趣味

2026年7月25日 (土)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(最終回) 古刹王禅寺に参拝③

 仁王門「六地蔵」の前を通過すると、「石碑(せきひ)」と「門」がありました。

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「石碑」の左面には『中興等海上人(ちゅうこうとうかいしょうにん) 明治十三年』 と刻(きざ)まれており、右面は擦(かす)れてほとんど読むことができません。辛(かろ)うじて認識できた「南」と「遍照」を手掛かりに”AI”に質問すると、『お大師さまの宝号(ほうごう)である「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」である』 と答えてくれました。

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なお、これは「弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)」が始祖(しそ、意味:最初に始めた人)である「真言宗」の「宝号(ほうごう)」(意味:仏や菩薩(ぼさつ)などの尊(とおと)いお名前、またはそれを唱(とな)える短い言葉)です。

                            ☆

当ブログを愛読して頂いている方々はお分かりだと思いますが、「弘法大師空海」は日本が生んだ「最高の偉人(いじん)」であると筆者は信じて尊敬しているのです。

それもあり、現役を退いた20年前には京都にある「空海所縁(ゆかり)の寺」である「東寺(とうじ)」と「神護寺(じんごじ)」に参拝(さんぱい)するとともに、「四国八十八霊場」を巡礼(じゅんれい)し、「真言宗の本山」である和歌山県の「高野山(こうやさん)」に「結願(けちがん)」(意味:四国巡礼の完了)をご報告しています。

そして、厄年(やくどし)を迎えた時には「川崎大師(かわさきだいし)」に参拝し、アメリカから帰国した30年余(あま)り前からは、毎年の年末に家族とともに「川崎大師」への「御礼参(おれいまい)り」(意味:神様や仏様に感謝と報告をするための参拝)を欠(か)かしていません。

その「お陰(おかげ)」をもちまして、恵(めぐ)まれた日々が送れていると感謝しています。

                            ☆

「閑話休題(かんわきゅうだい)」。左手には「長い石の下り階段」が続いていました。

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「ズーム撮影」に切り替えましたが、この石段がどこまで続いているのかは判別することができません。

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方角から見て「東門」から「仁王門(におうもん)」に続く「参道」の途中に繋(つな)がっていると思われます。筆者の想像ですが、「新しい本殿」が造られた時に整備された「参道」のようです。

よって、「石段」を下りるのではなく、右手へ続く通路を進むことにしました。

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「石畳が敷かれた下り坂」を左手に見ながら通り過ぎると、

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左手の下方に「仁王門」の屋根が見えて来ました。

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「境内」に入って最初に見た「下り階段」から「仁王門」へ向かいます。

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「仁王門」の上部にある「卍(まんじ、注釈:左まんじ)」は、『幸福やめでたいことを意味する吉兆(きっちょう、意味:良いことやめでたいことが起こる前ぶれ)の印(説明:サンスクリット語で「スヴァスティカ」と呼ばれる)であり、お釈迦様(おしゃかさま)の胸にあるしるしに由来するそうです。

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左右にある「木格子(きごうし)」の下の「連子(れんじ、意味:縦格子)」越しに「石仏」が三体づつ安置されています。

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奇妙(きみょう)に思い、”AI”に質問してみると、『王禅寺の仁王門やその周辺に石仏(仁王石仏像など)があるのは、仏教や寺院の領域を守るため、そして悪霊(あくりょう)や災(わざわ)いから村と境内(けいだい)を護(まも)る結界(けっかい、意味:聖域と俗世界を区切るための宗教的な境界線)としての役割を担っているからです』 と答えてくれました。

「仁王門」を潜(くぐ)って表側へ出ました。通路の上に掲(かか)げられた「山号額」には「星宿山(せいしゅくざん)」とあります。

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左側の「仁王像」を撮影しましたが、「格子越し」では良く見ることはできません。

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そこで接近した上、「仁王像」を上下二枚に分けて撮影することにしました。

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「右側の仁王像」も同様です。

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「仁王門」の前方に続く「参道」は「東門」方向へ一直線に伸びているようです。

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車を停めた場所へ戻るために、引き返すことにしました。

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階段の手前に咲いている「可憐(かれん)な白い花」を撮影

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ほぼ予定通りに、筆者が車を停めた「西門近くの駐車スペース」へ戻ることができました。ちなみに、「王禅寺境内」での滞在時間は45分、総歩数は946歩でした。

車に乗って「西門」を出ると、すぐ右手に「王禅寺大門緑の保全地域」の標柱(ひょうちゅう)を見かけました。

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ここにある「大門」の名称が気になって"AI"に訊(き)いてみると、『王禅寺の旧大門とは、古刹王禅寺の境内に通じる、昔からの古い門やその周辺の歴史的な区画・通りのことを差します』 と答えてくれました。

なお、「本ブログ記事」における「古刹王禅寺」の部分は記述内容を”AI"に頼り過ぎてしまい、「情報過多のブログ記事」になってしまいました。

最後になりましたが、今回調査した資料の中で筆者が面白いと思った『川崎歴史ガイド 王禅寺ルート』 を紹介します。(終)

2026年7月24日 (金)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(その8) 古刹王禅寺に参拝②

手前にある「石碑」には何か文字が刻(きざ)まれていますが、ほとんど読むことはできません。

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そこで、「"AI"検索」で調べると、「白秋に師事(しじ)した昭和期の歌人・清水乙女(おとめ)」の『たかむら(鷹村)や けやきのうれ(欅の枝の先)か、寺庭(てらにわ)の白き秋陽(しゅうよう)に透(すけ)る天藾(てんらい)』 でした。注釈:「天籟」の意味は、自然に発する音(風が木々の間を吹き抜ける音など)や、自然で美しい詩文のこと

現代語に訳すと、『鷹の集まる村の、あるいは高くそびえる木々の梢(こずえ)なのか。寺の庭に差す白々とした秋の陽光(ようこう)に、風の音(または自然の妙なる響き)が透(す)き通るように響(ひび)いている。』 となります。

その隣(とな)りにある「石碑」の方は、文字が大きいことで、何とか読むことができました。

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『夜をわたる月は光をもたね共(ども) 照(て)らされて照らす 満(み)ちつ欠(か)けつつ 岑清光(みねせいこう)』 です。なお、岑清光(1894年~1989年)は昭和期に活躍した歌人です。

現代語訳は、『月は自らは光を持たず、太陽の光に照らされることで輝(かがや)き、満(み)ち欠(か)けをしながらも夜の闇(やみ)を照らし続ける』 です。

「本堂」の前に出ました。「寺号額(じごうがく)には「王禅寺」とあるようですが、「寺」の字が崩(くず)されているため、筆者が読むには難(むずか)しすぎます。

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そして、「賽銭箱(さいせんばこ)」には「三つ葉葵(あおい)」(葵の御紋(ごもん))が描(えが)かれています。なお、その理由は(その6)で述(の)べています。

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「本堂」の前に、「王禅寺のカキの原木(げんぼく)」の碑(ひ)がありました。「かながわの原木100選」(昭和59年12月選定)と表示されています。樹齢約450年(伝承)とも。

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正面から見る「原木」の脇(わき)には、「国登録記念物 禅師丸柿」(登録 平成十九年七月二十六日)と刻まれた「石碑」が立ち、

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「登録記念物」であることを示す「文化庁のパネル」が埋め込まれた「石碑」も並んでいました。

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その先の右手には「日本庭園」があり、

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左手の「本堂」脇には「禅師丸(ぜんじまる)の彫像(ちょうぞう)」(薮内佐斗司作)がありました。頭に角(つの)がある鬼(または雷)の姿をしており、左手に「金棒」を持ち、右手は「小枝がついた柿」を握(にぎ)っています。

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なお、薮内佐斗司(やぶうちさとし)氏は日本の彫刻家で、東京芸術大学名誉教授、奈良県立美術館館長などを務めているそうです。また、平城京遷都1300年祭のキャラクター「せんとくん」の作者でもあります。

その先にある建物は「庫裏(くり)」のようです。伽藍(がらん)の一つで、一般的には住職やその家族の生活の場所であり、寺務所(しゃむしょ)や来客対応のスペースとしても使用されます。

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「庫裏」の玄関はひっそりしていました。

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その近くにある大きな鉢植えが筆者の目を惹(ひ)きました。

「葉の形」からみて、水生植物の「オモダカ」(オモダカ科オモダカ属)またはその仲間だと思われます。

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「本堂」の前に戻り、境内の南へ続く通路に入る角には「郷柿誉悠久 柿生禅師丸柿保存会」と刻(きざ)まれた石碑があり、

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その隣にある「石碑」は、表面がノッペリしており、刻まれた文字が判読できませんが、この地を愛して度々(たびたび)訪れた「北原白秋」によって執筆された『王禅寺に想(おも)う』(昭和10年)の「句碑(くひ)」(昭和42年建立)です。

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豊かな自然と歴史に囲まれたこの地の「閑寂(かんじゃく)さ」(意味:物静かで趣がある)や「秋の風情(ふぜい、意味:場所や物事が持つ独特の雰囲気)」を、独自の美意識で優美に描き出しているとのこと。

その向かい側には「禅師丸之記(ぜんじまるのき)」と刻(きざ)まれた「石碑」が立っています。その「碑文(ひぶん)」は、『抑々(そもそも)当山者星宿山蓮華蔵院王禅寺ト称シ真言宗豊山派ニ属ス 延喜二十一年高野山三世無空上人ノ開山ニシテ関東ノ高野山と称セラレ東国鎮護ノ勅願寺トナル』と(その7)で紹介した「社伝」の概要が書かれています。

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続けて、『然(しか)ルニ元弘三年新田義貞鎌倉進行ノ戦乱ニヨリ一山悉(ことごと)ク烏有(うゆう)ニキス(意味: 何もかも失われた)斯くて(かくて、意味:このようにして) 応安三年久良岐郡金沢称名寺塔頭(たっちゅう、意味:大きな寺院の敷地内にある小寺院や別坊のこと)延命院住僧(じゅうそう)等海上人(とうかいしょうにん)勅命(ちょくめい)ニヨリ再興セントシテ資材探索中』

『寺領ノ山中ニ於(おい)テ紅熟セル柿ノ果実ヲ発見 其の甘味豊潤ニシテ他ニ類例ヲ見ズ 依(よっ)テ寺庭ニ移植シ更ニ近在ノ人々ニ栽植ヲススメ王禅寺丸ト命名セリ(以下略)』 と「禅師丸」が発見された経緯(いきさつ)が説明されています。現代語訳は添えませんが、読み仮名を追加しましたから、大意(たいい、意味:大体(だいたい)の意味)はお分かりになると思います。

その近くで「石仏」と「石灯籠(いしどうろう)」を見かけました。

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境内(けいだい)の通路は「門」へ続いているようです。

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左手には「記念碑」と思われる「石碑」がありますが、「碑文(ひぶん)」は薄れており、ほとんど読むことはできません。

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その先には、先ほど「庫裏(くり)」の手前から見た「日本庭園」の奥にある「池」が見えました。

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門の手前で右手へ折れると、「薬師如来堂(やくしにょらいどう)」があり、

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『大正十二年、王禅寺に合併廃寺となった東円寺(青葉区寺家町)の御本尊薬師如来が安置されています』 と「案内パネル」に説明されています。

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さらに右へ折れた所に「六地蔵(ろくじぞう)の祠(ほこら)」がありました。説明:祠とは、神や先祖の霊、あるいは特定の土地の神様を祀(まつ)るために設けられた、小規模な殿舎や建物のこと

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なお、「六地蔵」は、人が亡くなった後に生まれ変わるとされる6つの世界、地獄道(じごくどう、注釈:最下位)・餓鬼道(がきどう)・畜生道(ちくしょうどう)・修羅道(しゅらどう)・人間道(にんげんどう)・天道(てんどう、注釈:最上位)のそれぞれで、人々を苦しみから救ってくれる「6体の地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)」のことです。(続く)

2026年7月23日 (木)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(その7) 古刹王禅寺に参拝①

「西門」を入ると、右手に駐車スぺースが2か所(計5₋6台分)ありました。その場所に車を停めて、境内へ向かうことにします。

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ここで筆者は少し混乱していました。それは、(その4)で触(ふ)れた「王禅寺東門」とこの「西門」の位置関係についてです。現在の地図に依(よ)れば、両者の位置関係は「南」と「北」に当(あ)たるのです。

そこで”AI”に質問すると、”AI"はその理由を直(ただ)ちに教えてくれました。『寺社や宮殿などで、「南・北」にある門が「東門・西門」と呼ばれる理由は、「その門の物理的な方角」ではなく「門に繋(つな)がる参道や出入口の向き」を表(あら)わしているからです。』 と。

続けて、『これは古代中国の考え方に由来(ゆらい)するもので、東西南北の各方角には守護神(東の青龍(せいりゅう)、西の白虎(びゃっこ)、南の朱雀(すざく)、北の玄武(げんぶ))が割り当てられています。特定の場所に配置された門は、その方角を守る役割から名前が付けられます。』

さらに、『物理的な位置と呼称(こしょう)が異なることは珍しくなく、それぞれの門が「どちらの方角へアクセスするか」「どちらを向いているか」によって名付けられています。このため、南北一直線に位置する門が「東門・西門」と呼ばれることがあるのです。』 と。何やら「禅問答(ぜんもんどう)」のように難(むずか)しいのですが・・。

「閑話休題(かんわきゅうだい)」。右手の下方(かほう)、階段の下に「山門(さんもん)」のような建物が見えました。地図で確認すると、これは「仁王門(におうもん)」です。

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その反対側(左側)にある「石段」の先には「観音堂(かんのんどう)」がありました。弘化(こうか)3年(1846年)に建立(こんりゅう)されたものだそうです。

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なお、石段の手前には「石碑(せきひ)」が並んでいます。

右側の石柱(せきちゅう)には「星宿山王禅寺(せいしゅくさんおうぜんじ」の社号(しゃごう)が刻ま(きざま)れ、左側の石碑(せきひ)には『旧小机領三十三所 観音霊場 第廿二番星宿山蓮華蔵院王禅寺 ほしやどる寺はしんにょ(注釈:真理)のくもりなく ふだらくやま(注釈:補陀洛山)の じょうど(注釈:浄土)なるらん』 と刻(きざ)まれています。

注釈:平仮名の部分は「御詠歌(ごえいか)」(仏教賛歌)、「小机領(こづくえりょう)」とは、かつて現在の横浜市北部から川崎市、町田市の一部にかけて存在した古い地域区分(小机城を中心とする武蔵国都筑郡(むさしのくにつづきぐん)周辺)です。

後先(あとさき)になりましたが、この寺の正式名称は「真言宗(しんごんしゅう)豊山派(ぶざんは星宿山(せいしゅくさん)蓮華蔵院(れんげぞういん)王禅寺(おうぜんじ)であり、「関東の高野山(こうやさん)」とも呼ばれたそうです。

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『寺伝によれば延喜17年(917年)高野山の三世無空上人が、醍醐(だいご)天皇から「王禅寺」の寺号(意味:王の命じた仏教を修行するに適した場所としての寺という意味)を賜(たまわ)り、同地に改めて創建(そうけん)され関東の高野山と呼(よび)せられ、東国鎮護(とうごくしんご)の勅願寺(ちょくがんじ、意味:天皇や上皇の発願(ほつがん)により創建または指定された由緒ある寺院の格式の一つ)となる。延喜(えんぎ)21年(921年)高野山の熊空(ゆうくう)により真言宗(しんごんしゅう)の寺となるという。』 (出典:Wikipedia)

また、『徳川幕府の歴代の将軍(徳川家康を始めとし、後の13人の将軍)の位牌(いはい)を奉(たてまつ)り、将軍家より葵(あおい)の御紋(ごもん)の使用を与(あた)えられた。』(同上)

この「王禅寺」は2007年に国指定の登録記念物に指定され、川崎市が指定する「まちの樹50」や「ふるさと麻生八景」にも選ばれています。

ちなみに、隣接する「王禅寺ふるさと公園」は元々お寺が所有していた山を川崎市が買い取って公園にしたものだそうです。

前述しましたが、日本最古の甘柿(あまがき)の品種と言われている「禅師丸(ぜんじまる)が発見された寺としても知られ、境内には「国の登録記念物」に登録された「原木」が残っているとのこと。なお、「禅寺丸柿の木」は王禅寺境内にあるものを含め、計7本が「国の指定登録記念物」に登録されているそうです。

これにより、「柿生(かきお)」という地名・駅名の由来となったと言われています。

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石段を上がって「観音堂」へ向かうと、その両側に「仁王石像(におうせきぞう)」がありました。

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右手に「石燈篭(いしどうろう)」がありました。これは「寺社への献灯(けんとう)」(意味:寺社へ灯(あか)りを奉納(ほうのう)すること)されたものです。

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そして、正面には「観音堂」が位置し、

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右手にあるのは「手水舎(ちょうずしゃ)」(説明:寺社の参拝前に手や口を洗い清める手水(ちょうず/てみず)を行う施設)です。

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「観音堂」へ向かいました。これは嘉永(かえい)4年(1851年)に再建された歴史ある「旧本堂」です。寄棟造(よせむねづく)りの密教(みっきょう)建築で、本尊の聖観音菩薩像は12年に一度の子年(ねどし)に開帳(かいちょう)される貴重な秘仏(ひぶつ)とのこと。

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説明:密教とは、言葉で語り尽くせない仏の真理を、儀礼(ぎれい)や呪術(じゅじゅつ)、瞑想(めいそう)などの実践(じっせん)を通じて直接体得(たいとく)しようとする仏教の一派 体得とは、知識や技術をただ頭で理解するだけでなく、実際に体験や実践(じっせん)を重ねることで「自分のものとして深く身に着けること

「観音堂」の右手には「書き物」が貼(は)ってあります。

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「参拝の心得」が書かれているようです。『本尊(ホンゾン) 聖観世音菩薩(ショウカンゼオンボサツ)』『 南無観世音菩薩(ナムカンゼオンボサツ)又は「オンアロリキャソワカ」とおとなえ下(くだ)さい』 とあります。

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なお、「オンアロリキャソワカ」は、観音菩薩(聖観音)に唱える真言(マントラ、説明:このサンスクリット語の意味は「思考の道具」)であり、その意味は『観音様、どうかお救いください。あなたを信じ、帰依(きえ)いたします』 といった、仏への深い信仰と祈りの意味が込められています。説明:日本の密教(真言宗や天台宗)などでは、仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)の真実の言葉として唱(とな)えられる

「観音堂」の右奥には「小さなお堂」がありますので、そちらへ向かいました。

その途中、右手にある「石柱」には「日露戦役記念碑」(説明:明治41年建立された日露戦争の戦没者(せんぼつしゃ)などを慰霊・顕彰するための慰霊碑、注釈:日露戦役とは1904年~1905年(明治37年から明治38年)に行われた日露戦争のこと)がありました。

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かって「王禅寺村」から出征(しゅっせい)した3柱の英霊(えいれい)の氏名が刻(きざ)まれているようです。

そして、その奥にある「小さなお堂」の中には「お地蔵様」(正式名称:地蔵菩薩(じぞうぼさつ))が祀(まつ)られていました。

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「観音堂」の右横には「別の地蔵菩薩」と「小さな社(やしろ)」が並(なら)んでいます。

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説明がありませんので、近づいてみました。

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扉(とびら)の右側には「飛道忍禅門」(注釈:意味は不明)と書かれています。

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中には「板碑(いたび)」が祀(まつ)られ、先の「地蔵堂」と同様、卒塔婆(そとば、そとうば)が多数ありました。説明:板碑とは、板状の石に梵字(ぼんじ)や仏の姿、建立の年月日などを刻(きざ)んだ供養塔のこと

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なお、「卒塔婆」は、故人(こじん)やご先祖様(せんぞさま)の追善供養(ついぜんくよう)のために墓石の後ろや脇に立てる、文字が書かれた細長い木の板のことで、仏教の起源(きげん)であるインドのサンスクリット語「ストゥーパ(仏塔)」に由来(ゆらい)します。

その左隣には「地蔵菩薩」と「石仏」がありました。

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そして、これらと対面するように、「観音堂」の左手には「石碑(せきひ)」と「石の仏塔(石塔)」(説明:仏舎利(ぶっしゃり、意味:お釈迦様の遺骨)を納(おさ)める塔(とう)を石で模(も)したもので、供養塔(くようとう)として広く普及(ふきゅう)した)が並んでいます。

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この石塔は先祖供養や死者の追善供養(ついぜんくよう、意味:故人が成仏できるように読経や法事を行うこと)、現世利益(げんぜりやく)を祈(いの)るための「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」でしょう。

「観音堂」を出て急な坂を下ると「大きなお堂」が見えてきました。

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「現在の本堂」の脇(わき)に出たようです。

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さらに前方へ進むと、右手に「石碑(せきひ)」がありました。

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「檀徒寄付者芳名(だんときふしゃほうめい)」と刻(きざ)まれていますから、「本堂」を建設した際に寄付をした檀家(だんか、意味:特定の寺院(菩提寺)に所属し、葬儀や法要などの供養を任せる代(か)わりに、お布施(ふせ)や寺院の維持費などを納めて経済的に寺院を支(ささ)える家(世帯))の名簿(めいぼ)でしょう。

それと並んで、「石碑」がもう2つありました。

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(続く)

2026年7月22日 (水)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(その6) 散策園路と幹線園路で戻った駐車場から古刹王禅寺へ

元来た「散策園路」を進むと「木製の階段」に差し掛かりました。

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綺麗(きれい)に清掃された階段を上がります。ここを下りたのは30分余り前のことですから、もう人影はありません。

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見覚(みおぼ)えのある「丸太置き場」の脇を通過

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前方に「幹線園路」に合流する場所が見えて来ました。

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この写真を見ると、左側から光が差し込んでいますから、ここに「獣道(けものみち)」(説明:閉ざされた谷戸空間へ入る小径(こみち))があったのかも知れません。

小川に沿(そ)う「幹線園路」をを進むと、前方には明るい空間が控(ひか)えています。

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「トンネル」が見えて来ました。

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「トンネル」を抜けたところで、「同行者」は日傘を差していることに気付きました。日差しが一段と強くなったのです。

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前方に「芝生広場」を見ながら左手に伸びる「遊歩道」(下り坂)を進みました。「遊歩道」の左側にある空間の奥には「尾根道」へ上がる「木製階段」が「通行止め」になっていました。

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「マンホール」には「王禅寺柿」が描かれています。

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右手には「石畳(いしだたみ)」の先には「入園時」に渡った小川が流れています。

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「石畳」の脇には「巨大な木の根」がありました。

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遠くには、前回訪れた時に利用した「長い木製階段」が見えます。なお、その最下部の脇には「あの看板」(説明:『お願い この先には、タヌキやキジ等・・』と書かれた注意書き)があります。

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この「マンホール」には「カブトムシ」が描かれ、

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こちらは「岡上のカボチャ」(注釈:岡上(おかがみ)は横浜市青葉区と町田市に接する川崎市の飛び地、特産物である王禅寺柿を通じて柿生との結びつきが強かったことから1939年/昭和14年に川崎市へ編入した経緯がある)

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「西口」の近くにある「案内地図」で「雑木林に囲まれた谷戸の空間」の場所を再確認しました。

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「西口」を出て、「池」と「その中央にある噴水」を撮影。

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ここからは前回と同じルート(県道野川柿生線の歩道)を辿(たど)って「公園の駐車場」まで戻りました。

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これは筆者の印象です。「王禅寺ふるさと公園」の「南エリア」にある「散策路」はその名前の通り「歩くことそのものが目的である道」であり、自然に包まれた環境を楽しむことができました。しかし、草花や施設などを見ながら歩くという、筆者が好きな「遊歩道」(説明:草花や施設などを見ながら歩く道)とは異なる機能なのです。

この日、「王禅寺ふるさと公園」の滞在時間は1時間19分、総歩数は4,740歩、駐車料金は400円でした。

このままだと「画龍点睛(がりょうてんせい)を欠(か)く」ことになると考えた筆者は、「王禅寺ふるさと公園」の東隣りにある「古刹(こさつ)王禅寺」にも立ち寄ることにしました。一つ手前の「信号がある交差点」(丁字路)まで戻って南(虹が丘方面)へ折れ、

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さらに幅の狭い路地に入る「王禅寺」へのアクセス道がありました。

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右手には「王禅寺ふるさと公園」の敷地と思われる「エリア」は、

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「広場」のように見えますが、実は前回訪れた時に歩いた「遊歩道」の脇にあった「展望所」です。好天の今日は、「ベンチ」からの見晴らしが良いのでしょうか?

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さらに進むと、「古刹王禅寺(こさつおうぜんじ)」の「西門」が見えて来ました。これは蛇足(だそく)ですが、「古刹」とは、『歴史が古く、由緒(ゆいしょ)や格式があるお寺』 のことです。

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ここで筆者は少し混乱しました。その理由は、(その4)で触れた「王禅寺東門」とこの「西門」の位置関係にあります。現在の地図に依(よ)れば、両者の位置関係は「南」と「北」に当たるはずなのです。

早速(さっそく)”AI”検索で調べてみました。『東門と西門が南北に位置しているのは、中国の古代思想である「風水」や「陰陽五行説」に基づいて、都市や宮殿が「北を背にし、南を向いて建つ」という基本構造(天子南面す)で作られているため』 でした。そして、『門の向きは、東門と西門が南北の直線上に位置する配置になる』 とのこと。

「閑話休題(かんわきゅうだい)」。「西門」の手前には、右手に続く「小径」があります。あちこちで見かけたように、「王禅寺ふるさと公園」の東側に沿って「東口/南口」まで続いているのです。

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(続く)

2026年7月21日 (火)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(その5) 遠見の広場から草っぱら広場へ

「木製のベンチ」に載(の)る「白くて四角いもの」が気になり、近くへ行ってみました。

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「前面」に「透明なガラス板」がボルトで固定された「白く塗装された金属製のフレーム」のようです。

拍子抜(ひょうしぬ)けをした筆者は、次いで「尾根道」と思われる「小径(こみち)」に入ってみました。

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と思っでたのも束の間(つかのま)で、前方に「芝生の広場」が見えてきました。

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そして、そこには「カラフルなトンネル」から続く「すべり台」がありました。「子供用のミニ公園」のようです。

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左手を見ると、芝生越しに「カラフルな塗装」を施(ほどこ)した「住宅」が建ち並ぶ「エリア」がありました。

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この雰囲気から筆者は、アメリカの企業に勤務していた1990年前後に5年間暮らした「アメリカの住宅街」を思い出しました。

「同行者」はどうしているかと前方を見ると、「公園」を出て「市道」(王禅寺139号線)へ向かおうとしています。

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なお、"iPhone SE3”でチェックした「公園内の地図」によると、上の写真の前方に写るのは「バリアフリートイレ」のようです。後で利用させてもらいましたが、個室は広いものの、床には色々な虫たちが・・。

「同行者」に従って「市道」を歩くと、右手に立ち寄る予定がなかった「琴平(ことひら)神社」の前に出ました。注釈:境内の東北端にある「霊廟(れいびょう)」の付近、参道は「市道」沿(ぞ)いにもう少し先へ行った所にある

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「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と「大物主神(おおものぬしのかみ)」(説明:出雲(いずも)の国造りを行った大国主神(おおくにぬしのかみ)の分身とされる)を祀(まつ)る、450年の歴史がある神社(説明:四国の金毘羅宮(こんぴらのみや)から勧請(かんじょう、意味:神仏の分霊(ぶんれい)を移して祀(まつ)ること)した)です。

参拝しようかとも思いましたが、よく見ると「琴平霊廟(れいびょう)」の文字が・・。

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やはり、「参拝(さんぱい)」は思いと留(とど)まることにしました。なお、「琴平神社」は、南南東方向に約2㎞離れた「早野聖地公園」(市営墓地、墓所数:1万3,370区画,無料駐車場有)とともに、「柿生の里散歩道」に組み入れられています。

「市道」に戻ると、「下り坂」はさらに先へ続いているようです。

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「ネット地図」を確認すると、「公園の駐車場」とは反対方向へカーブしていることが分かりました。「王禅寺交差点」まで行くことになり、かなり遠回りになりますから、やはり「公園内の散策路」を「公園の駐車場へ戻るルート」にすることにしました。

「物はついで」ですから、「遠見の広場」の西隣にある「草っぱら広場」へ立ち寄ってみることにしました。「園内」の戻り、「遠見の広場」の境界に沿(そ)って続く「散策路擬(もど)き)」を歩きました。なお、近くにある「公園案内図」で「草っぱら広場」の場所を確認しました。

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「すべり台」の近くにある「水飲み場」を通過して、

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「長いベンチ」の脇も通過します。なお、先ほど高い場所にある「大きなベンチ」に座(すわ)って眺(なが)めた、「下方に確認したベンチ」なのです。

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「遠見の広場」の端に続く「階段がある坂道」の下に行き当たりました。

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「草っぱら広場」へ行くには、ここで左に入れば良い筈(はず)ですが、それらしき「小径(こみち)」は見当(みあ)たりません。

そんな筈(はず)はないと思いながら、下方(かほう)を覗(のぞ)くと、ありました。「獣道(けものみち)」が・・。

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しかし、すぐ先に「カラーコーン」が置かれているのです。「通行禁止」なのでしょう。

後になって気づいたことですが、「幹線園路」から「散策園路」へ逸(そ)れた直後に右手にあるはずの「下り階段」(説明:「古びた案内地図」により推定)が見当たらなかったことも、同じ理由だったことを。

その時の写真で確認すると、「散策園路」が緩(ゆる)やかに左へカーブする手前にあった「二股(ふたまた)に分かれた木(連理木/れんりぼく)」の辺(あた)りに右手へ逸(そ)れる「下り階段」らしきものがあったはずです。

この「獣道(けものみち)」へ突入(とつにゅう)することは断念して、反対方向の「上り階段」を上がることにしました。

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一直線に続く階段を一気に上がると、

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先ほど座った「長いベンチ」が見えてきました。

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息が上がった筆者は「長いベンチ」で休憩(きゅうけい)することにしました。

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つい先ほど、脇(わき)を通過した「ベンチ」を暫(しば)し眺(なが)めました。「遠見の広場」へ入った直後とまったく同じ景色ですが、「広場」を往復した後では何か違って見えるのです。

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元来た「市道」で「王禅寺ふるさと公園」の「東口/南口の前」まで戻りました。南方向へ続く「住宅街の道路」の先は「高台の先端」に当たるようですから、「展望」が開けていることは確かでしょう。しかし、そのために歩いて往復するのは今は無用(むよう)に思えました。

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「公園」の「散策園路」に戻ります。

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直ぐ先にある「柿生の里散歩案内図」をもう一度目直して確認しました。

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「公園の南エリア」(「王禅寺ふるさと公園」の文字がある辺(あた)りに「階段のようなもの」が描(えが)かれていますが、「園外の道から続いていますから、あの「尾根道の入口」でしょう。しかし、筆者が立ち寄りたかった「谷戸の低地にあると思われる広場」は描かれていません。そして、筆者の気力も残り少なくて・・。

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(続く)

2026年7月20日 (月)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(その4) 散策園路から遠見の広場へ

木の根元付近で「赤い茸(きのこ)」と、

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「白い茸(きのこ)」を見つけました。

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「散策園路」は「土留め階段」がある緩(ゆる)やかな「上り坂」になって続いています。

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左手には「短く切断(せつだん)された丸太」が積み上げられています。

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このことから見ると、かなり多くの「倒木(とうぼく)」や「老朽化(ろうきゅうか)した大木」が園内で発生するようです。

「路傍」に「笹(ささ)」を見つけました。「笹」は単子葉植物イネ科竹亜科に属する植物です。「竹」の仲間ですが、「竹」は成長するとともに、茎(くき)にあたる「稈(かん)」を包んでいる「葉鞘(ようしょう)」(説明:タケノコの皮)が剥(は)がれ落ちますが、「笹」は枯れる時まで残るという違(ちが)いがあります。

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「大きな切り株」の先に人影がありました。

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「木製の階段」を掃除する方々でした。

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「階段」を下りて、道なりに左方向へ進みます。右手には転落防止用のロープが張られていますから、

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ここにも「谷戸(やと)」があるようです。

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「散策園路」の「石畳(いしだたみ)」が敷(し)かれた区間に入ると建物に行き当たりました。「ガラス」が入った「ドア」と「フェンス」がありますから、「個人宅」のようです。

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道なりに左手へ折れると、前回見たものとはデザインが違いますが、「同じ趣旨の注意書き看板」がありました。

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「下り階段」があります。なお、右手にある階段は先ほどのお宅の入口へ続いているようです。

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「階段」を下り切る手前に「柿生(かくお)の散歩道案内図」の立て看板がありました。

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「柿生駅」からいくつかの「緑地」(水色で表示)と「神社仏閣」(黄色で表示)を巡(めぐ)る「散歩道」のようです。

その右上を拡大して撮影してみると、この「王禅寺ふるさと公園」と「古刹(こさつ)の王禅寺」があり、その脇(右下)にある市道の交差点には「現在地」(注釈:色が薄くて見にくい)と表示されています。ここが「柿生の散歩道」の終点のようです。

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階段を下り切った所(注釈:公園の東口あるいは南口?)の脇から「奥へ伸びる道」がありました。「上記の案内図」を参照すると、「公園の東側を抜けて「古刹(こさつ)である王禅寺」(注釈:このエリアの地名にもなった)へと続いているようです。

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計画外でしたが、この道に入ってみることにしました。確かに人が歩いている道のようです。

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ほぼ真っ直ぐに続きますが、道の先はよく分かりませんので、10mあまり進んだところで引きかえすことにしました。

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後で調べると、この「小径(こみち)」は「王禅寺ふるさと公園」の東側に沿って北上し、「多目的広場」の近くにあった出入口の前を通過して「古刹王禅寺」に至っています。しかし、これは「古刹王禅寺」の「正式な参道」ではなく、市道を北東方向へ100mほど進んだ所にある「王禅寺東門」から「参道」を北上すると「仁王門」があります。南にあるのに「東門」とは・・?

「公園の東口/南口」から「市道」を右手(南西)方向へ進みました。比較的最近開発された住宅地のようです。「急坂の路面」はコンクリ―ト舗装(ほそう)され、「滑り止め用の丸い窪(くぼ)み」」がいくつも並んでいます。

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なお、衛星写真で確認すると、住宅地(虹ヶ丘一丁目)の区画が整然としていることが分かります。調べてみました。『「麻生区虹ヶ丘エリア」は、1970年代後半から東急多摩田園都市および住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)によって計画的に開発された緑豊かで閑静(かんせい)な住宅街である』 とのこと。

50mほど坂道を上がると、「遠見(とおみ)の広場」に到着。注釈:「遠見」は「えんけん」とも読めます

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入口に表示はありませんが、間違いなさそうですから入ってみることにしました。「遠見の広場」は「王禅寺ふるさと公園」の敷地内にありますが、公園内から繋(つな)がる「散策路」はなく、独立した「エリア」(虹ヶ丘住民のための公園)であるとも言えそうです。

「入口」に続く階段を上がると、右手方向に「木製の長いベンチ」がありました。

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早速、「ベンチ」に座って前方を眺(なが)めることにすると、眼前(がんぜん)に「急峻(きゅうしゅん)な「スロープ(傾斜地)」が広がりました。

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また、上空を眺(なが)めると白い雲がありますが、「梅雨時(つゆどき)」としては「まずまずの好天(こうてん)」と言えるでしょう。

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左手には「送電線の鉄塔」がありますので、これも撮影しました。

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その下には「尾根道」のような「小径(こみち)」があり、その右手には「照明搭」と「白い四角形のもの」が載(の)る「小さなベンチ」が並んでいました。

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「遠見の広場」の展望もそこそこにして、そちらへ行ってみることにしました。というのも、前回訪れた時に立ち寄った「3ヶ所の展望台」はいずれも展望が良くありませんでした。こんどこそ「遠見(とおみ)」(意味:遠くを見渡すことや遠方から観察すること)をと期待していたからなのです。(続く)

2026年7月19日 (日)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(その3) 幹線園路から散策園路へ

 「幹線園路」の左手にある階段を上がると、前回歩いた「尾根道」へ出られるのでしょう!!

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崖(がけ)と「竹林」の間に「幹線園路」は続きます。

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「同行者」が「ヘビイチゴ(蛇苺)」を見つけました。野原や道端(みちばた)に自生(じせい)するバラ科の多年草です。春に黄色い花を咲かせ、初夏に赤くて丸い実をつけます。なお、毒があるという俗説がありますが無毒だそうです。

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右手には「転落防止用」と思われる「木製の(さく)柵」が設置してあります。

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黄色く塗られているのは「消火栓(しょうかせん)」でした。

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「幹線園路」は「雑木林」中へ入って行きます。

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左手に入る脇道(注釈:この公園では散策園路と呼ばれる)を見つけましたが、ここは敢(あ)えて直進します。

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前方に「階段」が現(あらわ)れました。

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右手には「大きな切り株」の脇に丸太が整然と積まれています。切り倒した大木の幹と枝を細分化(玉切り)したもののようです。

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ここでも、「竹林」が「傾斜地」に広がっています。

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ここにも「丸太置き場」がありました。ところで、地上から高い位置で幹を切断する理由は何んでしょうか?

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正面に「大きな立木」が見えて来ました。

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「幹線園路」はここが終点(行き止まり)です。そのためか、「Uターン」するための「ラウンドアバウト」(環状交差点)のような「サークル」が造(つく)られていますから、それに従(したが)いました。なお、その先へ立ち入らないように「短い丸太」が多数積んであります。

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「サークル」の中心にある木の根元に「茶色の茸(きのこ)」を見つけました。

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そして、先ほど通過した「分岐点」まで戻ると、「立て看板」には「幹線園路」と「散策園路」が描(えが)かれた地図が貼(は)ってありました。

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古びていて明瞭度(めいりょうど)が低いため、「現在地」(赤丸印)とその周辺を拡大して撮影すると、何とか読み取ることができました。

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ここで脇道である「散策園路」に入ると「右回りのルート」で「東口」まで行き、「公園外の道路」を経由して「遠見の広場」へ至ることができそうです。

「東口」へ向かう前に、「散策園路」から右手にある「階段」を上がる(または下る)と「謎の空間」へ行けそうです。「事前調査」時にも気になった場所であり、「小川や小さな池」が水色で描かれているのです。

とにかく、「幹線園路」から「散策園路」へ入りました。

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前方に「木の根道」が現(あらわ)れました。

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しかし、右手に「階段らしきもの」は確認できません。そして、周囲の状況から見て、「尾根道」のように平らな「散策園路」に変わりました。

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そして、右手には「崖(がけ)」あるいは「谷戸(やと)」が続いています。

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またまた「丸太置き場」がありました。次の写真の右端に写る「切り株」には何本もの「のこぎり線」のようなものがあります。その理由は・・?

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「尾根道」はほぼ真っ直(まっす)ぐに続いているようです。

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(続く)

2026年7月18日 (土)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(その2) 芝生の広場から南エリアの散策道へ

緩(ゆる)やかに曲がりながら続く「上り坂の遊歩道」は小川に沿っていました。

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石段を上り、

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さらに「石橋」を渡ります。

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すると、「ガゼボ」(注釈:西洋東屋)が見えました。

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その手前で右へ折れると、「大木の切り株」がありました。「根元(ねもと)」に大きな穴が空(あ)いていますから、このトラブルが理由で上部が切り倒されたようです。

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「管理事務所」の前に出ました。前回は「ガゼボ」のある左手から歩いて来た「遊歩道」に出たのです。

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「緩(ゆる)やかなS字カーブ」を進みます。

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右前方に「芝生の広場」が現れました。早朝であるためか、人影はありません。

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木立(こだち)の上を見上げると「送電線の鉄塔」が聳(そび)えていました。後になって調べると、この「送電線」は町田市にある「西東京変電所」から「港北ニュータウンの港北変電所」(横浜市都筑区)へ電力を送っていることを知りました。何と「鉄塔」は57基もあるそうです。

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なお、この「港北線」の電圧は超高圧の27万5000ボルトとのこと。筆者が「新横浜駅」へ行く時に利用する幹線道路の「新横浜元石川線」(荏田ー中町台間)の中央分離帯にある鉄塔群に繋(つな)がっているのです。そこでは最近、鉄塔の補修作業(再塗装)が行われているようで、工事用のネットで鉄塔の下半分が覆(おお)われていることを思い出しました。

一方、足もとにある「マンホール」には「鳥のモザイク画」とともに「①の番号」があります。これも「公園のhp」で調べてみると、鳥の種類は「ノスリ(鵟)」(説明:ワシやタカと同じ種の猛禽類(もうきんるい))でした。

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また、公園内の「マンホール」に描(えが)かれたモザイク画は「麻生区(あさおく)」に因(ちな)んだものだそうですから、自然が豊かであることの大事な「めやす(目安)」であると説明されています。

「トンネル」に入ると、前方が「風景画」のように見えます。

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そして、「トンネル」を抜けた場所の様子は、先週訪れた時と何も変わっていません。その時は右手にある階段を・・。

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今回は「左手に伸びる砂利道」(注釈:公園では「幹線園路」と呼んでいる)へ入ります。

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右手の低地には「竹林(ちくりん)」が広がっており、手前には「落ち葉」の山が築(きず)かれていました。

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「幹線園路」には角材を組み合わせた「踏板(ふみいた)」と「土留(どど)めを兼ねた階段」が続いています。

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(続く)

2026年7月17日 (金)

(続)王禅寺ふるさと公園内を散策!(その1) 公園に至る新ルートを経由して公園の西口へ

前回「王禅寺ふるさと公園」を訪れた時に断念することになった「南エリア」を散策するため、「王禅寺ふるさと公園」を再訪することにしました。しかし、それには難関がありました。筆者が「再訪計画」を「同居者」に伝えると、『熊は出ないかしら?』 との懸念(けねん)がまた示されたのです。

これは、「園内にある立て看板」に書かれていた「狸(たぬき)や雉(きじ)の名前」から当日に連想した懸念(けねん)なのです。『勿論(もちろん)、大丈夫(だいじょぶ)だよ!』 の言葉に続けて、『ランチは「コメダ珈琲店」で・・』 と付け加えました。これが功を奏(こうをそう)したようで、「同居者」の同意を得ることができました。

                            ☆

「梅雨明け」を思わせる「好天の朝」に自宅を出発しました。前回から一週間後のことです。

前回と同じ「尻手黒川道路」を走るのでは面白くありませんから、「裏ルート」を地図で探しました。そして、見つけたのが「尻手黒川道路」の少し南側にある市道です。時間的には前回利用した「尻手黒川道路」で最寄りの交差点まで行くルートとあまり変わらないと思われますが、「新しいドライブ・ルート」を開拓することも筆者の楽しみなのです。

「そのルート」とは「尻手黒川道路」の「犬蔵交差点」から「タマプラーザ」方面に入り、「美しが丘公園」の手前で右手に逸(そ)れ、その後は一直線の道路を西方へ向かえば、目的地である「王禅寺ふるさと公園」へほぼ道なりに至(いた)ることが出来る「ルート」です。

まず、「美しが丘公園」の東端にある「美しが丘東小学校前交差点」を右折します。

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美しが丘第2号歩道橋」を潜(くぐ)ります。

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平津三叉路」(信号があるY字路)を「左手方向」へ進みます。なお、次の写真に写るのは「美しが丘第六公園」に接して建つ「平津SUNサロン(美しが丘)」(美しが丘西部自治会が運営する集会所)のようです。小さな立て看板がありました。

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その先には「急な下り坂」が控えていました。

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「横浜市の幹線道路・日吉元石川線」と交差する「保木(ほぎ)入口交差点」を通過します。なお、500mほど北東の場所には「平津三叉路」を右手に入った「川崎市中央卸売市場北部市場」があります。

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保木(ほぎ)交差点」を通過

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路面に「右急カーブ」と表示されていますが、「左カーブ」では・・。先に「右カーブ」があるのか?

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日吉ノ辻交差点」で前回のルート(県道野川柿生線)と合流すると、前方に木立が見えてきました。一見「十字路」のように見えますが「丁字路(ていじろ)」です。注釈:野川は宮前区、柿生(かきお)は麻生区にある地名

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「今回のルート」は走行する車の量が少ないこともあり、快適に走ることが出来ました。そして、「新しいドライブルート」を開拓することも。

上り坂の先に「見覚えがある交差点」が現(あらわ)れました。なお、「時差式信号機」の表示があります。

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急な坂を下りたところに「駐車場の入口」がありました。午前9時少し前の到着です。

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「日中の熱さ」を考えて「早いタイミング」にしたのです。

料金所を通過した右手に「EV用充電スポット」が2台あります。「EV200V」と表示されています。

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「前回訪れた時」は写真撮影しなかったため、今回はしっかりと記録しました。

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車を「駐車ロット」に停めて車外へ出ると、時計(ポールクロック)がちょうど9時を指していました。

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「駐車場」から「公園の西口」を目指(めざ)します。

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「木製階段」の脇に「矢印付で正面入口」と表示された「立て看板」が有りますから、「正面入口」が正式名称であることが分かりました。筆者がかってに名付けた「正門」や「西門」ではありませんでした。なお、不思議なことに、前回撮影した写真にはこの「立て看板」が写っていません!

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後は「勝手知ったるルート」(県道13号野川柿生線の歩道)を辿(たど)り、「公園の正面入口」(注釈:西口とも呼ばれる)へ向かいました。

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「自販機」がある角から「幅の狭い遊歩道」へ入ります。

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「池」越しに、前回は脇(わき)を通過した「四阿(しあ)」(注釈:東屋(あずまや)のこおt)が見えました。

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なお、前回立ち寄った時には「小川の水」が「池」へ流入する様子を見ていますから、「池からの流出口」は少し深くなったこの辺(あた)りではないかと当(あ)たりを付(つ)けました。

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そして、見つけました。「水藻(みずも)」のようなものが集まる場所に「静かな水の流れ」がありました。

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そして、階段を上がると、

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「舗装された遊歩道」がありました。

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「同行者」が立木を指さしながら、『これは栗かしら?』 と言います。筆者もその方向を眺(なが)めると、

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まだ小さいながらも「小さな緑色の毬栗(いがぐり)」がいくつも実っていました。

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「緑色の毬栗(いがぐり)」はこれから大きく成長し、早ければ8月下旬、普通は9月から10月ごろには実(みの)り、「茶色い毬栗(いがぐり)」になるようです。(続く)

2026年7月12日 (日)

王禅寺ふるさと公園内を散策!(最終回) 尾根道を経由して駐車場へ

殺風景な砂利道よりも階段を選びましたが、これは筆者の判断ミスであり、曲がりくねった階段を上がり切ると「尾根道」に出てしまいました。「スマホ(iPhone SE3)を取り出して「王禅寺ふるさと公園」のhpにある「園内地図」で確認すると、「砂利道」(雑木林の散策路)が、「道見の展望台」へ向かうルートでした。

「土留めだけの階段」は延々と続いています。

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そして、「尾根道(おねみち)」に出てしまいました。

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両側は「雑木林(ぞうきばやし)」が生い茂(おいしげ)っており、視界はまったくありません。

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筆者の判断ミスでした。これでは「遠見の広場」どころか「雑木林の散策路の散策」にもなりません。

「路傍(ろぼう)」には伐採(ばっさい)した太い丸太が積み上げられています。

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「二又(ふたまた)」が現(あら)れました。これは「デジャブ」(意味:既視感/きしかんの)ではく、現実の出来事です。

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ここでも、「右手」の「下り坂」ではなく、「左手」の「尾根道」の方を選びました。

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しかし、「下り階段」に差し掛(さしか)かりました。

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そして、「急な階段」を下りると、下方に「木製の橋」が見えます。

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「木製の橋」を渡りました。なお、その下には「川」ではなく、「谷戸(やと)」があるのです。

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すぐ先で「長く急な下り階段」を見つけた「同行者」は、「下方」を見ながら、下りるのを躊躇(ちゅうちょ)しているようです。

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「同行者」を促(うなが)して、「長い階段」を下り始めました。

そして下り切った場所の右手に見つけた「立て看(かんばん)板」には、『お願い この先には、タヌキやキジ等の野生動物が生活していきますので、』 と書かれていますが、その先は判読できません。また、「左の看板」はインクがほぼ消えています。

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「この看板」れを見た「同行者」は『最近、ニュースで報道されているように「熊」が出ないかしら?』 と心配しています。

ついに開けた場所に出ることができました。

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「スマホ(iPhone SE3)」で検索した「園内地図」で確認すると、ここは「トンネル」の手前から「右方向」へ向かう「遊歩道」が行き着く場所だったのです。右手からも「行歩道」が合流しています。

左手に立つ「川崎市制60周年記念総合公園案内板」には園内の参考情報が詳しい記載されています。また、「多目的広場」の西方にあった「ガゼボ」から見下ろした「下へ下る遊歩道」も合流しています。説明:この場所は「次の写真」(園内地図)の左下に描かれた「池」の右手

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これをよく見ると、先ほど通過した「尾根道」は「少し遠回りになるルート」でしたが、「迷(まよ)いにくいルート」でした。しかし、「案内板」に示された「日だまり広場」があることには気づきませんでした。

「遊歩道」をさらに先へ歩くと「池」の辺(ほとり)に出ました。

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「カルガモ」が2羽、岩の上で休んでいます。

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そして、「池の奥まった場所」(右手奥)では、岩の隙間(すきま)から水が流れ込んでいます。

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「遊歩道」の左手(池の反対側)に目を転じると「広域案内図」(周辺の地図)と「王禅寺ふるさと公園の地図」の「立て看板」がありました。後者を見ると、「我々が散策したエリア」は「公園全体の左半分(北半分)」だったことが分かりました。

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なお、ここにも「モザイク画のマンホール」がありますから、「多目的広場周辺」の「遊歩道」で見かけた「マンホール」、つまり「下水道(排水管)」が「遊歩道」に沿(そ)ってここまで続いているのかもしれません。

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「王禅寺ふるさと公園」の表示がある「門(出入口)」から「公園の外」へ出ました。ここが「正門」(あるいは西門)なのかもしれません。

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「次の写真」は「県道13号野川柿生線」の歩道から左手(南方向)を撮影したものです。

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「駐車場」があると思われる右手(北方向)へ歩くと、「池」の向い側にも「幅の狭い遊歩道」のような道がありました。これは「ガゼボ」から下へ続く「遊歩道」から分岐した「ショートカット(近道)」のようです。

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さらに10数mほど進むと「駐車場」の「案内看板」がありました。このルートで間違いなさそうです。

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ついに「駐車場へ繋(つな)がると思われるアクセス道」(右手)を見つけました。

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「緩(ゆる)やかなスロープ」を上がると、前方に「駐車場」へ続く階段が見えました。そして、右手には「公園のエントランス」である「木製階段」があります。

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最後に「本ブログ記事」の結言(けつげん)です。予想以上に「タフなコース」を選んでしまいましたが、『怪我(けが)の功名(こうみょう)』の諺(ことわざ)通り、「充実した散策」になったようです。なお、「王禅寺ふるさと公園」の滞在時間は1時間15分、駐車料金400円、園内を歩いた歩数は6,368歩でした。

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