趣味

2026年4月11日 (土)

6日後にも岐阜市へ向かいました!(その5)岐阜公園の織田信長居館跡(前編)

女神の噴水」は「岐阜公園」におけるランドマーク(目印)のようです。

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その横には手前の小さめの洋館があり、奥には大きな洋館が並んでいます。どちらかが「岐阜市歴史博物館」でしょう。

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奥の洋館は入口が閉鎖されているようです。

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手前の方には「名和昆虫博物館」の名称とともに昆虫をあしらった看板があります。

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さらに先には「名和昆虫研究所」の表示がある建物が・・。

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ちょうど通りかかった制服を着た方に「岐阜市歴史博物館」について訊(たず)ねると、『大きな洋館である「岐阜歴史博物館」は改修のため現在は閉館している』と教えてくださいました。残念!

元来た広い道に戻ったところで大発見です! 「日本遺産・信長居館 発掘調査案内所」の幟(のぼり)を見つけたのです。先ほど「女神の噴水」へ向かった時には、裏側が見えていた幟に気づけなかったのです。粘り勝ちのようです。

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しかし、案内所らしき建物は見当たりません。

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「来園者休憩所」の案内板に従うことにすると、和風建築の建物内に『日本遺産・信長居館発掘調査案内所」の垂れ幕を発見しました。ついに辿(たど)り着いたのです。

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中へ入ってみると、「張りぼて」で作られた大きな模型がありました。赤地に白抜きで「現在位置」と表示されたすぐ先に「織田信長居館跡」の表示を見つけました。それは「ロープウェイ乗り場(山麓駅)」のすぐ近くのようです。

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壁際に吊るされた「垂(た)れ幕」には「岐阜城山麓の館」の説明が・・。

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そして、その「復元イメージ模型」も置かれていました。

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案内所内では発掘結果について説明するビデオが流されていましたから、しばらく観ることにしました。

しかし、別の「垂れ幕」には山頂付近にいくつもの館があったことが図解されていることに気づきました。今回、発掘現場を見学したかったのはこちらの方なのです。

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そこで係員の方に訊(たず)ねました。しかし、『山頂付近で発掘された遺構(いこう)は埋め戻されており、今はもう発掘時の様子を見ることはできない』との説明がありました。残念です! 「国史跡 岐阜城跡」の詳細な説明があるパンフレットを頂きました。

往生際(おうじょうぎわ)の悪い筆者は山麓(さんろく)の「織田信長居館跡」を見学することにしました。道案内に従って進むと、長い石段の右手に銅像がありました。

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その脇にある「板垣退助遭難の地」の案内看板には、『この近くの場所で暴漢に襲われた』との説明があります。(詳細は省略)

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長い石段を上がりました。

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長い石段を上り切ったところにある木製のシンプルな「冠木門(かぶきもん)」の右脇には「織田信長居館跡」と刻まれた石柱と「居館の入口」の案内パネルがあります。なお、入口の前で説明を聞く人たちは観光客のようです。

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「冠木門」を入った所には「国史跡岐阜城跡」の大きな説明看板が・・。

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その中央にある写真を拡大して撮影しました。

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こちらは右端の部分です。

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(続く)

2026年4月10日 (金)

6日後にも岐阜市へ向かいました!(その4)岐阜公園へ

岐阜市の中心部からやや北東方向に位置する「岐阜公園」へ向かいました。市中の混雑をさけるため、一旦は「長良川」沿いの道に出ました。途中、「金華山」と「岐阜城」が良く見える場所を通過します。

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手前にある"nagaragawa Flavor"(ナガラガワフレーバー)は 長良川近くにある工芸とカフェが一体になったスペースとして観光マップなどに掲載されているスポットで、後に訪れる「河原町エリア」とともに散策しながら立ち寄れる場所です。

前方に「長良橋南交差点」と「岐阜公園正門」が見えて来ました。

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ここからは「金華山山頂」に聳(そび)える「岐阜城」がかなり近く見えます。

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車を停める予定である「岐阜公園第一駐車場」は、「長良橋南交差点」を左折して「長良橋通り」へ入り、少し北上して脇道に入り、「長良川縁」で「長良橋通り」の下を潜る必要がありました。駐車場の入口付近は車で埋まっており、奥(西方)へ進み、「長良橋通り」の下を潜る必要がありました。

余談ですが、岐阜市内の長良川には「コンクリート製の防水壁」が設けられて、「長良川の水位」が上がった時には市中側と河川敷側を行き来する通路が木製の扉で閉じる仕組みがあり、被害を最小限に留める工夫が施されています。

車を停めた河川敷側にある駐車エリアから階段を上がり、「長良川南交差点」を斜め方向に横断して、階段で高くなった場所にある門へ向かいます。

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正門の右手前に弓を構える武者姿の騎馬像がありました。

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その台には「若き日の織田信長」と刻まれています。

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正門を入った右手に「岐阜公園の案内地図」がありました。なお、現在地は中央のやや右よりで、岐阜城・7織田信長公居館・神社仏閣・博物館・美術館・ロープウエイ乗り場などの場所が示されています。

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「クア(健康)の道」として「金華山・長良川・岐阜公園コース」と「主要施設」を案内する看板も・・。

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そして、左手に「岐阜公園総合案内所」(無料休憩所)がありました。

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館内に入ると「大きな地形模型」が目を惹(ひ)きました。山腹に「ロープウエイの山麓駅」と「三重の塔」を確認でき、山頂近くにも建物があるように見えますから、「岐阜公園」とその周辺を再現したもののようです。そして、手前(提外)の町並みは「河原町エリア」でしょう。

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奥には「イートインコーナー」が・・。

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そして、右手には「まちなか案内所」も。

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筆者が立ち寄った目的は、『織田信長館跡の発掘現場について尋(たず)ねる』ことでした。係員さんからは『「岐阜市歴史博物館」で聞いてほしい』との答えが・・。先ほど見た「案内地図」によれば、「歴史博物館」は「岐阜公園」の南寄りにあるようです。

ほぼ一本道ですから、「歴史博物館」へは歩いて向かうことにしました。

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途中、左手の広場で「猿回しのショー」が開催されているのが見えました。

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右手には比較的に新しい建物の店舗があり、

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その先では両側にも・・。

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さらに先には苔(こけ)がむすエリアへの入口がありました。

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その近くで地図を見つけました。この先の「女神の噴水」がある広場に面した場所に「岐阜市歴史博物館」はあるようです。

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女神の噴水」です。その奥に立派な建物が・・。

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(続く)

2026年3月 3日 (火)

今年6月にはプリウスの8回目の車検が待っています!

現在、筆者が乗っている車「プリウス」(2011年製の3代目前期)は今年6月に満15年を迎えます。前車の「4代目カムリ」(1994年製2.0L直列4気筒ツインカム)が15年を過ぎて走行距離が14kmを超えたところで重大な不具合が発生したため買い替える必要が生じたのです。ちなみに、その不具合とは電気系統の漏電によるバッテリー上がりが頻発(ひんぱつ)したことです。修理は可能であると思われましたが・・。

丁度その時、筆者は2年前に発売された3代目プリウスに興味を持っていましたから、2月下旬にディーラーへ出向いて試乗した上で直ちに契約しました。なお、納車は1か月後の3月下旬の予定であり、自動車税が切り替わるタイミングでもありました。しかし、311日に「東日本大震災」が発生したことで、納車は数か月遅れることに!

納車まではカムリのバッテリー上がりを防ぐ暫定的な手立てを講じました。降車する時に必ず該当回路のヒューズを取り外すという前近代的な方法です。なお、新年度の自動車税はディーラーが負担してくれることになりました。

2011年6月に納車された「3代目(前期)プリウス」(1.8Lハイブリッド車)は人気通りに完成度が高いものでした。

Evolution_03_main_visual_pc出展:トヨタ自動車 公式企業サイト

長年(15年近く)にわたり、これと言った不具合や故障が無く、走行距離は133,000kmを超えた現在も快適に乗っています。ただし、同居者の運転時に発生した前後バンパーの損傷回数は数え切れませんが、全て筆者の自動車保険(車両保険)でカバー。

さらに言えば、筆者の運転時に発生した車体の損傷も2件ありました。1件は「遠出ドライブ」をした時にコインパーキングの精算機下部のコンクリート基台に車体サイドを軽く擦(こす)ったことによる車体下部の擦(す)り傷です。塗装修復(約3万円)のみでしたから自己負担にしました。

もう1件は信号待ち時に後ろから追突される事故に逢(あ)ったことです。これは相手の自動車保険で修理することに。後部バンパーが強く押されて車体のフレームに食い込んだため、引き出して調整する必要がありました。バンパーの機能が正常に働いたとも言えますが、この変形により本体のフレームに歪みが発生していないか気になりましたが・・。

10年を過ぎると、車検時はもちろん、定期点検時にもディーラーの担当者から買い替えを勧められました。しかし、車を大事に乗ることをモットーにしている筆者は『15年を乗り換えの目安』 にしているのです。そして、「プリウス」が今年6月にその満15年を迎えますが、幸いなことに筆者の「プリウス」にはこれと言った不具合はないのです。

敢(あ)えて言えば、新車購入時にディーラー・オプションで付けた「後退時に左側ドアミラーが自動的に下方向を向く機能」に不満があります。この機能は正常に作動するのですが、後日乗車して車の主電源スイッチを押すと、以前に設定したノーマル状態のミラー角度から大きく変わっていることが時々あることです。その時には面倒ですが、その都度スイッチを押して左ドアミラーの上下方向(角度)を調整しています。

ディーラーの担当者からは『ディーラー・オプションなので改善できない!』 との迷言(昭和時代の戯言か?)が返ってきました。筆者が唯一納得していない不治(ふじ)の問題点(ソフトウエアの不具合が原因?)なのです。

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あれこれ書きましたが、いよいよ3か月後への対応策です。

それは、『今年6月に8回目の車検を予定通りに受けてから、時間をかけて買い替えの時期(タイミング)を考える』ことにしたのです。つまり、15年を越えてもこのまま乗り続けるのです。

理由の一つ目は、トヨタ車の新車納期が最近は半年から1年以上と長くなっていることです。中には「受注を中止」している車種さえあるようです。したがい、今すぐ買い替えたいと思ったとしても、それが叶(かな)わない状況にあるのです。

二つ目は、新車で購入した後は6か月ごとのディーラー点検を欠かさず、プリウスの主要機能(説明:エンジン・操舵機能・トランスミッション・駆動用ニッケル水素電池はいずれも問題なし)を絶えず良好に保っていることです。つまり、現在も問題がまったく無いのです。

なお、ハイブリッド車の寿命に大きく影響すると言われる部品が「駆動用バッテリー」です。3代目モデルに採用された「ニッケル水素電池」はより高性能である「リチウムイオン電池」よりコスト・安定性・安全性において勝っており、ハイブリッド車には適していると考えられるようです。説明:筆者が家庭用二次電池として長年愛用している"Eneloop"も同じ「ニッケル水素電池」

ただし、年数が10年以上、走行距離が15万㎞前後になると(注釈:おおよその目安としてですが)劣化したことを示す「ハイブリッド・システム警告灯」が点灯する可能性があるそうです。その場合には劣化したと考えられる「駆動用バッテリー」をディーラーなどで点検してもらい、必要であれば交換する(費用:15₋20万円)ことになります。

なお、「駆動用バッテリーの劣化」であれば直ちに運転ができなくなる分けではありませんが、「駆動用モーター」や「ハイブリッドコントロールユニット」などの不具合であることも考えられますから、不用意な自己判断で放置することは禁物です。

ここまで書き進んでから、一番重要なことを失念していることに気づきました。それは筆者が「3代目プリウス」の後継にしたい車を見つける(決める)ことが「先決(せんけつ)」だったのです。これは楽しい悩みですが!

2026年2月16日 (月)

横浜市都筑区の大塚・歳勝土遺跡公園を探索する!(最終回)

「入口広場」まで葛折れの下り坂を利用しましたが、思った以上に疲れます。

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伐採した竹が積み上げられています。乾燥させてから何かに加工されるのでしょうか? 竹細工あるいは竹炭、それとも・・。

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やっと、「入口広場」が見えてきました。

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ついに「入口広場」へ到着しました。後で数えると、「九十九折」の折れ曲がった回数はちょうど10回でした。なお、「九十九折」の語源は「ツヅラフジ」という植物の蔓(かずら)がくねくねと折れ曲がっている様子に由来し、「葛折(つづらおり)」とも書かれます。数が多いことを指す「八百八」(八の末広がりに由来)とはまったく異なるのです。

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横断歩道橋」へ向かいます。

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入園する時には見えなかった案内標識には「センター北駅(650m)」「みなきたウォーク(350m)」「横浜市歴史博物館(100m)」はいずれも右方向とあります。

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「みなきたウォーク」は初耳でしたので、ネット検索で知らべてみました。「センター南駅」と「センター北駅」の間にある広い遊歩道の名称でした。つまり、「みなきた」とは「南北」のこと。

横断歩道橋を戻ります。後で気づきましたが、ここで右下へ下りる階段があったのです。

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その名も「遺跡公園歩道橋」でした。

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ついジョッギングしたくなりますが、すでに足は棒のようになっています。

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つまり、想定外の長い急坂を登り下りしたことで疲労困憊(こんぱい)なのです。4文字熟語の一つですが、困憊とはひどく疲れて弱りきっている状態を指す言葉です。さらに細かく説明しましょう。『困は苦しむこと』、『憊はひどく疲れること」を意味する漢字を組み合わせた熟語なのです。久しぶりに思い浮かんだ言葉です。

横断歩道橋を渡り切って螺旋階段を下りました。

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「博歴通り」沿いに少し北へ進み、

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何とか「歴史博物館」近くの駐車場へ戻ることができました。

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今風のタッチパネル式の精算機で料金を支払います。

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駐車時間は53分、料金は660円でした。

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なお、散策の歩数は4,363歩とまずまずです。(終)

2026年2月15日 (日)

横浜市都筑区の大塚・歳勝土遺跡公園を探索する!(その4)

「歳勝土遺跡」を通り過ぎると前方に竹林が現れました。散策路は上り坂となって続いています。

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竹林に生えている竹は、北海道の函館以南の本州や九州でよく見かける「孟宗竹(もうそうちく)」のようです。しかし、江戸時代(18世紀)に中国から伝えられたとされますから、弥生(やよい)時代に「大塚遺跡」に住んでいた人々は知らない種類の竹なのです。なお、名前は中国の三国時代の呉の人物「孟宗」に因(ちな)むそうです。

ちなみに、日本固有種である竹は「真竹(まだけ)」と「淡竹(はちく)」が代表格ですが、いずれも「孟宗竹」よりも身が細く、コリコリとした食感と風味の良さが特徴です。アクが無い(あるいは少ない)ことで「アク抜き」が不要(またはほぼ不要)で生食も可能とのこと。弥生人には貴重な食糧だったのでしょう。

閑話休題。この先にある「都筑民家園」に立ち寄る計画でしたが、かなり低い場所にありますから、高い場所から見下ろすだけにしました。

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江戸時代中・後期の民家です。遺跡公園近くの旧牛久保村で名主をつとめていた長沢家の住宅を移築したそうです。なお、主屋の形式は「ヒロマ型」で、主屋と馬屋が平行に建てられている、武蔵南部特有の形をしているようです。

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公園の南東にある「林間広場」まで足を伸ばしました。かなり高い場所まで来たようです。

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「県立東高根森林公園」(川崎市)の「ピクニック広場」に雰囲気が似ています。筆者の妄想ですが、弥生時代の林もこんな雰囲気だったのでしょう。

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しかし、現代的な高層住宅が背景になっています・・。

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この先にあるのは公園東端の「遊具広場」ですから、小休止した後、ここで引き返すことにしました。「都筑民家園」の手前にある北向きの斜面には2日前に降った雪がまだ残っていました。

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前方に竹林が見えて来ました。こうして見るとかなりの急坂だったのです。

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「歳勝土遺跡」のまで戻りました。

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芝生が敷き詰められた地面に花壇のような石囲いが幾何学模様のように続いています。

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「方形周溝墓の表示」として、『復元されなかった方形周溝墓は石によって位置を示しました』 と説明されています。田圃(田んぼ)の区角割ににて整然と配置された様子を写真が見て取れます。

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しかし、医師が石囲いは自由奔放に描かれた絵のようです。細長い円は溝でしょうか。

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こちらは発掘された周溝の様子です。

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「歳勝土遺跡」を横断する形で「九十九折れルート」の入口に出ました。なお、工芸館には立ち寄らないことにしました。

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少し進んで塀に近づくと、小学生のグループがスリットのような塀の先に透けて見えます。

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(続く)

2026年2月14日 (土)

横浜市都筑区の大塚・歳勝土遺跡公園を探索する!(その3)

左手方向へ進むと「高床倉庫」に近づきました

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案内パネルは表面が風化していて、説明文はほとんど読めません。

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木製の臼(うす)が置かれています。

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こちらは立入禁止ですが、

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『小型竪穴住居を堀広げて大型住居に建替えた』 ことが説明されています。

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さらに時計回りに移動しました。前方に見えるのは右手エリアの再現住居です。

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先ほどの住居と形がよく似ています。

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『大型住居の床面積は38.6㎡で、6人ほどが暮らしたと思われる』 ことが説明されています。

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さらに進みました。

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「竪穴住居跡の表示」です。復元されなかった「竪穴住居跡」は石によって位置が表示されていると説明されています。

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右手方向へ伸びる道が門へと続いていますので、これに従って進みました。

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門の抜けて、さきほど小学生たちがいたステージのような場所へ向かいます。

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ステージの上に上がると、右手に案内パネルがあることに気づきました。

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文字がかすれていますが、『古代の林が「クヌギ」「コナラ」「カシ」などで構成されていた』 ことが説明されているようです。

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正面に見えるのは「地形模型」です。脇に説明パネルが立っているようですが・・。

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ステージ前の階段は記念撮影用または係員から説明を聞くために設けられたと思われます。

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順路と思われる未舗装の道を辿(たど)ることにしました。

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案内標柱には「⇐工房」「⇒都筑民家園、草地広場」と表記されていますから、予定通りに右手方向へ進むことにしました。

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右手に堀のようなものがあります。「歳勝土遺跡(方形周溝墓群)」です。「方形周溝墓の埋葬当時を復元した姿」として詳しく説明されているようですが・・。

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少し離れた場所に説明パネルがありますので、

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ズーム撮影すると「墓道(ぼどう)」の説明でした。

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「大塚のムラ」と「歳勝土の墓地」とは約60mはなれ、この間にムラから墓地への道があったと思われます。また、接し合うように整然と並んだ「方形周溝墓」の列の間に一定の隙間(すきま)があり、これが墓地の中の通路であったと考えられます。(以下略)』 という内容です。

                             ☆

AI検索でも調べてみました。「歳勝土遺跡の方形周溝墓」は「大塚遺跡」に住んで稲作を始めた人々の墓地と推定され、弥生時代中期から後期の共同墓地と推定されるそうです。低い四角形の盛り土があり、その周囲を溝で囲むことに特長がある。25基が整然と発見され、未調査部分を含めると30基以上とのこと。

溝を掘った土で内側を少し盛り上げ、その中央の「主体部」と呼ばれる墓壙(ぼこう)に遺体を埋葬。周囲の溝の中にも埋葬が見られ、家族墓的な性格が強いと考えられる。なお、「方形周溝墓」は北は宮城県から南は熊本・宮崎県まで広範囲に分布しているそうです。

余談ですが、地名の「歳勝土」はカブトムシやクワガタムシが多く生息した場所にちなむそうです。(続く)

2026年2月13日 (金)

横浜市都筑区の大塚・歳勝土遺跡公園を探索する!(その2)

なだらかな坂道をさらに進むと、前方に濃いピンク色の花が咲く木がなぜか一本だけありました。

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花びらの形状は桜ですから、早咲きの桜(河津桜)のようです。

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左手から合流する細い道が現(あらわ)れました。「入口広場」にあった「案内地図」で確認した「九十九折(つずらおり)の道」が合流したようです。なお、右手前に「都筑(つずき)民家園」の案内パネルとともに「車椅子のマーク」が見えます。

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さらに直進すると、右手には「➡歳勝土遺跡・旧長沢家住宅」と表示された案内標柱が現れました。そして、前方には砂場のように見えるものとステージ階段が見えます。

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よく見ると、このエリアの地形を立体表示した「地形模型」でした。地形の起伏と道路のような筋が見て取れます。なお、先ほどの小学生たちが係員から話を聞いていますから、小学校の社会見学のようです。

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「地形模型」という見慣れない言葉が気になりAI検索で調べると、『地形模型は、地表面の形状をそのまま縮小し、山や谷の起伏を立体的に示したもので、視覚的に地形を把握できる特徴がある。似た言葉である立体地図(レリーフ地図とも呼ばれる)は、地形の起伏に加えて、道路や鉄道、地名などの地図情報を立体的に表現したものである。』 と説明してくれました。

目を左手に転じると、「大塚・歳勝土遺跡」と刻まれた石柱が目に入りました。

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その先には塀に囲まれたエリア「大塚遺跡」へ入る門がありました。

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案内パネルには「大塚遺跡の保存整備」と題して図解入りの説明があります。

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説明のポイントは、

・弥生時代中期の環濠(かんごう)集落
  注釈:弥生時代中期は紀元前100年から紀元後100年の約200年間の時期、卑弥呼の在位期間(188年頃~248年頃)の200年ほど前
・遺跡を盛土によって保護し、集落の様子を再現
・竪穴住居(7棟)、入母屋(いりもや)造り、材質は檜(ひのき)、屋根は茅(かや)
・高床倉庫
・竪穴住居は住居跡の構造と空間を観察できるように移動再生
・環濠は発掘調査によって発見された遺構の真上に復元し、その外側には防御用施設と考えられる土類・咲くを復元
・環濠を渡る木橋の材質はコナラ

開き扉が開けられた門を入ります。

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入って直ぐの場所に「環濠・土塁・橋」の説明パネルがありました。説明:環濠(かんごう)とは集落の周囲に掘られた堀を指す

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筆者の私見ですが、この構成は戦国時代の山城に築かれた「空堀」と「土塁」とよく似ています。

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「再現木橋」とは、

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「環濠」に架けられた木製の橋を再現したものです。

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住居跡も綺麗(きれい)に再現されています。

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その先にあるのは「高床倉庫」でしょう。

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再現された中型住居

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中を覗(のぞ)いてみました。

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この他にも竪穴式住居が数棟再現されており、長野県諏訪・八ヶ岳地区などで見たことがあるものとよく似た古代の建物群です。参考:テレビドラマ「波の塔」、「八ヶ岳の清水と古代遺跡」、「同 尖石遺跡」、「山中城址」(続く)

2026年2月12日 (木)

横浜市都筑区の大塚・歳勝土遺跡公園を探索する!(その1)

「ステーキのあさくま」でランチを楽しんだ後は食後の散歩が待っています。日中の気温は約8度で少し肌寒いのですが。散歩に選んだ場所は都筑区中川中央にある公園です。正式名称は「大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡公園」。その園内を散歩(散策)しながら歴史を学ぶことができる場所のようです。

横浜市営地下鉄「センター北駅」から南東方向へ徒歩数分の住宅地内にあります。なお、「ステーキのあさくま北山田店」からは、南へ続く坂道を辿(たど)り、「サレジオ学院」と「滝ヶ谷公園」の間を抜け、さらに「不動谷交差点」を右折して「センター北駅」方面へ向かいました。

                             ☆

まず公園の説明です。弥生時代中期の環壕集落である「大塚遺跡」と「方形周溝墓群」の「歳勝土遺跡」を復元・整備した国指定史跡公園で、竪穴住居や高床式倉庫が再現されており、その竪穴住居の中に入ることもできるようです。

また、江戸時代の民家を復元した「都筑民家園」や茶室もあり、四季折々の行事や花々を楽しむことができます。さらに。土器作りなどの体験学習ができる工房も園内にあるそうです。

公園部分は24時間利用可能ですが、「大塚遺跡」と「都筑民家園」は午前9時から午後5時まで開園とのこと。

                             ☆

ネット検索で調べると、公園専用の駐車場はありませんが、「歴博通り」の反対側(西側)にある「横浜市歴史博物館」の近くにある有料駐車場(タイムズ、800180020220円)が利用可能でしたそこで、。「センター北駅」を大きく反時計回りに回り込んだ(牛久保交差点大塚交差点歴史博物館脇交差点を経由)ため、出発地から3.5㎞ほどになりました。

午後1時10分頃、駐車場に到着。なお、「あさくま」からの直線距離では約2㎞です。

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博物館から東へ伸びる横断歩道橋で「歴博通り」を横断することを考えながら、ビルの周囲に沿ってL字型コースを歩きました。

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横断歩道橋の下に到着。手前に高く聳(そび)えるのは車椅子もアクセスできる緩(ゆる)やかなスロープですから、かなり遠回りになります。

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反対側に螺旋状の階段を見つけました。

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階段を上がることにしました。

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階段を上がり切ると右手に、先ほど通過した「歴史博物館脇交差点」が見え、左隅には見慣れたゴリラ像が・・。

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公園へ向かう横断歩道橋の上部に出ました。

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左手には長い歩道橋が続いています。どこまで行けるのでしょうか? ネット地図で確認すると、「横浜市歴史博物館」に行き当たっていました。

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右手は「大塚・歳勝土公園」方面

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左手に見える「歴博通り」(北方向)

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同じく右手(南方向)には「ヤマダ電気」の看板が・・。

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横断歩道橋の先に「入口広場」が見えてきました。公園の入口は反対側にもあるようですが、こちらが正門のようです。

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正面に「大塚・歳勝土遺跡公園」の案内パネルが石組みの上に設置してあります。

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案合パネルの下部を見ると遺跡へ斜めに向かう3つのルートが示されています。メインルートと思われる真ん中の最短ルートを選ぶことにしました。

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右手には公園名が刻まれた巨大な岩が・・。

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案内標識にに従って右手へ進むと、左方向へ折れ曲がる上り坂が待ち受けていました。

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坂を少し上がると、右手へ入る未舗装の道を発見。案内地図で細い線として示されていたルートでしょう。雑木林を抜ける散策マニア向けのルートと思われます。

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舗装された急な上り坂のルートが緩(ゆる)やかにカーブして続きます。

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筆者の後に「入口広場」へ到着したと思われる小学生のグループが次々と筆者を勢いよく追い抜いて行きました。

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左手にある竹林の下にも通路のようなものが見えます。3つ目の「九十九折(つづらおり)ルート」でしょう。

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大きな広場が見えて来ました。

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公園の中央部に到着したようです。

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芝生に覆(おお)われた広場の先には盛り土のようなものが見えます。

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(続く)

2025年12月22日 (月)

運転免許の更新予約を完了しました

12月19日(金)に県公安委員会から運転免許の更新時期を案内する葉書が到着しました。更新手続きが可能になるのは1週間後からですが、『善は急げ』 とさっそく更新手続きの予約(説明:神奈川県では今年8月4日に完全予約制がスタート)を入することにしました。なお、専用の電話番号(0570-011-171 )でも予約できますが、葉書に印刷された「QRコード」をiPhoneで読み取る方法(WEB予約)を選びました。

読み取ったアドレスである「県警の運転免許更新窓口予約」にアクセスすると、質問に答える形式でデータの入力を何件か求められました。誕生日以外は葉書に記載されたデータ(数字)を入力するだけですから、それほど難しくは無いはずです。

とは言え、葉書に記載された説明文のフォント(文字)が小さいことは後期高齢者にとって不親切だと感じました。また、葉書に記載されたデータ(数値)が沢山ある中で、質問の答えを探すのは「認知症検査」のようで戸惑いました。

なお、後半に出現した「更新の手続きする場所」(センター/警察署)の選択は分かりやすくて良いと思います。筆者はいつものように地元警察署を迷わず選択。続いて予約可能な日の画面に移行すると、「松の内」が開けた日付に空きがありました。

ここで驚かされたことがありました。最終画面に表示された「入力内容のリスト」と「QRコード」を「スクショ」して、当日更新手続きの窓口に提示すようにとの指示があったことです。ちなみに、「スクショ」とは「スクリーン・ショット」(別称:画面取り込み)の略称で、『画面に表示されている内容をそのまま画像として保存すること』 を意味します。

筆者は乱暴な方法で「コピペ」 して上手く行きました!? 参考情報ですが、ホームボタンがある古いiPhoneの場合は『ホームボタンとサイドボタンを同時に押して、すぐ放す』 ことで「スクショ」することができます。

なお、新しい免許証として、従来タイプの「運転免許証」に加えて「マイナ免許証」を追加する「2枚持ち」を選びました。手数料は「マイナ免許証」が無い場合より100円高い2,950円ですが、「2枚持ち」の便利さを考えたのです。ちなみに、「高齢者講習」を受講した筆者は改めて優良者向け講習(30分、手数料500円)を受ける必要はありません。

更新当日の手続きが無事に終わることを願っています。◇

2025年12月 8日 (月)

運転免許の高齢者講習を受けました!

早いもので、3年毎に訪れる運転免許の更新が5か月後に近づきました。7月に県の公安委員会から「お知らせ」の葉書が届いたのです。早速、午前9時になったところで、いつも利用している自動車学校に電話を掛けましたが、話中でつながりません。予期したことであり、何度も再呼ボタンを押し続けると、約20分後に繋(つな)がりました。

担当者の質問に答える形で、氏名、住所(区名)、年齢、受けたい講習を伝えました。筆者の場合は、高齢者講習の葉書に記載されている、②認知機能検査(所要約1時間)と高齢者講習(実車指導あり、所要約2時間)の2つです。

5か月後(12月初旬)の講習に空き席がありました。しかも、幸いなことに午前中にをまとめて受けられるのです。料金は1,200円、9,000円の計10,200円とのこと。前回(3年前)、受講した時には1万円でお釣りが出た記憶があります。確認すると前々回(70歳以上が対象、約2時間)の料金は5,100円、と前回(75歳以上が対象、約3時間)の料金は7,500円でした。

受付担当者の説明によると、『今年4月から制度が少し変わり、従来は県の公安委員会からの委託制であったものが認定制になったことで、受講する場所によって料金が異なるそうです。ただし、免許更新時には従来の終了証明書と同じ役割を持つ。』 とのこと。いずれにせよ、筆者には拒否する権限はありませんが・・。

詳しいことを知りたくてAI検索をしたところ、『高齢者講習が委託制から認定制度に変わったのは、2022513日に施行された改正道路交通法によるものです。この改正では、高齢運転者の安全対策を強化するため、主に講習内容の強化と運用方法の見直しが行われました。』(主旨のみ) とのこと。

                             ☆

当日の朝は同居者を助手席に乗せて自動車学校へ向かいました。道路が混雑していたため、予定より10分遅い午前830分に会場である自動車学校に到着。ロビーで待つこと約10分で講義室へ案内されました。そこで、受付と料金の支払いを完了。この日の講義・検査内容は次の通りでした。なお、所要時間は計3時間余り。

〇講義
〇認知機能検査 結果:記憶力が減退していることを実感しましたが、問題ないとの評価
〇視力検査(静止・動体・暗順応・視野) 結果:暗順応だけが年齢相応に機能低下、その他は良好
〇実車運転(信号・一時停止・速度・段差乗越他)

無事に修了証明書を貰った後、同居者が迎えに来てくれた車を筆者が運転して帰宅。

                             ☆

今回も後期高齢者講習を余裕のあるスケジュールで受講できましたから、後は公安委員会から「免許更新の通知葉書」(更新連絡書)が到着するのを待つだけです。なお、今回も最寄りの警察署で更新手続き(注釈:今年8月4日から予約制に変更)を行うつもりです。

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