SAは上下線共通の大きなNEOPASA(ネオパーサ)静岡がありますが、敷地の制約があるため、アクセス路が複雑なことが難点です。
   
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午前5時25分には掛川PAに到着。時計回りでアクセスする駐車場と、オレンジ色がアクセントになっているNEOPASA(ネオパーサ)掛川に特徴があるパーキングエリアです。
 
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山の端(は)から太陽が覗(のぞ)きました。
 
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駿河湾沼津SAと並んで人気がある浜松SAを通過します。楽器メーカーが多い浜松らしいデザインのNEOPASA(ネオパーサ)浜松はフードコートとショップが充実していますから、帰路(上り線側)に良く利用します。
 
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浜松いなさJCTに差し掛かりました。三遠南信(さんえんなんしん)自動車道は東名高速道路との連絡路になっています。
   
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長篠設楽原(ながしのしだらがはら)PAを通過します。広い駐車場があるパーキングエリアです。
 
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東海環状自動車道と接続する豊田東JCTを通過
   
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東名高速道路と接続する豊田JCTを通過して伊勢湾岸自動車道に入ります。
   
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来場者数が多いという刈谷ハイウェイオアシスに立ち寄ります。
 
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午前6時40分ころに到着したため、フードコートはまだ営業していません。
 
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暇つぶしのため散策してみることにしました。刈谷ハイウェイオアシスの建物脇にある階段を上がった場所(屋上)にソーラーパネルが設置されていました。
 
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北側には刈谷ハイウエイオアシスの外部駐車場と溜池を望むことができます。
 
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蝉しぐれに気づいて階下に下りたところで同行者はセミを見つけました。
 
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午前7時にフードコートがオープン。向かった「ごはんや」では久しぶりに「きし麺」を選びました。同行者は温泉卵と納豆だけを選びましたので、「きし麺」をシェアすることに。
 
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自宅を出発した直後に最寄りのコンビニで購入した軽食を食べていますから、これだけでも朝食として十分でした。(続く)

2017年6月27日 (火)

和田竜著「忍びの国」を読む

月1日から映画「忍びの国」が上映されます。この映画で描かれる「天正伊賀の乱」も常勝・織田軍が喫(きっ)した大番狂わせです。なぜ、最強にして大軍の織田は戦国大名もいない伊賀を攻略することができなかったのか?(映画のキャッチコピーより)

 

のぼうの城」や「村上海賊の娘」で歴史小説の若き旗手となった和田竜氏に興味を持つ私は、映画ではなく、これらと同様、史実に光をあてた同名の原作小説(2008年新潮社刊)を読むことにしました。

 

[概要]

文吾と無門という2人の若い伊賀忍者を物語の引き回し役とし、伊賀の地侍の集まりである十二家評定衆を束ねる百地(ももぢ)三太夫や下山甲斐(かい)、元十二家評定の一人であったが今は伊勢国を支配する北畠具教(とものり)の養子となった織田信長の次男、北畠信雄(のぶかつ)に取り立てられている柘植(つげ)三郎左衛門らを配して骨太でダイナミックなストーリーが展開される。天正伊賀の乱(第一次)と呼ばれる史実を踏まえて書かれた時代小説である。

 

[あらすじ]

物語は信雄に指示された長野左京亮(さきょうのすけ)と日置(ひき)大膳らが信雄の義父である北畠具教を暗殺するところから始まった。そして、それに至る経緯も説明される。信長が伊勢に攻め入り、北畠側はよく耐えたが、最終的には信長の次男、信雄を北畠家の養子に入れる条件で、両者は和睦した。その後、信長の勢力が拡大するにつれ、北畠家の家督と国司の職が信雄へ移ることになった。

 

一方、強力な大名がいない伊賀国では地侍たちが日常茶飯事のこととして、小競り合いを続けていた。親子も親戚も関係なくお互いがお互いをやっつけようとしているのだ。そして、地侍の一人、下山甲斐(かい)の砦を百地三太夫が攻め立てた。大した理由はない。しかし、忍び同士の戦いは予想できない展開をみせる。

 

三太夫の配下である無門が砦に忍び込み、三太夫の指示にしたがって甲斐の次男である次郎兵衛を切ったのだ。実は、それがこの小競り合いの真の目的であった。そんな折、鐘がけたたましく鳴り響いた。三太夫が命じた十二家評定衆の参集の合図である。三太夫の呼びかけに応じる甲斐に憤(いきどお)る次郎兵衛の兄、平兵衛だが、父の甲斐は伊賀の慣(なら)わしとして取り合わない。

 

十二家評定衆では、伊勢国を織田家が押さえた今、織田家の軍門に降ることが三太夫の主導によって決められた。生真面目な平兵衛は弟次郎兵衛の死に対する実父の反応に端を発した伊賀者への憎悪により、伊賀者を根絶やしにするという行動へと突き進んでいった。

 

伊勢国へ向かった平兵衛は伊勢側が設けた関所で北畠信雄にお目通りを願い出る。翌日の朝には信雄の居城、田丸城に連行された。その知らせを受けた三郎左衛門は旧知の平兵衛の言葉に共感する。自らも平兵衛と同様、伊賀を滅ぼすべく伊勢の北畠家を頼り、一門である木造(こつくり)家に仕えた経緯があるのだ。

 

三郎左衛門の口添えがあり、信雄は渋々平兵衛に目通りを許した。信雄の性格を心得た伊賀出身の三郎左衛門は言葉巧みに持ちかけて伊賀攻めを決めさせた。さらに伊賀に拠点を造ることを進言する。北畠具教がかつて伊賀攻めのために途中まで築城した丸山城を再び築く戦略である。

 

前回も伊賀の国内に築城することの許しを伊賀に行って取り付けた三郎左衛門が再び伊賀へ行ようにと信雄は命じた。十二家評定衆を前に三郎左衛門は伊賀の豪族すべてを織田家の給人(きゅうにん)として向かい入れたいという信雄の言葉を伝え、丸山城の再建に助力したいと続けた。頃合いを見て三郎左衛門は築城に必要な銭は伊勢側が持つと、持参した金塊と銀塊がぎっしり詰まった挟箱(はさみばこ)を開けてみせる。会見は終わった。注、挟箱は荷物を入れて道中担いで運ぶ道具、もともとは2枚の板の間に衣服などを入れたものを竹で挟んだ竹挟から転じた

 

伊勢方による監督のもと、日当をもらう伊勢忍者たちの働きがあり、三層の天守、本丸、二の丸、西の丸、秋の丸という出丸を有した丸山城が完成した。祝金として金銀塊を受け取った三太夫は、城の守りをするという三郎左衛門にしたがって大手門を出た。城門が閉じられるや、三郎左衛門は戦闘態勢を指示する。

 

三太夫から密命を受けてただ一人城内に残っていた配下の文吾は城内各所に火を放った。天守閣と本丸から発した炎は二の丸にも広がってしまう。三郎左衛門は撤退を指示し、兵を削り取られながら伊勢国の田丸城まで敗走することになった。記録によれば、両軍に数千人にも及ぶ死傷者が出たという。

 

怒り心頭に発する信雄は評定の場で伊賀攻めを命じた。しかし、北畠具教殺しおよび伊賀の十二家評定衆との協議で手柄をたてたことにより城をあずかる身分に出世していた日置大膳(へきだいぜん)は、三太夫が予測したように、敵の油断に乗じた忍び働きだけをする伊賀者を攻めることは弱者苛(いじ)めと考え、伊賀攻めには参加しないと信雄の前で言い切った。翻意(ほんい)させようとした長野左京亮も具教殺しの折に大膳に助けられた恩義があるため、大膳抜きで伊賀を攻めるなら自らも参戦しないとの意を信雄に言上する。窮(きゅう)した信雄は信頼できる三郎左衛門の考えを問うが、やはり大膳なくば戦は当方の負けであるとの考えを正直に述べる。

 

信雄には日置大膳の不参加以外にも伊賀攻めをできない理由があった。丸山落城の直後、石山本願寺の攻略の一翼を担っていた荒木村重が信長に謀反を企て、本拠の摂津有岡城に閉じこもってしまったのである。摂津での任務が解かれたのちも、秀吉が担当している中国攻略の助勢のため播州(現在の兵庫県南西部)へも行かされた。そして、一年後の天正7年秋ごろになって信雄がようやく伊勢の田丸城に戻ってきた。その間、大膳は自城に籠(こも)ったきりである。

 

信雄がいよいよ伊賀に攻め込むと伊賀者たちが考えている時、百地三太夫は次の策略を実行した。下人たちの不安を煽(あお)って戦意を高揚させるとともに、ある人物を操(あやつ)って大膳なしでも信雄に伊賀を攻めさせる策略である。自国を守る戦には銭は支給されない不満が下人たちに広まった。しかし、まんまと操られた無門は伊勢国の大膳の所領に潜入し、大膳の真意を確かめるが、伊賀には間違っても行かないと頑(かたく)なである。

 

それでは信雄に掛け合うしかないかと言い残した無門は大膳を煙に巻いて田丸城へ向かった。信雄の命が危ないと考えた大膳はその後を追う。他人に変装する陽忍(ようにん)と人に気づかれない陰忍(いんにん)の両方を使う無門は難なく信雄の寝所に忍び込み、諸刃の剣を信雄の咽喉元(のどもと)に突きつけながら伊賀攻めは忘れるように言う。まだ子供である信雄は反発するだけであるため、無門は戦場で首をとってやると言い残して姿を消す。

 

半刻後、馬で田丸城に駆け付けた大膳はこれまでの経緯から信雄と押し問答になる。その中で大膳は閃(ひらめき)きを感じた。すべての不可思議な出来事はすべて、大膳が伊賀攻めを拒めば伊勢に勝てると考える伊賀の十二家評定衆の術であるということである。大膳は伊賀攻めに参加することを決めた。大膳の考えを聞いた信雄はなおも反発するが、大膳の迫力に押されてそれまでの虚勢を捨て、伊賀攻めの下知を発した。

 

無門は伊賀に戻る途中、疲れた体を休めようと入った廃寺で出会った信雄の妻から自分の父を暗殺した信雄を殺してほしいと頼まれた。その対価として一万貫の値打ちがあるという北畠家の家宝である茶器の小茄子(こなす)をもらう。伊賀に向かいながら、無門にある考えが浮かんだ。二年前に西国の安芸国(あきのくに、注、現在の広島県西部)から盗み出した武将の娘、お国と夫婦になるため、間も無く伊勢側に攻められる伊賀を抜け出し京に出て、これを元手に商いでもしようとの思いつきである。注、貫とは銀貨の通貨単位(銀4.3匁=約37g)で、現在の価値ではおよそ1万5千円と推定され、小茄子の価値は約1億5千万円となる

 

数日後の天正7年(1579年)9月16日、伊勢の軍勢1万1千余騎が田丸城下に集結し、ただちに伊勢への進軍を開始した。布引山地にある3つのルート(阿波口・馬野口・伊勢地口)が攻め口として選ばれた。信雄が率いる八千騎の主力部隊は夜になっても灯火を消しながら阿波口へと進軍を続け、長野峠の手前でようやく行軍を停止。三郎左衛門と左京亮の軍勢千五百騎は馬野口を目指し、伊勢地口を目指す大膳は軍勢千三百騎の半数を伊賀領内まで入れた。伊勢勢が伊賀国へ一斉に攻め入る一方、伊賀から逃れようとする下人たちの群れの中に無門とお国がいた。

 

もちろん、伊勢側の動きは伊賀側の見張りから夕刻には各口の守将へと伝えられていた。阿波口を受け持つ百地三太夫は自らの術の冴(さ)えに多いに満足した。それぞれの守り口はさまざまな手立てが講じられている。夜明け近くになって三太夫は配下の下人(他の下侍の下人を含む)の数が半分ほどに減っていることに気づいて驚愕(きょうがく)する。また、馬野口を守る音羽半六は近くの小山の頂上に佇む一騎の騎馬武者を見て呆然(ぼうぜん)つなった。いるはずのない大膳だ。半六は負けるとつぶやいた。

 

伊勢の軍勢の攻撃が始まった。ただでさえ兵の数で劣る伊賀側の劣勢は決定的であり。三太夫は服部川を下る信雄の軍勢を挟み撃ちにする作戦が破綻。逆に信雄の大軍に挟まれてしまう。馬野口では甲斐が扇状地にて土遁(どとん)の術を展開したが、三郎左衛門に見破られて大半の下人を失ってしまう。大膳は三郎左衛門が教えた焙烙火矢(ほうろくひや)で森の枝に隠れる伊賀者を焼き殺す戦法を用いて半六の手勢を一気に殲滅(せんめつ)しながら進軍した。

 

こうして、伊賀側はのっけから劣勢に立たされ、守り口を担当する三太夫たちは負けを意識せざるを得ない状況に陥(おちい)ったのであるが、3か所の戦線のいずれにおいても明らかな変化が現れた。圧倒的に優勢であったはずの伊勢側の前線が乱れはじめたのだ。それは・・・?

 

<読後感> 著者の和田竜氏は、弱肉強食の戦国時代において、弱者が知恵を巡らすことで強者に勝つ、あるいは弱者が策によって強者を徹底的に翻弄(ほんろう)する様を、多くの個性的な登場人物たちを巧みな文章によって活きいきと描き、冒頭から結末に至るまで、読者を映像と音響に溢(あふ)れる世界へと惹(ひ)きいれました。百地三太夫は様々な策略により北畠信雄の大群を伊賀国へ誘い出すことに成功しましたが、思わぬ誤算があり緒戦で劣勢に立たされ、敗戦を覚悟する状況に陥(おちい)りました。しかし、その直後、思いもよらないどんでん返しが待つという和田竜氏ならではのストーリー展開が最大の魅力なのです。「のぼうの城」や「村上海賊の娘」と同様、時代小説ファンでなくても楽しめる痛快小説としてお薦めします。

2017年4月12日 (水)

中西輝政著『日本人として知っておきたい「世界激変」の行方』を読む

世界情勢が激動・激変し始めるとの認識について、-4か月前の当ブログの記事「日本が壊れて行く: 世界情勢の流動化と日本経済の先行き」と「汎アメリカ主義が復活する?」で触れて、EUからの離脱の可否を問うイギリスの国民投票において離脱が僅差で決まったこと、アメリカの大統領選挙で大方の予想に反して実業家のトランプ氏が大統領に選ばれたこと、中国を取り巻く地政学的・経済的なリスクが継続していること、そして韓国では政治的な大混乱(大統領の失職)が生じたことの4つを挙げました。最近になってその具体的な影響が連日のように報道されています。

 

世界情勢の動向についての理解をさらに深められる書籍を探したところ、PHP新書の最新刊『日本人として知っておきたい「世界激変」の行方』(中西輝政著、2017年1月)を見つけましたので、その要旨とポイントを紹介します。ちなみに、当ブログ記事「ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階」で京都大学名誉教授中西輝政氏の著作「なぜ国家は衰亡するのか」(1998年)を紹介しています。
 

                            ☆

 

本書のカバー裏書には、『<内容紹介> トランプ大統領の誕生と「孤立主義化」するアメリカ。覇権主義的動きを強めるロシアのプーチンと中国の習近平。激震のEU。「地獄のオセロゲーム」と化すアジア・・・。すべての構図は「グローバリズムの終焉」とそれに伴う「アンチ・グローバリズム」「オールド・グローバリズム」「ネオ・グローバリズム」という三勢力の相克から読み解ける。いま直面する「危機」を考えるとき、もはや日本は「普遍的価値」も捨てるときは捨て、自らの生存を最優先に考えねばならぬ――現在の世界を動かす大きな流れを読み抜き、日本人の覚悟を問う、刮目(かつもく)の書。』 と書かれています。

 

<要旨> 章ごとにキーワードとその説明を箇条書き風に列記します。注、かなり長くなってしまいましたから、興味を持たれた部分だけを拾い読みされることをお勧めします。

 

第一章 トランプのアメリカで世界に何が起きるか
 

●グローバリズムの終焉(しゅうえん)にともない、それがオールド(旧)とネオ(終末期の堕落形態)の2つに分裂し、アンチ(反)・グローバリズムの三者が「三すくみ状態」)になった状況が、トランプ大統領を生んだ

●アメリカが、建国以来の理想を捨て、「普通の国」としてひたすら国益を追求するトランプ

●トランプはポピュリストではなく、稀代(きだい)の戦略家であり、究極の現実守護者・ニヒリスト

●したがって、旧来の観念的な「普遍的価値」はもはや決定的に時代遅れ

●日本と日本人にとって最も重要な目標は「自立」の二文字

 

第二章 日露“北方領土”交渉と売国の危機
 

●日露交渉の「夢」と「悪夢」

●狂騒的な日露接近の契機となった「八項目の提案」

●北方領土問題の「理」は明らかに日本にある

●「サンフランシスコ平和条約で放棄」説は明確に誤り

●「二島返還」であれば、いつでも誰でも妥協できた

●「新しいアプローチ」の正体は日本の最も大切な立脚点を自ら放棄する交渉アプローチ

●日露接近では中国を牽制(けんせい)できない

 

第三章 介入か孤立か――パックス・アメリカーナの行方
 

●アメリカにとっての「理念」と「国益」は周期的に振れ幅が大きい

●積極的な外交政策である「対外不介入主義」と消極的な政策の「孤立主義」とは異なる

●初代大統領ジョージ・ワシントンが掲げた理念は民主主義を守るための「対外不介入主義」

●アメリカは「孤立主義」だけで生きていける国

●地球上でわれわれだけが普遍的な価値を守れるという殺し文句(理想主義のレトリック)で湾岸戦争に踏み切ったが、中東介入が挫折したことで民主主義が裏切られて「帝国への道」となった

●つまり、「アメリカの理念」はどちら向きにもなる

●パックス・アメリカーナ(アメリカの平和、冷戦後の世界に君臨)の三つの指標は「アメリカ経済の力強い回復」「テロとの戦い」「南シナ海に大きく膨張し続ける中国への対応(アメリカの掲げる航行の自由を守る戦略)」

●「米軍の抑止力」の本質は相手国とのあいだで武力衝突が起きないようにすることだけが目的であり、いったん衝突が起こればそこから先は別の段階(シナリオ)になるとする考え方

●第二次大戦後の世界秩序の崩壊: 中国の南シナ海域領有(軍事拠点化)、ロシアによるクリミア占領、北朝鮮の核武装化

●冷戦時代にソ連の封じ込め戦略を立案したジョージ・ケナンの慧眼(けいがん): ソ連の崩壊後、アメリカは、国力に余裕のあるうちに、常識的で持続可能な外交戦略に転換すべきと主張

 

第四章 「グローバリズムの限界」に直面し流動化する世界
 

EU(欧州連合)からの離脱を決めたイギリスは世界の激動の先導役となり、パックス・ブリタニカ(イギリスの平和、つまり世界の経済・政治秩序)が復活する

●グローバル経済の限界に気づきだした金融界

●民主主義の「敵」としてのグローバリズムがイギリスのEU離脱とギリシャの債務危機における国民投票を通して明らかになった

●アングロサクソンの覇権(はけん)を取り戻すための「嘘」がドルを基軸通貨とする金融グローバリズムである

●ソ連崩壊後の世界で、共産主義や全体主義、アジアの封建主義などを一掃し、「自由」「人権」「法の支配」といった普遍的価値観を再確立するシナリオが、湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争などでイスラムをひどく圧迫したことで綻(ほころ)びが見え、世界が大きく乱れだした

●歴史を転換させた1979年の五つの出来事: イランのホメイニ革命、ソ連のアフガニスタン侵攻、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の母国ポーランド訪問、中国で鄧小平によって始められたる経済改革、サッチャー政権の成立(翌年はサッチャリズムに倣ったレーガノミクスも)

EUはアメリカが冷戦を戦うための「入れ物」(ヨーロッパのアングロサクソン化)だった、ASEAN(東南アジア諸国連合)、日米安保、NATO(北大西洋条約機構)なども同じである

●原理主義化した「グローバリズム」がもたらした破壊と混迷

●東西ドイツの統一(1990年)によって強大になったドイツを羽交(はが)い絞めに(つまり監視)するための逆張りがEUである

●サッチャーが直面した矛盾(ヨーロッパ統合への反対、貿易障害のない単一市場の利点、スコットランドの独立運動)は自身の失脚(1990年)につながった

●しかし、イギリスにはいわれるほどの「EU依存」はない: ヨーロッパで繁栄しているのはドイツとイギリスだけ

●「アメリカを動かせるイギリス」は安定の要: EUに加盟する東ヨーロッパはドイツ経済圏、西ヨーロッパにとって安全保障上の最大の脅威はイスラムテロとロシアの存在

●ドイツはロシアとの「相互理解」に向かう

●英米の「血の同盟」から見た世界: NATO、金融資本、グローバルな監視機構(インテリジェンス)

●ヨーロッパが再び「動乱の巷(ちまt)」と化す日: ドイツと東ヨーロッパ各国のロシア接近

EUの立ち枯れと形骸化(けいがいか)の動向は不可避

 

第五章 「地獄のオセロゲーム」化するアジア
 

●中露は相互の「核心的利益」を死守すべく結束した

●日米を引き離し、アメリカをアジアから追い出す

THAAD(高高度ミサイル防衛体制)ミサイル配備をめぐる中露と米韓の対立

●2016年6月、日本の海上自衛隊およびアメリカ海軍とともに海上共同訓練を行ったインドが上海協力機構に正式加盟する見通しとなったことは国際政治の常道である(不可思議ではない)

●国益のため日中を「秤(はかり)にかける」アジア諸国とアメリカの中国を見る「複雑な視線」

●日本の高度経済成長時代に唱えられた「雁行(がんこう)的発展モデル」は「鳶(わし)」の登場で四散する: 例、日本の後を追って経済成長を遂げようとしたASEANを中国が攪乱(かくらん)、南シナ海問題における対中包囲網の形勢が逆転して逆包囲網化

●日中に「両張り」するアメリカ: 政策決定に大きな影響力を持つのは国防総省(ペンタゴン)や国務省ではなく究極の国益であるドル基軸通貨体制の維持を主導する金融業界である

●ロシアとドイツが接近する悪夢はヨーロッパだけではなく、中露同盟とともに、歴史的(注参照)にも地政学的にも、悪夢の再来が濃厚になる恐れがある。注、ソ連のスターリンとドイツのヒットラーが電撃的に締結した独ソ不可侵条約

●中国とドイツが手を携える恐怖: 例、AIIB(アジアインフラア投資銀行)、一帯一路構想(21世紀の陸海シルクロード)、戦前ドイツが行った中華民国への人的・武器支援、中国市場におけるドイツ車フォルクスワーゲンの圧倒的な覇権

●イギリスがEUから離脱するとヨーロッパの最新軍事技術がフランスなどから中国に流れる危険性が高まる

●イギリスは今後、親中に動くかは不透明: 習近平主席の訪英(2015年)、中国の融資で中国メーカーによる原子力発電所の建設計画

●「中露独の三国同盟」に日米同盟は対抗できるか: 日本が清と結んだ下関条約(遼東半島の割譲)に対する「三国干渉」(1895年)はドイツが陰で中露双方を操って対日恫喝(どうかつ)の行動に出させたことを思い起こされる 注、三国目のフランスは孤立を恐れて参加した

 

第六章 これから十年、日本はどうすべきか
 

●国際社会のなかで生き残るためには、「早く見つけ」、「ゆっくり行動し」、「粘り強く主張し」、「潔く譲歩すること」が肝要である

●アメリカの方向性を決めているのは誰か: 国防総省でも国務省でもなく、ドライなニューヨークの現実主義であり、その代表的なのがウォール街やメディアである

●CFR(外交問題評議会)の対中戦略が親中から中国批判に変わってきた

●ヨーロッパのかつてない「極右化」を理解するにはそれぞれの国の「空気を読む」ことが不可欠

●中国共産党が経済危機を乗り越えた先の未来: 中国経済の落ち込みも2030年までには回復すると考えられ、同時に国防予算でアメリカを上回る、さらに2030年代にはGDPでも追い越す可能性がある

●日本は幕末の長岡藩が「重武装の局外中立」という路線を選択して失敗したことに学べ: 自力をつけることは大事だが、大勢(たいせい)を見て行動をすることも大事である 注、重装備とは英国製大砲などの最新兵器、局外中立は独立独行の姿勢

●「大きな底流」を見つけるための2つのシナリオを考察: アメリカが中国になびくシナリオではこの二国についていく、あるいはアメリカが中国との妥協に走り始めればもっと先を走る(いずれもリスクは高いが)

●大事なのはアメリカに「位負け」しないこと: 観念論ではなくプラグマティズム(実用主義)で国益を守ることは、「新しいパートナを増やす」「新しい時期がきたと肯定的に捉えて自立を目指す」、「このため大事なときだけアメリカの力を利用する」ことがひつようであるが、アメリカを利用するにはイギリスのように「位負け」しない外交が不可欠

●いまこそ突き抜けた歴史的思考を持て: 日本の針路をめぐる戦いの最大の激戦場は「戦後」への終着と「冷戦後」に固執する勢力が根強い「国内」であり、いかにそれらを正すかが肝要である。ちなみに判断を間違わせる大きな要因は、「新しい見方に惹(ひ)かれること(古い考えと決めつけること)」、「多くの人がそういっていることを根拠にすること」、「わが国に都合が悪いことは口にするなという集団主義的やタブー間隔に発する自己規制」など
 
                             ☆
 
 

<読後感> 「なぜ国家は衰亡するのか」の著者らしく、大局的(巨視的)な視点からの分析により「世界激変の行方」を大胆に分析して、その中で日本はどう対処すべきかを明快に提言する良書である。なかでも、パックス・アメリカーナとパックス・ブリタニカを歴史的視点から詳しく解説し、EUが設立された背景と冷戦が終了したあとの戦略におけるアメリカの失敗、EUの起源や意義、中露と独の関係(各国のパワーバランス)など学ぶことが多い。
 
世界に拡散した経済のグローバル化と民主主義が相容れなくなった事例として、イギリスのEU離脱(自国の独立性を選択)とギリシャのEU残留(EUの恩恵を受けるために自国の緊縮財政や行政サービスの削減などを受け入れた)を挙げて詳しく説明し、グローバルな自由経済主義がもはや限界に直面していることを容易に理解させてくれた。
 
<あとがきにかえて>崩れゆる世界秩序の項においては、いま世界はむしろ「よい方向に向かって動いている」のであると筆者が強調したことが印象的であり、次作においてはその先にある「もう少し素晴らしい新世界」について論じたいと思っていると締めくくったことは大いに期待が持てる。

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