趣味

2025年6月17日 (火)

長尾のあじさい寺「妙楽寺」を訪れる!(後編)

こちらの「お地蔵様」は親子でしょうか?

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散策路は斜面へと向かいます。

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道なりに石段を上がります。

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無作為に「あじさいの花」を撮影します。

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最上部が近づきました。

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もう一度、無作為撮影

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最上部に差し掛かりました。

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左に折れると緩(ゆる)やかな下り坂になりました。

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「鐘楼」と「薬師堂」が見えて来ました。

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「鐘楼」の周りを廻(めぐ)ります。

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右に折れて「参道」へ向かいます。

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「参道」に出て「山門」の方向を眺(なが)めました。

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僅か15分間の「電撃花見散策」でしたが、十二分に満足できるものになりました。

帰路は遠回りになることを承知で、「長尾神社」の前を通過して、多摩区と宮前区の境界になっている道路を辿(たど)り、「長尾小学校」と「東名高速道路」の脇を通過して「あじさい寺入口交差点」に出るルートを選びました。(終)


[追記 2025.6.20] わが家に「あじさいの切り花」が!!

同居者の知人が庭で栽培する「あじさい」の切り花一枝を同居者にプレゼントしてくれました。わが家の居間で大きな花が五輪咲き誇り、涼やかな雰囲気を醸し出しています。

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ちなみに、あじさいの花言葉は、咲いている間に色が変わることから「移り気」、小さな花が集まっていることから「和気あいあい」、など多数あります。◇

2025年6月16日 (月)

長尾のあじさい寺「妙楽寺」を訪れる!(中編)

供養塔などに使われる仏塔である「宝印塔(ほうきょういんとう)」がありました。鎌倉初期ころから造られるようになったとのことですが、国内ではほとんど見かけない珍しい仏塔です。なお、京都市右京区にある「高山寺」と滋賀県大津市にある「石山寺」に「石造宝筐院塔」があるようですが、10数年前に訪れた時には気づきませんでした。注釈:いずれも重要文化財に指定

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本堂の前に出ました。「妙楽寺」の御本尊は「阿弥陀如来」とのこと。

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右手に伸びる道は「庫裏(くり)」へ向かうようです。「あじさい」の花が咲き、鉢植えされた「蓮(はす)」がありますから、少し散策することにしました。

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「あじさい」です。

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そろそろ行き止まりのようです。

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引き返してから本堂の左手へ向かいます。

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「あじさい」の群生が本堂の左側を囲むように続いています。

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斜面は石垣で覆われています。

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大きな花が目に入りました。

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こちらの花は散りかけています。

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こちらは、蕾から花が咲き始めたところです。

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そして満開の花も・・。

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鮮やかなブルーです。

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白色から青色に変わりつつある花

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こちらは濃い青色の花です。

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盛りを過ぎた花も

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蕾から花へ

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来し方を振り返ってみました。

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「山門」の近くまで戻ると、思ったよりも長い石段がでした。この先は墓地のようですから・・。

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「山門」を出た右手は先ほど見かけた「薬師堂」の脇を抜ける遊歩道です。

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姿がまちまちの「六地蔵」です。

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次回は「薬師堂」と「鐘楼」の奥にある「あじさい」を巡ります。(続く)

2025年6月15日 (日)

長尾のあじさい寺「妙楽寺」を訪れる!(前編)

今年は6月9日に関東地方で「梅雨(つゆ)入り」が宣言されました。「梅雨」と言えば連想されるのが「あじさい」でしょう。近くの公園などに自生する「あじさいの花」が見られるようになりました。なお、川崎市多摩区長尾にある「長尾山 妙楽寺」は「川崎のあじさい寺」として知られますが、筆者は20年ほど前に「紫陽花(あじさい)」のシーズン(花期)に訪れたことがあります。

関東地方で「あじさいの名所」と言えば鎌倉の「長谷寺」(2008626日)が良く知られていますが、それにも負けないほどの「あじさい」が「妙楽寺」の山門前や本堂横を中心に植えられています。注釈:境内には28種類・約1,000株の「あじさい」が植えられている

花期には色とりどりの大輪の花で参道が埋まり、周囲の木々の緑と絶妙のコントラストが楽しめるそうです。天気予報によると、614日(日)には強い雨が降り、615日(月)から30度を越す熱い夏日が続くと予報されていますから、筆者と同行者はその前の614日(土)に出かけることにしました。

川崎市多摩区の多摩川から幸区の矢上川(説明:鶴見川の支流)まで続く「二ヶ領用水」に沿った「府中街道」の「あじさい寺入口交差点」から急な坂道へ入りました。なお、遠くには「東名高速道路」が確認できます。なお、「藤子・F・不二雄ミュージアム」が700mほど後方にあります。

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多摩丘陵の南端(長尾丘陵)にある住宅地を抜けて「長尾山 妙楽寺」に到着。なお、「長尾山 妙楽寺」は源氏代々の祈願所であった「長尾山 威光寺」との関係が伝えられる由緒ある天台宗の寺院です。

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翌日(6月15日)に開催される「長尾の里 あじさいまつり」の会場準備が始まっており、残念なことに駐車場(約10台)には入ることができません。

「妙楽寺」の境内を囲む白土塀沿いに左手へ伸びる坂道を歩いてみました。なお、すぐ先に「長尾神社」があります。

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塀越しに急な斜面に密集する「あじさい」を見ることが出来ました。

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参道を歩いて境内に入ると左手に「地蔵菩薩」があり、「あじさいの花」が供えられています。

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その対面(参道の右手)には様々な色の「あじさい」が咲いています。

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閻魔堂(えんまどう)には多数の仏像が・・。

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「閻魔様」の説明パネルには、

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『「閻魔様」は元インド・バラモン教の神の流れをくみ、後に仏教に帰依し冥界(死後の世界)において、生前の善悪により罪を裁く十王の総司と言われています』 とあります。

小さなお堂には石仏が安置されているようです。

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川崎市教育委員会による「妙楽寺の文化財」についての説明パネルによると、

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『「木造 薬師如来および両脇侍(日光月光菩薩)像」と「紙本着色 五趣生死輪図(ごしゅしょうじりんず)」は市重要歴史記念物である』 そうです。

左手には「鐘楼」と「石塔」(右手前) 注釈:石塔は石で造られた仏塔(お釈迦様を弔う多重塔)注釈:五重塔や卒塔婆(ストゥーパ)と同じ考えによるもの

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「慰霊碑」

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参道の先に山門が見えます。

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右手には「六地蔵

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左手奥には「薬師堂」があります。「薬師如来像と両侍像」が堂内に納められているそうです。

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「秩父・坂東・西国百観音・四国八十八ヶ所霊場巡拝記念碑」には巡礼参加者の名前がありました。すべてを巡拝されたとは驚きです。ちなみに、筆者は「四国八十八所」のすべてと「秩父・坂東・西国百観音」のうち「西国三十三所」の半分ほどに参拝しています。

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「山門」が近づきました。

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左側の塀には「長尾の里 あじさいまつり」(6月15日)のポスターが貼ってあります。

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左手に伸びる散策路には「あじあさい」が群生していますが、「本堂」のエリアを先に散策することにします。

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「山門」を潜りました。

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左手にある急な石段の脇に立派な仏像があります。「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」でしょうか・・。

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右手にある「手水」には「あじさいの花」が浮かべられています。

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「天台宗」の説明

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大きな植木鉢では蓮(はす)が大きく成長しています。

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ここで筆者は「蓮」と「あじさい」が共通する西国三十三所の「三室戸寺」(京都府宇治市)を思い出しました。なお、「三室戸寺(みむろとじ)」は「天台宗寺門派に属していましたが、現在は「本山修験宗」の別格本山とのこと。注釈:天台宗の流れを汲む「修験道」の一派(続く)

2025年5月26日 (月)

新百合ヶ丘で開催された写真展

古くからの友人が出展する写真展に出かけました。これまでも色々な場所が会場に選ばれてきましたが、今回は小田急小田原線新百合ヶ丘駅に近い麻生市民館の麻生文化センターでの開催です。

わが家から新百合ヶ丘駅へ行く時には電車とバスを利用することが多いのですが、今回は自用車で出かけることにしました。尻手黒川道路だけで目的地まで行けるため極めて便利です。新百合ヶ丘駅の北口前(市役所と市民館の北隣)にある麻生区役所の駐車場64台)に自車を入れました。

駐車料金は30分当たり平日昼間400円・休日200円ですが、麻生区役所と麻生市民館など区の施設を利用する場合は1時間までが無料であることは有難いです。

次の写真は駐車場内から入口方向を撮影したものです。なお、正面のビルは新百合ヶ丘駅前にある三井住友銀行新百合ヶ丘支店と右隣のシティーモール、右端の茶色い建物が麻生区役所です。

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駐車場は奥方向へ長い形状をしています。

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麻生区役所の正面にある広場に出ました。

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右手には麻生市民館があり、麻生区役所とは連絡通路(ペデストリアンデッキ)で結ばれています。

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市民館の入口は左奥にありました。

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入口を入った場所にある全館案内には1階から3階までの施設案内と催物案合が表示されていますが、大きな字で『ここは2階です』 と表示されています。麻生区役所の広場に面した麻生市民館の入口を入ったところが2階なのですから、迷う人や勘違いする人が多いのでしょう。

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気になった筆者は麻生区役所のhpでフロアマップを確認すると、麻生市民館と同様に入口が2階にありました。3階は市民館および新百合ヶ丘駅への連絡通路に接続しています。1階には保健・健康相談室がありますが、外部との出入りができない地階構造になっているのです。疑問が膨らんでしまいました!

市民館2階の右手奥には図書館があります。手前に設置された催し物「あさおサークル展」の縦長ポスターは手作り感に溢(あふ)れています。

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その手前(入口付近)にあるロビーは吹き抜けになっており、

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ガラス天井はまるで万華鏡のようです。

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左手に市民ギャラリーを見つけました。「多摩自然写真の会 写真展示会場」の立て看板がありますから、ここがこの日の目的地で間違いありません。会の名称から「多摩の自然」をテーマとする写真同好会が開催しているようです。

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市民ギャラリー内は壁面を利用して作品が展示されていました。左手前が「春」の作品が並び、

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右手方向に「夏」の作品が続きます。

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ギャラリーの中央部に仮設された壁面には「秋」と「冬」の作品が飾られていました。

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風景写真・動植物写真を中心とする30点ほどの作品に加えて、小作品(サイズが小さいもの)が数十点ありました。友人から説明を受けながら30分ほどですべての出展作品を鑑賞させてもらいました。感謝です!

市民館を出た時に広場の奥に中庭があることに気付いて中に入ってみました。区民にとって憩(いこい)いの場になっているのでしょう。

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到着して45分が経過したタイミングで駐車場を出る時は「左折のみ可」でしたから、駅北口の前にある小さなロータリーを利用して方向転換しました。

余談です。麻生市民館には写真展のために何度か訪れていますが、いずれも電車とバスを利用しています。今回は自用車で訪れたことで、これまでとは違う雰囲気を感じました。言わずもがなですが、新百合ヶ丘駅周辺は絶えず新しい施設が出来ることで変貌し続ける活力のあるエリアです。

なお、駅の反対側(南口)にあるホテルMOLINOのレストラン「梅の花」などで会社のOB会が計4回(2018.122019.112023.112024.11)開催された様子を当ブログ記事で紹介しています。

最後に新百合丘の近況です。横浜地下鉄ブルーラインがあざみ野駅から新百合丘駅まで延伸する計画(2030年開業予定?)がやっと具体化しそうです。◇

2025年5月22日 (木)

30数年来の夢がもう直ぐ叶いそうです!

筆者とパソコンの出会いは45年ほど前の1980年頃で、古いブログ記事(2005年12月19日付け)に1999年までの顛末(てんまつ)をまとめて書いています。今回はその記事で触れた"MacIntosh Ⅱsi"(1991年購入)とカシオの電子キーボードを使った「音楽の自動演奏」に纏(まつ)わる話とその後日談です。

アメリカに在住している時に購入した"MacIntosh Ⅱ si"(1989年9月から1993年3月まで販売)は”Apple Computer”(現在のApple)によって設計・製造され、1990年10月から1993年3月まで販売された卓上型のパーソナル・コンピューターであり、先に販売された"MacIntosh Ⅱ ci"の後継機です。その洗練された外観は「アップル」らしさを感じさせました。なお、本体価格はUS$2,999(当時約39万円、2023年時点の$6,994/90万円と同等).

CPUは"MC68030@20MHz"、メモリは1MB(17MBまで拡張可能)、ブラウン管型カラー・ディスプレイは最大解像度640x480、そして外部端子の一つとして「MIDI端子」が付属していました。「MIDI端子」があることが大きなポイントで、当時所有していたカシオ製電子キーボードと「MIDIケーブル」で接続することができました。

なお、"MIDI"とは”Musical Instrument Digital Interface"の略で、電子楽器の演奏データを機器間でデジタル転送するための世界共通規格。1983年に日本のMIDI規格協議会(現在の社団法人音楽電子事業協会)と国際団体の"MIDI Manufacturers Association"により誕生しました。

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自動演奏を行うためには、2つの電子機器(パソコンと電子楽器)を「MIDIケーブル」で接続した上、パソコンの"MacIntosh Ⅱ si"に"MIDI"用の自動演奏アプリ(シーケンサー・ソフト)をインストールする必要がありました。このアプリを使い楽譜データを入力すると、その曲を"MacIntosh Ⅱ si"で再生するだけではなく、「MIDIケーブル」で接続した「電子キーボード」を遠隔制御することができたのです。

また、「電子キーボード」の音色を「ピアノ」「オルガン」「フルート」「バイオリン」などから選ぶことで、様々な楽器で様々な曲を自動演奏できるのです。もちろん、曲の速度も自由に調整することができます。

当時のアプリは、同時に一つの音しか演奏できない(ユニゾン)であることは当時の限界だったように思います。しかし、様々な楽器を自由自在に演奏する快感があり、多数の曲(音符)データを「パソコン」に入力して、大いに楽しみました。中島みゆきさんが作詞・作曲した「春なのに」がその一曲です。

なお、時には気分転換として同じ「パソコン」にインストールした「フライトシミュレーター」で飛行機の操縦(離陸・巡行・着陸)を楽しむこともありました。

しかし、パソコンが自動演奏する音楽に段々飽きてきた筆者は、いつの日か自身の手でキーボードを演奏してみたいと思うようになり、いつしかショパンの目が回るような「幻想即興曲」を弾けるようになることが最終目標になっていました。

                            ☆

5年間のアメリカ赴任を終えて1994年に日本へ帰任してからは、それまでに増して忙しく海外出張をこなす日々に戻りました。そして、上記の夢を封印して60歳で定年退職を迎えることになりました。そして、退職後は同居者と一緒に国内旅行と海外旅行をする日々を10数年送りました。

その様子は当ブログ記事(「温泉大好き、ドライブも!」(2005年10月~2013年11月)と「旅行大好き、飛行機も!」(2013年11月~)に詳しく記録してありますので、興味のある方は参照してみてください。なお、海外旅行は気管支喘息の発作により緊急入院(2029年8月)することになる3か月前に出かけた北欧4か国(2019年5月)が最後になってしまいましたが・・。

旅行三昧の9年間が経過した2015年1月下旬に古希(69歳、注釈:最近は満70歳とする方が多い)を迎えました。それを機に何か新しいことを始めようと考えた時、最初に思い浮かんだのが「ピアノ」を弾くことでした。早速、近くのピアノ教室へ入学を申し込むと、1か月後(3月)からシニア用個人レッスン(月3回・各30分)の空きがあるとのこと。

それから苦節10年、休まずにピアノ教室に通いました。簡単なクラッシック曲が中心のレッスンです。気力と脳力の衰えを遅らせることが一番目の目的でした。担当する先生が平均2年ほどの間隔で変わったことでマンネリにならなかったのが良かったようです。ただし、練習量が少ないため、上達のスピードは遅々たるものでした。

なお、先生が選んでくれた教則本を3冊目まで終了したところで、4冊目の教則本(曲集)は筆者自身が選ぶことになり、クラシック曲・洋楽・日本のヒット曲・童謡など幅広い曲が網羅されたもに落ち着きました。クラシック曲と洋楽の練習が数曲進んだところで先生から訊(き)かれました。『教則本に含まれていない曲で何か弾きたいものはありますか?』 と。

3月であったことから、筆者は思わず、『中島みゆきさんの「春なのに」を練習したいです』 と答えてしまいました。

先生が有料楽譜サイトからダウンロードしてくれた楽譜(注釈:筆者のレベルを考慮して一番易しいアレンジ版)を使った練習が始まりました。そして、2か月後には何とか丸印(説明:合格ではなく、自分だけで練習できるレベルに達したとの確認)を貰えました。

思い返すと音楽の自動演奏を始めてから30数年が経ち、やっと筆者自身の両手(指)と右足を使って「春なのに」を弾けるようになったのです。もちろん、「ユニゾン」ではありません。これからは最終目標(注釈:無謀であることは十分承知している)であるショパンの「幻想即興曲」を目指してピアノ練習を続けたいと思います。◇

2025年2月10日 (月)

Ginza Sony Parkがグランドオープン(最終回)

階段を使って4階(Park 4)から2階(Park 2)まで下りて、先ほど途中まで進んだL字型の緩(ゆる)やかな上り回廊(プロムナード)をさらに進みました

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別の角度から1階のエントランスを見下ろせます。

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L字型と思われたプロムナードはコの字型になって続いていました。なお、コーナー付近の低い壁には"Lying" 「今眩(まぶ)しい光の中で」「どんな痛みさえ輝(かがや)きにかえながら」「命を燃やすの」の言葉が並んでいます。そして、反対側にはエレベーター(A)がありました。

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正面の鉄枠越しに「晴海通り」が見えます。左端に見えるのは筆者が「有楽町」から歩いて来た「外堀通り」です。

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先ほど利用したエレベーター(C)とは反対側にあるエレベーター(B)に乗ってみました。「行き先ボタン」の脇にカラフルなテープが貼ってあります。3階には「半導体は、SFだ。YOASIBI」、4階には「ファイナンスは、歌だ。羊文学」。これらが「Sony Park展 2025」の催し物(アクティビティ)のようです。

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そして、地下2階(Park B2)には『音楽は、旅だ。 VOUNDY』と表示されています。なお、地下3階(Park B3)には軽食堂があるようです。

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関連のhpを確認すると、この他にも”BABYMONSTER"、"Creepy Nuts"、「牛尾憲輔」が4月20日から出演するようです。段々と分かって来ました。こちらのエレべーター(B)だけが『Sony Park展 2025』の会場にアクセスできるのです。

引き返した2階には広い空間がありました。3階と4階も同様でしょう。通路の先には『今の あなたの夢を教えて』『〇び出す世界を見つめてた・・』の文字が小さく見えます。

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階段を使って1階(Park 1)へ下りて、

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そして1階(Park 1)の奥にある階段を下りて地下鉄「銀座駅」へ向かいます。この階段は「旧ソニービル」の時代とほぼ同じ位置にあるようです。なお、前方に、銀座線、丸ノ内線、日比谷線の表示。

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"VOUNDY"のロールテープがあります。ここは地下1階(Park B1)でしょう。何もない広い空間です。

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さらに階段を下りて地下鉄の乗り場へ向かいました。

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壁に貼られていたのは歴史でした。最初は"2025-"と左下に注釈を付けた現在の「銀座ソニーパーク」(第2期)の外観です。

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"2018-2021"は「銀座ソニーパーク」(第1期) 注釈:地上は一部を除いてほぼ平坦

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"1966-2017"は「旧ソニービル」 注釈:エレベーター塔が目を惹(ひ)きます

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"1957"は『SONY ソニーラジオ テープレコーダー 世界のソニー』のネオンサイン 注釈:日本で高度経済成長が始まった頃です

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”B9”出口から地下通路に出ました。「日比谷線」の乗り場はこの前方にあります。

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初めて見るディスプレイには「Portrait いしばし めぐみ」とあります。

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「日比谷線」の改札口に到着

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地下鉄日比谷線の電車で「中目黒駅」へ向かいながら、このルートは筆者が「銀座ソニービル」に通い始めた50年以上前と同じであることを再認識しました。

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【後記】「銀座ソニーパーク」はコンクリートの打ちっぱなし壁に囲まれた贅沢な空間でした。『さすが世界のソニー』と思わせる施設であることは確かです。しかし、これをどのように活用するのかは、今回の短い滞在では筆者に分かりませんでした。そして、筆者は『「昭和の景色」がまた一つ遠くなった』ように感じます。(終)

2025年2月 9日 (日)

Ginza Sony Parkがグランドオープン(その2)

1階(Park 1)の左手奥にはガス灯のような街灯と長椅子だけの空間があります。後になって気づきましたが、左手に地下鉄の入口があるのは「旧ソニービル」と同じルート構成です。

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右手にある正面階段を利用して2階(Park 2)へ上がることにします。

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階段を上がり切った左手には緩(ゆる)やかなスロープ(プロムナード)がL字型に続いていました。

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左方向には幾何学的な骨格で構成された吹き抜けがあり、1階(Park 1)のエントランスを見下ろすことができえます。なお、正面の巨大な柱状の部分にはエレベーター(A)があるようです。

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2階(Park 2)のエレベーターホールへ引き返して最上階である5階(Park 5)のルーフトップへ直行しました。そこには幅の狭い通路がどこかに繋(つな)がっていますので、とにかく進んでみることにします。

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突然、開けた場所に出ました。そこには以外にも自動車が展示してあるのです。

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ナンバープレートの場所に"AFEELA"と”Sony Honda Mobility”の名称が。

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前方へ回り込んでみました。ラジエター・グリルに何か文字らしきものが表示されています。

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良く見ると"35°40’20.0 N  139°45'47.5” E"と表示されているようです。これは「銀座ソニーパーク」の位置(座標)と思われます。確認すると、「銀座ソニーパーク」の住所は中央区銀座五丁目3番1号、座標は北緯35度40分19.5秒/東経139度45分47.4秒にでした。数字の違いはGPSの誤差でしょう。

案内パネルがありました。"AFEELA"はソニーとホンダが電気自動車(EV)の分野で技術協力するブランドです。ニュースで聞き知ってはいましたが、実物の自動車を見るのは初めてです。

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少し離れた位置からは自動車と建物の5階部分を広く見ることができました。

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右手のフェンス越しには「東京高速道路」を見下ろすことができます。

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余談です。「東京高速道路」と言えば思い出しました。2025年4月上旬から「首都高速」の「高速八重洲線 神田橋JCT-西銀座JCT」が長期通行止めになるとともに、「東京高速道路」の「京橋JCT-汐留JCT」の区間(注釈:「銀座ソニーパーク」から見える区間)が廃止されるとのニュース報道がありました。都市再生整備の一環(地下化)だそうです。

そして、自動車の周りを一周しました。

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壁面に数寄屋橋交差点(スクランブル交差点)の様子がライブで映し出されています。

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屋根のあるエリアに入りました。そこには休憩できるソファだけが置いてあります。なお、右端に立っている防寒コートの人はこのエリアの係員です。

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階段を使って5階から下の階へ下りることにしました。

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前方はこのような不思議な空間が広がっています。

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4階に下りました。

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しかし、その先は立ち入り禁止でした。

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迷子になったのでしょうか? (続く)

2025年2月 8日 (土)

Ginza Sony Parkがグランドオープン(その1)

所用があり有楽町の東京交通会館へ出かけました。地下鉄有楽町線の有楽町駅で下車し、

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D7出入口からエレベーターで地上に出ると、

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目の前に「東京交通会館」がありました。当ブログ記事で紹介したように何度も訪れた場所です。なお、D8出口の方は地下で東京交通会館に繋がっています。

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30分ほどで所用を済ませました。

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フランク永井さんのヒット曲「有楽町で逢いましょう」(昭和32年/1957年発売)を思い出させる有楽町を後にして、もう一か所立ち寄る場所がありますので、「東京交通会館」の東南にある出入り口を出ました。秋田県のアンテナショップ「秋田ふるさと館」が左手にあります。

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振り返ると「東京交通会館」の1-2階のショップ街に加えて、

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3階のテラス、4階以上のオフィスエリアを見ることができました。

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「東京高速道路」の下を潜って「銀座西二丁目交差点」へ出ました。次の写真は東京駅八重洲口方面(北北東方向)で、左端には「東京高速道路」が写っています。注釈:「東京高速道路」は首都高速道路と直結して西銀座を囲むように走る約2㎞の一般自動車道。高速道路とありますが指定最高速度は40㎞/h、通行料金は無料。

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こちらは反対の銀座方面(南南西方向)です。

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案内地図看板がありました。これから向かうのは「外堀通り(西銀座通り)」の南西方向にある「数寄屋橋交差点」です。注釈:案内地図では右方向

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「くの字型」に折れ曲がっっているため、目的地はまだ見えません。次の写真の中央には「銀座西三丁目交差点」が、右端には「東京高速道路」が写っています。

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「数寄屋橋公園」の石碑がありました。もう少し先の「晴海通り」沿いにあるはずですが・・。

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「銀恋の碑」は「銀座の恋の物語」の歌碑でした。1960年代にヒットした石原裕次郎さんと牧村旬子さんのデュエット曲です。

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「銀座の象徴 柳並木」の碑には明治時代に植えられた「銀座の並木」の経緯が説明されています。

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後で確認すると、「数寄屋橋公園」は「晴海通り」の南側だけではなく、北側(東京高速道路脇)にも存在するのです。

「銀座二丁目交差点」から約250m歩いて「数寄屋橋交差点」に到着しました。斜め前方に見える建物の前面には、"We are back, Ginza!" "Grand Openinng January 26, 2025" 「ただいま」 と表示されています。

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なお、交差点の右奥に見えるガラス張りの建物は「東急プラザ銀座」です。旧銀座東芝ビル(平成16年/2004年閉業)の跡地に建設されたビルで、「数寄屋橋阪急」が入店していました。なお、「東急プラザ銀座」は2023年4月にファンドへ売却(注釈:運営は東急不動産)。

そして、「数寄屋橋交差点」を取り囲むように「有楽町マリオン」(1984年竣工)と「銀座ソニービル」(2017年解体)、そして「銀座ソニービル」(2017年解体)があり、「有楽町駅」の西口には「有楽町そごうデパート」(2000年9月閉店)と、1980年から2000年ころまで筆者には東京において最高に輝(かがや)くスポットだったのです。

「数寄屋橋交差点」のスクランブル歩道を斜めに歩いて、次の目的地である「銀座ソニー・パーク」へ向かいます。

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コンクリートの打ちっぱなしでできた無機質な建物です。しかも、工事用の足場のように見える鉄格子に覆(おお)われています。

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1階(Park 1)エントランスには『Sony Park 展 ’25』と表示された巨大なロールテープの下には、『ファイナンスは、詩だ。Finance details life.』『音楽は、旅だ。after long journy.』『半導体は、SFだ。Semiconductors create new realities.』と表示された巨大なロールテープがあります。

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ソニー・グループの3つのビジネス領域を表現しているようです。

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8年ほど前まで、ソニーのショールームである「銀座ソニービル(ブログ記事:2016年/2017年)」(注釈:地上8階建て、1966年竣工/オープン、2017年解体)があった場所です。そこに新たなコンセプトの元に造られたのが「都会の中の公園」を標榜する"Ginza Sony Park"です。昨年8月に竣工して、今年126日にグランドオープンを迎えた機会(一週間後の23日)に訪れようと思ったのです。注釈:ソニー創業70周年・ソニービル開業50年目にあたる2016年に営業終了

銀座における環境規制(地区計画「銀座ルール」)のため、建物は地上8階建てから地上5階建てへと高さは低くなりましたが、近未来を感じさせた旧ソニービルに対して、オープンなパーク(公園)を意識した建物になっているそうです。

敷地は「旧ソニービル」とほぼ同じで決して広くはありませんが、「ソニーらしいユニークな活動を続けて行く空間として活用する」とのこと。グランドオープン当日から『Sony Park 2025』(2025年1月26日-3月30日)が開催されています。(続く)

2025年2月 6日 (木)

Tipo 400th Anniv. New Year Meeting 2025(最終回)

テント張りのブースに沿って右端まで戻ると、少し奥まった場所にイベント本部がありました。

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「タッチ&トライ試乗会受付」と表示されています。当日、車に試乗できるようです。

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横断歩道を渡って「等々力球場」横の広場に戻りました。

英「ロータス・カーズ社」のオープンカーは”Type 26 Elan”(エラン)です。注釈:1962年から1973年まで販売された同社を代表するモデル

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こちらも同じ「ロータス・カーズ社」を代表するスポーツカーの「セブン」。1957年に発表されたモデルで、完成車だけではなくキットカー用組立部品が1970年代まで販売された珍しい自動車です。

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2012年に発表された2ドアクーペ車の"Exige"(ロータス・エキシージ)のようです。

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2代目の「ロータス・エキシージS」は1800cc 直4/DOHCエンジン(220馬力)を搭載しています。

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「ホンダS2000」は「ホンダS800」の流れを汲む2シーターのスポーツカーです。

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1966年から1970年まで販売されました。

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一人乗りの三輪車トラックを見つけました。

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イタリアの"PIAGGIO"(ピアッジオ)でした。このメーカー名は初耳!

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イギリスのスポーツカー・メーカーの"MORGAN"(モーガン)はクラシカルで上品なデザインの車を現在も製造しています。これは最近のモデルである「モーガン・ロードスター」(2005年-2020年)のようです。エンジンは2,960cc/3,721cc、V型6気筒、237PS/284PSの2種類。

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英「ロータス」の2ドアクーペ"EUROPA SPECIAL"は1966年から1975年まで販売されたモデルです。

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手前の青い車は英「BMC社」の「ミニクーパー」、本ブログ記事(その1)でも紹介しています。

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仏「ルノー」の"MEGANE R.S."(メガーヌ)は2010年から製造されています。だだし、この車には「ボンネット・ダクト」がありますが・・。

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2シーターの赤い軽自動車はオープンカー仕様です。ダイハツの「コペン」ではなさそうですから・・。

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"Ventage"(ヴァンテージ)は英「アストンマーチン」のスポーツカーです。

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筆者にとっての「アストンマーチン」と言えば、何と言っても映画「007 ゴールド・フィンガー」(1964年公開)で主人公のジェームズ・ボンドが運転した車である”DB5”です。なお、日本を舞台にした映画「007は二度死ぬ」(1967年公開)ではトヨタ自動車の「トヨタ・2000GT」が使われました。

最後に、ボンネットを外した「ロータス7」を見かけました。

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以上、"Tipo 400th Anniv. New Year Meeting 2025"会場の滞在は30分余りと短いものでしたが、ヨーロッパの高級スポーツカーをたっぷり楽しむことができました。大満足です!

                             ☆

[後記]自動車好きの筆者には多数の高級スポーツカーを一堂に見ることができる貴重な体験でした。私事になりますが、学生時代は自動車部に所属して自動車の運転と整備に明け暮れていました。もちろん、運転免許証は普通車(現中型車)に続いて大型車を取得し、おまけの二輪免許も気がつけば現在は大型自動二輪になっていました。現在も何とかゴールド免許です。

自分の車は入社3年目に購入した二代目カローラ(1970年)に始まり、二代目カムリ(1982年)からカムリを3台乗り継いで、現在は三代目プリウス(2011年)とすべてトヨタ車です。アメリカへ転勤になった時はGM社の"Chevrolet Caprice"(シボレー・カプリス)を選びました。

子供の頃から憧れていたフルサイズの車体と直6/4,100ccエンジンの存在感と迫力が魅力的でした。石油ショックを経た1980年代のアメリカではフルサイズ車に乗る人が減っており、アメリカ人の同僚から『パトカーが来た!』と揶揄(やゆ)されましたが・・。家族とはアメリカ国内の超長距離ドライブをカプリスで楽しみました。(終)

2025年2月 5日 (水)

Tipo 400th Anniv. New Year Meeting」2025(その3)

振り返って見た会場の様子です。ちなみに、左側の「UVANCE等々力スタジアム by Fujitsu」と右側の「等々力球場」に挟まれた広い空間(広場)がイベントの会場として利用されています。

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トランクを大きく開けた車がありました。RR車のようです。

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フロント側には人だかりがあります。

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ボンネットの中はラジエター、ウオッシャー液、パイプ類、電気配線などが雑然と配置されています。荷物室はどこに?

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"白い車のトランクにはPEUGEOT"(プジョー)の名称があります。”PEUGETO"はフランスの自動車会社ですが、現在は"Sterantice N.V."(ステランティス社)の一部門になっています。注釈:ステランティス社はイギリス、フランス、アメリカの自動車会社が統合して2021年に誕生した多国籍企業

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フロント側に回り込むと、"504"の数字と"Peugeot"(プジョー)のエンブレムが確認できます。1970年代およびその前後に販売された「プジョー504」でした。トランクが途中から折れ曲がっているヨーロッパらしい美しいデザインが特徴。

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左手前にある"CITROEN"の"AX 10RE"は「シトロエン社」(ステランティス社の一部門)が製造した5ドアの小型車です。日本では1990年代に販売されました。

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"LOTUS"はイギリスのスポーツ車メーカーです。注釈:現在は中国の自動車会社の子会社 その隣の黒い自動車は言わずと知れた"Porsche"(ポルシェ)社の"Carera"(カレラ)。ドイツが誇るスポーツクーペです。

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その先にも多くの自動車が展示されています。

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こちらの黄色い自動車も同じく「ポルシェ社」の"911 turbo"、1975年から販売された同社のフラッグ・シップ車です。

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その先にも自動車が並んでいます。

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「ステランティス社」の子会社である"FIAT"社の小型車

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こちらにお尻を向けて並んでいるのは日産自動車のスポーツカーである"GT-R"です。2007年に販売が開始された比較的に新しいモデルです。

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同じく"GT-R"ですが、ツートーンカラーに塗装されています。

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"ABARTH"(アバルト)は「ステランティス」のイタリア子会社が製造する自動車車です。本ブログ記事の(その1)でも紹介しています。

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午前9時になるとステージでトークが始まりました。

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客席の後方に現れたのは「てるまる」君です。後で調べると、「東急でんき&ガス」をPRするマスコットでした。そう言えば、頭が電球型をしています。

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(続く)

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